2013年 12月 07日
春の祭典とピアノ曲を中心に |
先月の川崎シリーズの後、オーディオ的には、パワーアンプを大きくして低音再生目指しました。その結果、ティンパニーや大太鼓の再現性が増し、気持ちいい音で聴けています。これだけ円安になってもまだ少し安い海外盤で、先日のラトル・ベルリンフィルの「春の祭典」を購入しました。EMI調の赤い背表紙ですが、付いているロゴマークは、青い色のWarner Classicsになっています。EMIのマークがないと、やはり淋しいですね。録音は2012年ですから、最新盤でしょう。音は幾分オンマイク気味で、一つ一つの楽器の音がはっきりと聞こえてきます。演奏もそういう感じでした。大太鼓の迫力は、ゲルギエフの方が凄いですが、ソリストの巧さが解ります。リズムや金管の咆哮の仕方が、ラトル節なのが面白いです。
同時に、好敵手のヤンソンス・RCOの同じ組み合わせも購入してみました。2006年の録音です。こちらはいつもの感じで、柔らかさの中にスケールと迫力があります。例によって、コンセルトヘボウ特有の長い残響感で、だいぶ曲の印象が変わります。この盤はSACDなので、ダイナミックレンジが大きく、幾分ボリュームを上げて聴かないと迫力が無く聞こえますが、フォルテシモでは驚くような音になります。CDモードで聴いた方が、解りやすいかもしれません。
ゲルギエフの演奏と録音が、一番この曲の面白さを出しているかもしれません。いずれも、凄い演奏で、凄い録音です。装置の試金石には大変ハードルが高いですね。
そのオーケストラの大迫力を狙って、装置を調整してきたのですが、思わぬ副産物が現れました。それはピアノ曲なのです。低域の拡大が、ピアンノ実在感を増し、ダイナミックレンジの拡大に貢献しました。その結果、すべてのピアノ曲を聴き直しする羽目になりました。録音年代にあまりとらわれなくなってきました。
これらは1968年から70年ぐらいまでの録音です。テープヒスが聞こえる以外全く遜色はありません。フランソワの自在な演奏が聴けます。サレ・ワグラムでの録音ですね。
迫力という意味では、ラザール・ベルマンのスケールの大きな演奏には驚かされます。リストの超絶技巧が普通に聴けるのは不思議です。
ドッビュシーでは、このミケランジェリの演奏も忘れられません。レコード時代、再内周でのトレーシングを心配したのもいい思い出です。彼のピアノは、特別な音がします。
そのミケランジェリの弟子でもあった、ポリーニの初期の頃のアルバムです。1960年に18歳でショパンコンクールで優勝してから、8年間ほど修行し直しているとき、ミケランジェリに師事したそうです。そのご、次々とグラモフォンからアルバムを出していた頃のアルバムがこの前奏曲集です。一切の甘さを廃した演奏です。
そのポリーニと同じ1960年にデビューしたのが、このアルゲリッチです。ショパンのソナタは、ポリーニよりアルゲリッチの方が好きです。近年はほとんどソロピアノの演奏はしないのが残念ですが、集中力は凄いものがあります。そのアルゲリッチが、ショパンコンクールの審査員をしていたとき、独創的な演奏をする若者を落選させたのに、抗議して審査員を止めた有名な事件がありました。
それが、このポゴレリチです。独創的な演奏で、このスカルラッティも全くユニークです。チェンバロでなければ表現できない響きをピアノから出しています。上昇と下降旋律が交差するときや、遁走曲になり追いかけるときなどの響きは、本当に見事です。
グラモフォンのピアノ録音には定評があり、演奏会場でもスタジオ録音でも、ピアノ本来のスケール感を良く表しています。アンプを換えて低弦の響きが出て来たため、この様に次々とピアノ曲を出して聴いているのですが、なんと言っても、低い弦のうなりまで聴けるのは、このギレリスの一連の演奏です。最晩年に録音したシリーズでしたが、あと少しというところで、未完に終わりました。しかし、その残された一つ一つの演奏の素晴らしいできばえには驚かされます。このワルトシュタインの演奏の素晴らしさには、冒頭から息をのみます。強靱な左手と、右手の柔らな表現は、ピアノ演奏の一つの極致だと思います。この演奏が、過不足無く再現されたら装置としては、後は音楽に没頭するだけです。その幸せな境地にユニコーンも入ってきました。誰かに聴かせたいけど、勿体ないと思うほどの変化です。その意味でも、ウィーンとベルリン、そしてコンセルトヘボウの演奏会に行って得たものは大変大きかったです。
そして、そのグラモフォンのピアノ録音が一番効果を発揮しているのが、ピアスのモーツァルトとショパンです。彼女の録音で、良い音がしなければ、何かがおかしいと疑った方が良いです。そのくらい完璧な録音と演奏ですね。家でも、GRFでも、T4でも、何で掛けてもよくかかります。
反対の意味では、この田部京子さんの録音は、いままで余りよく掛からなかったのです。ピアノ単体の音として収録されているので、会場の変化が聞こえにくい録音でした。それが低域のスケールが出て来て、ピアノ本来の響きが出てくるようになりました。しかし、シャンドスのアルバムの様な会場のアンビアンスは聞こえてきません。器楽演奏としての収録は完璧に入っているのですが、ピアノ演奏としては何かが決定的に掛けているように思うのです。演奏者からは恐らく気に入られているのだと思われますが、演奏者の聴いている音は、彼女以外誰も聴いていない音なのです。
同じ意味で残念だったのがこのチェンバロのゴールドベルグ変奏曲です。会場の床が柔らかいのか、モニター時に聞こえなかったのか、足を踏む音が床鳴りのように聞こえすぎて音楽のながれ静けさを阻害しています。いますこし繊細な収録方法が取れなかったのか、残念におもいました。21日の和波孝禧さんと武久源造さんの共演でバッハを聴きに行きますが、実際のチェンバロではどの様に聞こえるのでしょうか。
同時に、好敵手のヤンソンス・RCOの同じ組み合わせも購入してみました。2006年の録音です。こちらはいつもの感じで、柔らかさの中にスケールと迫力があります。例によって、コンセルトヘボウ特有の長い残響感で、だいぶ曲の印象が変わります。この盤はSACDなので、ダイナミックレンジが大きく、幾分ボリュームを上げて聴かないと迫力が無く聞こえますが、フォルテシモでは驚くような音になります。CDモードで聴いた方が、解りやすいかもしれません。
そのオーケストラの大迫力を狙って、装置を調整してきたのですが、思わぬ副産物が現れました。それはピアノ曲なのです。低域の拡大が、ピアンノ実在感を増し、ダイナミックレンジの拡大に貢献しました。その結果、すべてのピアノ曲を聴き直しする羽目になりました。録音年代にあまりとらわれなくなってきました。
迫力という意味では、ラザール・ベルマンのスケールの大きな演奏には驚かされます。リストの超絶技巧が普通に聴けるのは不思議です。
ドッビュシーでは、このミケランジェリの演奏も忘れられません。レコード時代、再内周でのトレーシングを心配したのもいい思い出です。彼のピアノは、特別な音がします。
そのミケランジェリの弟子でもあった、ポリーニの初期の頃のアルバムです。1960年に18歳でショパンコンクールで優勝してから、8年間ほど修行し直しているとき、ミケランジェリに師事したそうです。そのご、次々とグラモフォンからアルバムを出していた頃のアルバムがこの前奏曲集です。一切の甘さを廃した演奏です。
そのポリーニと同じ1960年にデビューしたのが、このアルゲリッチです。ショパンのソナタは、ポリーニよりアルゲリッチの方が好きです。近年はほとんどソロピアノの演奏はしないのが残念ですが、集中力は凄いものがあります。そのアルゲリッチが、ショパンコンクールの審査員をしていたとき、独創的な演奏をする若者を落選させたのに、抗議して審査員を止めた有名な事件がありました。
それが、このポゴレリチです。独創的な演奏で、このスカルラッティも全くユニークです。チェンバロでなければ表現できない響きをピアノから出しています。上昇と下降旋律が交差するときや、遁走曲になり追いかけるときなどの響きは、本当に見事です。
グラモフォンのピアノ録音には定評があり、演奏会場でもスタジオ録音でも、ピアノ本来のスケール感を良く表しています。アンプを換えて低弦の響きが出て来たため、この様に次々とピアノ曲を出して聴いているのですが、なんと言っても、低い弦のうなりまで聴けるのは、このギレリスの一連の演奏です。最晩年に録音したシリーズでしたが、あと少しというところで、未完に終わりました。しかし、その残された一つ一つの演奏の素晴らしいできばえには驚かされます。このワルトシュタインの演奏の素晴らしさには、冒頭から息をのみます。強靱な左手と、右手の柔らな表現は、ピアノ演奏の一つの極致だと思います。この演奏が、過不足無く再現されたら装置としては、後は音楽に没頭するだけです。その幸せな境地にユニコーンも入ってきました。誰かに聴かせたいけど、勿体ないと思うほどの変化です。その意味でも、ウィーンとベルリン、そしてコンセルトヘボウの演奏会に行って得たものは大変大きかったです。
反対の意味では、この田部京子さんの録音は、いままで余りよく掛からなかったのです。ピアノ単体の音として収録されているので、会場の変化が聞こえにくい録音でした。それが低域のスケールが出て来て、ピアノ本来の響きが出てくるようになりました。しかし、シャンドスのアルバムの様な会場のアンビアンスは聞こえてきません。器楽演奏としての収録は完璧に入っているのですが、ピアノ演奏としては何かが決定的に掛けているように思うのです。演奏者からは恐らく気に入られているのだと思われますが、演奏者の聴いている音は、彼女以外誰も聴いていない音なのです。
同じ意味で残念だったのがこのチェンバロのゴールドベルグ変奏曲です。会場の床が柔らかいのか、モニター時に聞こえなかったのか、足を踏む音が床鳴りのように聞こえすぎて音楽のながれ静けさを阻害しています。いますこし繊細な収録方法が取れなかったのか、残念におもいました。21日の和波孝禧さんと武久源造さんの共演でバッハを聴きに行きますが、実際のチェンバロではどの様に聞こえるのでしょうか。
by TANNOY-GRF
| 2013-12-07 11:01
| 好きなレコード
|
Comments(9)
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椀方
at 2013-12-08 10:30
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低音域の充実によってピアノ演奏が良くなるのは、正にそうですね。
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TANNOY-GRF at 2013-12-08 19:37
今日は一日中ピアノ曲ばかり聴いていました。東京出張の時は、是非、お寄りください。以前の音とはまったく違います。
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GRF
at 2013-12-10 09:47
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私があまりにもピアノがいいと書くので、常連の友人が二人も聴きに寄りました。そして、確かに!とうなずいて、驚いたといってくれました。
そして、こんなに良い音だと言えてないお前の説明不足だと、おこられました!?
でも、音は聴いてみないと解らないからと弁明すると、もっと、聴ける環境にしろと、またおこられました。
そして、こんなに良い音だと言えてないお前の説明不足だと、おこられました!?
でも、音は聴いてみないと解らないからと弁明すると、もっと、聴ける環境にしろと、またおこられました。
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Bellwood
at 2013-12-10 10:45
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私はデンオン(日本コロンビア)にはちょっと甘めなのですが(笑)
田部京子さんのシューベルトは、彼女にとって比較的若い頃の録音です。デンオンのピアノ録音は、20代のピリスのイイノホールでの収録の頃からスタジオではなくホールを使用しています。そのソリッドな音のとらえ方は一貫していますが、次第に進化しているような気がしています。田部さんの場合は、「ホルベアの時代から」のように石橋メモリアルホールでのDSD収録になったあたりからピアノの響きが刻銘になり、ホール残響とうまく折り合えるようになってきたような気がします。
それ以前の録音では、1996年収録の「プレイアデス舞曲集」がとても見事なピアノ録音で、彼女の代表作でもあり、先日のコンサートでも「真夜中のノエル」(トラック20)が演奏されました。高木裕氏がチューニングしたNYスタインウェイの独特な深い響きの特徴がナチュラルにとらえられていて見事です。
田部京子さんのシューベルトは、彼女にとって比較的若い頃の録音です。デンオンのピアノ録音は、20代のピリスのイイノホールでの収録の頃からスタジオではなくホールを使用しています。そのソリッドな音のとらえ方は一貫していますが、次第に進化しているような気がしています。田部さんの場合は、「ホルベアの時代から」のように石橋メモリアルホールでのDSD収録になったあたりからピアノの響きが刻銘になり、ホール残響とうまく折り合えるようになってきたような気がします。
それ以前の録音では、1996年収録の「プレイアデス舞曲集」がとても見事なピアノ録音で、彼女の代表作でもあり、先日のコンサートでも「真夜中のノエル」(トラック20)が演奏されました。高木裕氏がチューニングしたNYスタインウェイの独特な深い響きの特徴がナチュラルにとらえられていて見事です。
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Bellwood
at 2013-12-10 10:46
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シャンドスの録音は、仰るようにとても素晴らしいですね。T4に変えて低域が充実して、その卓抜したピアノのとらえ方に感服する度合いがさらに増しています。ただ、それはホールトーンのとらえ方というよりは、ピアノ自身の打音と弦や筐体の響きをとらえるマイクセッティングや機材の使いこなしなどの技術が冴えているからだと思うのです。やはりその点ではデンオンのピアノよりも一日の長を感じさせます。実際、田部さんのシャンドス録音は、一般のコンサート会場ではなく放送局のスタジオを使用しています。
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Bellwood
at 2013-12-10 10:47
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武久源造さんの「ゴールトベルク」は、この曲のチェンバロ演奏としては私のイチオシです。
録音レベルが高いので、標準的なボリューム位置では音が大きすぎて化け物のようなチェンバロになってしまいます。アナログ時代からこういう録音レベル設定がほとんどで、実際にナマのチェンバロを聴いたことのない愛好家は、チェンバロの音をとても誤解をしているようです。
システムの能率(感度)やスピードが上がるとよけいその傾向が強くなるようで、このCDはそういうハイレベルのシステムで聴かれるという想定をしていないのかもしれません。かなりボリュームを絞らないと低域の響きが少々現実離れになりがちです。
あまり気にしていなかったのですが、確かに「足音」(?)のような超低域ノイズが入っていますね。ドコ、ドコというような音で、私には「足音」ではなく打鍵で押し込むように叩くときの衝撃でチェンバロ筐体が鳴っているという風に聞こえます。ちょっとイヤな感じがあるのは、そのノイズが床とマイクスタンドを通じてマイクケースから混入しているからなのではないでしょうか。
録音レベルが高いので、標準的なボリューム位置では音が大きすぎて化け物のようなチェンバロになってしまいます。アナログ時代からこういう録音レベル設定がほとんどで、実際にナマのチェンバロを聴いたことのない愛好家は、チェンバロの音をとても誤解をしているようです。
システムの能率(感度)やスピードが上がるとよけいその傾向が強くなるようで、このCDはそういうハイレベルのシステムで聴かれるという想定をしていないのかもしれません。かなりボリュームを絞らないと低域の響きが少々現実離れになりがちです。
あまり気にしていなかったのですが、確かに「足音」(?)のような超低域ノイズが入っていますね。ドコ、ドコというような音で、私には「足音」ではなく打鍵で押し込むように叩くときの衝撃でチェンバロ筐体が鳴っているという風に聞こえます。ちょっとイヤな感じがあるのは、そのノイズが床とマイクスタンドを通じてマイクケースから混入しているからなのではないでしょうか。
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Bellwood
at 2013-12-10 10:49
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この録音は、ふたつの場所がクレジットされています。葉山の旧東伏見宮別邸と秩父ミューズパーク音楽堂です。ほとんどその違いがわかりませんが、私には、単純に前半と後半(第16変奏「フランス風序曲」以降)とで分かれているような気がします。GRFさんのお見立てはいかがでしょうか。
どちらがどちらの場所かということになりますが、録音の日付からすると前半が東伏見宮別邸で後半が秩父ミューズパークという順番が自然ですが、私には逆のように思えます。後半のほうがやや音が騒がしく、ややライブ気味で空間の狭さを感じるからです。秩父ミューズパークは、ステージフロアの響きがよく、ホールが公園の奥に立地していることから周囲環境ノイズが低いので録音エンジニアが好んで使う録音会場です。前述の、田部京子さんの「プレアデス舞曲集」もここで録音されています。
武久さんと和波さんのコンサート、お楽しみ下さい。
どちらがどちらの場所かということになりますが、録音の日付からすると前半が東伏見宮別邸で後半が秩父ミューズパークという順番が自然ですが、私には逆のように思えます。後半のほうがやや音が騒がしく、ややライブ気味で空間の狭さを感じるからです。秩父ミューズパークは、ステージフロアの響きがよく、ホールが公園の奥に立地していることから周囲環境ノイズが低いので録音エンジニアが好んで使う録音会場です。前述の、田部京子さんの「プレアデス舞曲集」もここで録音されています。
武久さんと和波さんのコンサート、お楽しみ下さい。
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GRF
at 2013-12-10 10:58
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Bellwoodさん
私はデンオン(日本コロンビア)にはちょっと辛めなのですが(笑)
おっしゃられるとおり、石橋メモリアルホールでのDSD収録になったあたりからピアノの響きが克明になり、ホール残響とうまく折り合えるようになってきたような気がします。それ以前のデンオンの録音は、ピアノをホールに響く楽器と捉えず、Jazzのドラム録音の様に、音の発生源としか捉えていませんでした。不要な残響は、録音の敵だとさえ考えていたようです。
だから、演歌のピアノのようなベタな音で捕らえられています。鍵盤を打つタッチが捕らえられていないのです。その点シャンドスの録音は、まさにホールでのピアノの音が聞こえるし、演奏者の意図が聞こえるのです。
低音が出て来たユニコーンでは、その差がまた拡大しました。
私はデンオン(日本コロンビア)にはちょっと辛めなのですが(笑)
おっしゃられるとおり、石橋メモリアルホールでのDSD収録になったあたりからピアノの響きが克明になり、ホール残響とうまく折り合えるようになってきたような気がします。それ以前のデンオンの録音は、ピアノをホールに響く楽器と捉えず、Jazzのドラム録音の様に、音の発生源としか捉えていませんでした。不要な残響は、録音の敵だとさえ考えていたようです。
だから、演歌のピアノのようなベタな音で捕らえられています。鍵盤を打つタッチが捕らえられていないのです。その点シャンドスの録音は、まさにホールでのピアノの音が聞こえるし、演奏者の意図が聞こえるのです。
低音が出て来たユニコーンでは、その差がまた拡大しました。
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GRF
at 2013-12-10 11:30
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Bellwoodさん
どちらが、どちらとは行ったことがないので、言えませんが、音は明らかに異なります。
厳密に暗騒音を聴き比べたわけではないですが、冒頭からの演奏をA会場とすると、B会場の音は、13・16・20・21・25・26そして最後の32番だと私には思われます。
私にとって一番問題なのは、CDの収録された音が大きすぎると言うことです。ご一緒に行った曽根麻矢子さんは眼前1メートルでしたが、こんなにうるさい音はしませんでした。
CDは怖いもので、後々残ります。これは演奏より録音と製盤の問題です。家のユニコーンがどれだけ低音を再現できているかの試金石にはなりますが、音楽と音をはき違えているのではないでしょうか?チェンバロの音を収録するのなら、少なくと6db下げてCDを作って貰いたかったです。初期のデンオンと同じ問題ですね。
21日の武久さんと和波さんのコンサートは楽しみにしています。
どちらが、どちらとは行ったことがないので、言えませんが、音は明らかに異なります。
厳密に暗騒音を聴き比べたわけではないですが、冒頭からの演奏をA会場とすると、B会場の音は、13・16・20・21・25・26そして最後の32番だと私には思われます。
私にとって一番問題なのは、CDの収録された音が大きすぎると言うことです。ご一緒に行った曽根麻矢子さんは眼前1メートルでしたが、こんなにうるさい音はしませんでした。
CDは怖いもので、後々残ります。これは演奏より録音と製盤の問題です。家のユニコーンがどれだけ低音を再現できているかの試金石にはなりますが、音楽と音をはき違えているのではないでしょうか?チェンバロの音を収録するのなら、少なくと6db下げてCDを作って貰いたかったです。初期のデンオンと同じ問題ですね。
21日の武久さんと和波さんのコンサートは楽しみにしています。