2006年 12月 31日
音楽再生の長い道 |
年末のレコード鑑賞会兼忘年会に久しぶりに来てくれた友人が、SD05の音を聴き、ポツリと言いました。昔、モノーラルの加藤さんのところで聴いたトスカニーニのレコードが有るかなと?
もう、三十年以上前の事でした。加藤研の加藤秀夫さんのところで、すべて完全自作の装置を聴かせていただいたのは。加藤氏は、ステレオのカートリッジの制作にも寄与した技術者でしたが、ご自分の装置は、生涯モノーラルを通されました。低音は木製のホーンロードが掛かったMFBのウーハーで、中音は同じく木製のマルチセルラホーン、高音はマッシュルーム・ベルと呼ばれたホーンでいずれも、MFBで制御されていました。戦前からの天井の高い洋室で18畳ぐらい有ったのでしょうか、左側に中音ホーン、右側に低音ホーンと高音ホーンでした。
奥行きのある静かな音で、有名な超軽針圧のモノラル自作カートリッジで、デッカの録音のフィストラーリのバレー曲を聴かせていただきました。何回かお邪魔させていただく内に、以前にも書いたムラヴィンスキーの公演を最前列で聴かれていたことを思い出します。あの時、あの時代で終焉を迎えていたモノラルレコードを聴かせていただいた経験は、生涯のオーディオ人生に影響を与えてくれました。確かに加藤氏の音は再生装置ではなく音楽が鳴っておられました。
それと反対のアプローチは、高城重躬先生のお宅でした。ウィーンのムジークフェラインザールの前で、お目に掛かった私は、帰国後ご連絡をさしていただき、先生の有名なお部屋にお伺いすることが出来ました。昨日お越しいただいたM.Aさんが、オール後藤ホーンをされていた頃ですから、ゴトーホーンの生みの親でも有る高城先生のお家訪問は願ってもない事でご一緒にお邪魔させていただきました。ウィーンでの音楽の事やシュタインウェイのピアノ、絶対音感について、鉱石ラジオ、テープ録音、残響の付加、ホーンロードのお話しと大変多くの事を学びました。先生が自らお引きになられたピアノ録音をお聴ききして、その音のリアリティに本当に驚きました。
しかし、レコードに関してはあれは作られた音で、真のHiFi装置では逆にいい音はしない場合もあると、諦観を持たれていたのが印象的でした。その頃氏はFM放送のHiFiクラブで、毎月優秀録音を推奨されていたのに、意外な感じがしたのも事実です。氏の目指されているレベルではレコードは無かったのだと思います。そこから、有名な五味康介氏との問題も生まれたようです。徹底したリアリストの音楽家と夢想が生涯の目的にもなったロマンチストとのすれ違いでもあるわけです。
その他、あの時代の先生達のお宅を訪問する機械や教えをいただく機会も幸運にもいただき徐々にオーディオ=音楽鑑賞の方向に向かっていきました。
オーディオが、商売的に成り立つ様になってきたのは、いつの頃からなのでしょう?電気技術専門誌だけではなく高級オーディオ誌が世の中に出てから、少しづつ変わってきたように思います。その役割の中で、五味康介氏の役割は大きかったと思います。また、瀬川冬樹氏の分かりやすく格調の有る語り口は、菅野沖彦氏や山中敬三氏とは対極に有る展開で、オーディオ界をリードしていきました。その瀬川氏は、CD登場前夜に去られたわけですが、もしご存命ならどのような展開になったか、想像してみると現在のオーディオ界の問題が浮き彫りにされるようです。我が国のオーディオ評論家の築いてきた歴史は、他の国には無い特別な状況です。
海外にもケスラー氏のような存在もおりますが、オーディオ誌の影響よりも、オーディオ販売店の力が大きく左右しています。イギリスを頻繁に訪れていた頃、オクスフォードのオーディオ店で話したことがありました。彼らのディープな語り口と推奨する機器への愛情、そして、顧客の家で設置調整のこだわりに感心しました。
日本のオーディオ店で、本当にお客さんの家にまで出かけ、いい音がするように調整されているオーディオ店は、数えるほどしか有りません。中途半端で頭でっかちになった、オーディオ初心者の運転を放任することにより、売り上げを上げている高級オーディオ店がいかに多いか、とても残念に思います。お客の文化水準に立ち、音楽の教養を揃えるべく努力をして、お客様の自主性を尊重しつつ、プロとして正しい方向に導く、これが少なくとも平均年収以上の機器を扱ってる高級店の有るべき姿だと思います。販売員の向いている方向が、自らの利益と輸入代理店を通じたメーカーの利益だけでは、賢明なユーザーはそっぽを向き始めるでしょう。
オーディオが、音だけの楽しみではなく、音楽を聴く手段であるという認識を常に持ち、尊敬を畏敬の念を持って顧客と接しない限り、ごく一部のお金持ちだけのオーディオ店になっていきます。
CDが出現して、四半世紀、ようやくCD本来の器の大きさが見えてきたようです。そして、新しい時代の音が、古くからの遺産を受け入れ、再生できる時代に入ってきました。破綻する地方行政の様に、安易に箱ものを販売するようなオーディオ業界ではなく、ソフトや使いこなしの、普及とサービスに努めなければ、古くから継承してきたオーディオの先達の技術が失われオークションで切り売りされてしまいます。中古価格市場のすう勢で自分のオーディオ機器を購入するのでは余りにも淋しい人生になってしまいます。それらの状況を生みだしてしまった現在のインターネットを、もっと前向きに建設的に活用していきたいと年末に思いました。
深夜、何十年もの熟成を終えて樽から目覚めた古酒のように、新しい時代の空気に触れ、新鮮な匂いが経っていくように、GRFから奏でられる深遠な音楽を聴いていると、21世紀の新しい時代に到達した喜びを感じます。そして、現在世界中に無数に有るCDから、演奏者の意気込み、練達の技、聴いている会場の聴衆の呼吸、演奏者の「気」を感じる音を聴ける幸せに感謝せざるを得ません。
再生される音は、その人の今までの人生です。どこまで広く、深く、経験してきたかが、そのまま表れてしまう心の鏡でもあります。書斎の本を見ただけでその人の成り立ちが分かるような恐ろしい事なのかも知れません。SD05をきっかけとし、いろいろな人生を歩まれてこられた達人との交流を通じて、多くの未知の分野について学んでいきたいと心から願っております。ご精読を感謝いたします。
良いお年をお迎え下さい。
もう、三十年以上前の事でした。加藤研の加藤秀夫さんのところで、すべて完全自作の装置を聴かせていただいたのは。加藤氏は、ステレオのカートリッジの制作にも寄与した技術者でしたが、ご自分の装置は、生涯モノーラルを通されました。低音は木製のホーンロードが掛かったMFBのウーハーで、中音は同じく木製のマルチセルラホーン、高音はマッシュルーム・ベルと呼ばれたホーンでいずれも、MFBで制御されていました。戦前からの天井の高い洋室で18畳ぐらい有ったのでしょうか、左側に中音ホーン、右側に低音ホーンと高音ホーンでした。
奥行きのある静かな音で、有名な超軽針圧のモノラル自作カートリッジで、デッカの録音のフィストラーリのバレー曲を聴かせていただきました。何回かお邪魔させていただく内に、以前にも書いたムラヴィンスキーの公演を最前列で聴かれていたことを思い出します。あの時、あの時代で終焉を迎えていたモノラルレコードを聴かせていただいた経験は、生涯のオーディオ人生に影響を与えてくれました。確かに加藤氏の音は再生装置ではなく音楽が鳴っておられました。
それと反対のアプローチは、高城重躬先生のお宅でした。ウィーンのムジークフェラインザールの前で、お目に掛かった私は、帰国後ご連絡をさしていただき、先生の有名なお部屋にお伺いすることが出来ました。昨日お越しいただいたM.Aさんが、オール後藤ホーンをされていた頃ですから、ゴトーホーンの生みの親でも有る高城先生のお家訪問は願ってもない事でご一緒にお邪魔させていただきました。ウィーンでの音楽の事やシュタインウェイのピアノ、絶対音感について、鉱石ラジオ、テープ録音、残響の付加、ホーンロードのお話しと大変多くの事を学びました。先生が自らお引きになられたピアノ録音をお聴ききして、その音のリアリティに本当に驚きました。
しかし、レコードに関してはあれは作られた音で、真のHiFi装置では逆にいい音はしない場合もあると、諦観を持たれていたのが印象的でした。その頃氏はFM放送のHiFiクラブで、毎月優秀録音を推奨されていたのに、意外な感じがしたのも事実です。氏の目指されているレベルではレコードは無かったのだと思います。そこから、有名な五味康介氏との問題も生まれたようです。徹底したリアリストの音楽家と夢想が生涯の目的にもなったロマンチストとのすれ違いでもあるわけです。
その他、あの時代の先生達のお宅を訪問する機械や教えをいただく機会も幸運にもいただき徐々にオーディオ=音楽鑑賞の方向に向かっていきました。
オーディオが、商売的に成り立つ様になってきたのは、いつの頃からなのでしょう?電気技術専門誌だけではなく高級オーディオ誌が世の中に出てから、少しづつ変わってきたように思います。その役割の中で、五味康介氏の役割は大きかったと思います。また、瀬川冬樹氏の分かりやすく格調の有る語り口は、菅野沖彦氏や山中敬三氏とは対極に有る展開で、オーディオ界をリードしていきました。その瀬川氏は、CD登場前夜に去られたわけですが、もしご存命ならどのような展開になったか、想像してみると現在のオーディオ界の問題が浮き彫りにされるようです。我が国のオーディオ評論家の築いてきた歴史は、他の国には無い特別な状況です。
海外にもケスラー氏のような存在もおりますが、オーディオ誌の影響よりも、オーディオ販売店の力が大きく左右しています。イギリスを頻繁に訪れていた頃、オクスフォードのオーディオ店で話したことがありました。彼らのディープな語り口と推奨する機器への愛情、そして、顧客の家で設置調整のこだわりに感心しました。
日本のオーディオ店で、本当にお客さんの家にまで出かけ、いい音がするように調整されているオーディオ店は、数えるほどしか有りません。中途半端で頭でっかちになった、オーディオ初心者の運転を放任することにより、売り上げを上げている高級オーディオ店がいかに多いか、とても残念に思います。お客の文化水準に立ち、音楽の教養を揃えるべく努力をして、お客様の自主性を尊重しつつ、プロとして正しい方向に導く、これが少なくとも平均年収以上の機器を扱ってる高級店の有るべき姿だと思います。販売員の向いている方向が、自らの利益と輸入代理店を通じたメーカーの利益だけでは、賢明なユーザーはそっぽを向き始めるでしょう。
オーディオが、音だけの楽しみではなく、音楽を聴く手段であるという認識を常に持ち、尊敬を畏敬の念を持って顧客と接しない限り、ごく一部のお金持ちだけのオーディオ店になっていきます。
CDが出現して、四半世紀、ようやくCD本来の器の大きさが見えてきたようです。そして、新しい時代の音が、古くからの遺産を受け入れ、再生できる時代に入ってきました。破綻する地方行政の様に、安易に箱ものを販売するようなオーディオ業界ではなく、ソフトや使いこなしの、普及とサービスに努めなければ、古くから継承してきたオーディオの先達の技術が失われオークションで切り売りされてしまいます。中古価格市場のすう勢で自分のオーディオ機器を購入するのでは余りにも淋しい人生になってしまいます。それらの状況を生みだしてしまった現在のインターネットを、もっと前向きに建設的に活用していきたいと年末に思いました。
深夜、何十年もの熟成を終えて樽から目覚めた古酒のように、新しい時代の空気に触れ、新鮮な匂いが経っていくように、GRFから奏でられる深遠な音楽を聴いていると、21世紀の新しい時代に到達した喜びを感じます。そして、現在世界中に無数に有るCDから、演奏者の意気込み、練達の技、聴いている会場の聴衆の呼吸、演奏者の「気」を感じる音を聴ける幸せに感謝せざるを得ません。
再生される音は、その人の今までの人生です。どこまで広く、深く、経験してきたかが、そのまま表れてしまう心の鏡でもあります。書斎の本を見ただけでその人の成り立ちが分かるような恐ろしい事なのかも知れません。SD05をきっかけとし、いろいろな人生を歩まれてこられた達人との交流を通じて、多くの未知の分野について学んでいきたいと心から願っております。ご精読を感謝いたします。
良いお年をお迎え下さい。
by TANNOY-GRF
| 2006-12-31 14:13
| オーディオ雑感
|
Comments(2)
Commented
by
田舎GRF
at 2007-01-02 19:52
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なかなかお待ちしていても新年のご挨拶が無いのでこちらから失礼致します。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
いつも私のブログ見て頂いてありがとうございます。
こちらの内容見させて頂いて、ただただ神々しいばかりの内容でいつも唖然としております。
オーディオ云々とゆう前に私よりも10年近く前から音楽のよき時代を味わって生きて来られた事に尊敬の念を抱きます。
いくらあがいても私には経験出来ない事が多く、出来ればここで多くの経験を語って頂ければ嬉しいです。
ずっと前のムラヴィンスキーの追っかけの話はとても面白く読ませて頂きました。
これからも、貴重な経験を文章に載せて味あわせて頂けたら幸せです。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
いつも私のブログ見て頂いてありがとうございます。
こちらの内容見させて頂いて、ただただ神々しいばかりの内容でいつも唖然としております。
オーディオ云々とゆう前に私よりも10年近く前から音楽のよき時代を味わって生きて来られた事に尊敬の念を抱きます。
いくらあがいても私には経験出来ない事が多く、出来ればここで多くの経験を語って頂ければ嬉しいです。
ずっと前のムラヴィンスキーの追っかけの話はとても面白く読ませて頂きました。
これからも、貴重な経験を文章に載せて味あわせて頂けたら幸せです。
Commented
by
TANNOY-GRF at 2007-01-02 20:18
田舎GRFさま、新年明けましておめでとうございます。年末まで開店しておりましたので、新年はゆっくりお休みを取らせていただいていました。今年は新しい企画を考えてはいるのですが、なかなか実現に時間が取られそうです。今年もよろしくご指導下さい。