2010年 07月 17日
ステレオ再生について |
左右の位相差を拾って空間を再構成するステレオの効果は、オーディオの歴史の中でも特筆すべき発見でした。20世紀の初めに偶然、左右に別々の電話機を使って別の会場の音を聴いた時、音の広がりを発見したそうです。その時の技術者の驚きは如何ばかりのものだったでしょう。レコードを収録するとき、一旦テープレコーダーで録る様になってから、テープを二つのチャンネルに分けるのは難しくなくなりました。ステレオとモノが共有していた初期の10年間ぐらいは、3チャンネルのテープレコーダーを使用して、左右の音をミックスしたり、真ん中のトラックをモノ用に使ってしたりしていたぐらいです。
しかし、その音をそのままレコードにはできませんでした。ステレオレコードの構造上、溝との制約から低音部までセパレーションを持たせられないからです。また,一つの針の90度違った動きを別々のコイルで受けるという、神業にも近いカートリッジは驚嘆に値しますが、一本の針を使用している限りどうしても影響は避けられません。レコードの発明につぎ込まれた知恵の集中と情熱は、驚くべきものがありました。まるで音速を突破するチャレンジを続けるテストパイロットのような努力です。それもレコードをあの簡単な形して普及させる為でした。
それ以前には、ステレオを再生する手段は、2トラックのテープしか有りませんでした。テープの音は今聴いてもなかなか及ばない素晴らしいレベルですが、取り扱い上制約が有ります。一旦聴き始めたら最後まで聴き通さなければならないからです。好きなところからとか、二楽章から聴くという事も簡単にはできません。それにテープは生産にも大変手間が掛かり高価でした。一部の好事家には良くてもとても一般には普及はしなかったでしょう。
ステレオサウンドの本格的な再現はCDの時代まで掛かったのです。しかし、そのデジタル技術の普及も最初はスタジオから始まりました。その頃には24チャンネルにもなった2インチ・5センチ幅のテープの代わりの多重録音用に応用されたのです。多重録音はモノラル音を集約して擬似的にステレオ空間をつくる技術です。そこには元の空間は存在しません。音を作るミキサーの頭の中にしかないのです。それをステレオと思って再現している限り本当の音は聞けません。マルチモノの再生をしているだけです。当然その音は音楽空間の再現ではなく、再生帯域の拡大方向に行ったのです。4ウェイ、5ウェイとマルチアンプ、マルチスピーカーの方向へ拡大していきます。そして泥沼に陥っていくのです。
本来のステレオ空間が収録されているレコードも以上の様な理由から少なくなりましたが、その意味ではCDの普及と録音の費用的な制約新しい録音ができなくなり、昔の録音が再発としてCDから大量に出始めたのは僥倖でした。シンプルに収録された昔の録音に含まれている本当のステレオサウンドが蘇ったからです。Living Stereo シリーズや35mm幅のテープで収録されたマーキュリーの録音などが代表です。また、膨大なEMIやDGGの録音が、オリジナルシリーズとして再発されてきたのです。それらの音源には、会場のアンビエンスが含まれている宝物のような音源です。正確に再現すればその大空間が目の前に出現します。ボリュームはその空間の大きさを変えるだけです。
本ブログを始めてから4年間、何度も同じ事を言ってきました。また実際にこの部屋で聴かれた方々からは、真のステレオ録音の可能性に触れられたご感想もいっていただきました。部屋が簡単に演奏会場に変わる奇跡のような感動を味わっていただきました。最近、マスターテープの再生まで拡げた理由は、あくまでも本来収録された音のまま再現がしたかったからです。自分でCDを作成してみて、どの段階で音の劣化が始まるかを実感したからです。音を収容する器の大きさをいくら大きくしても、音の質は変わりません。大きなお皿をいくらつくっても料理の味には余り影響が無いのと同じです。それよりも他にすることがあるはずです。
リニア収録ではなく、圧縮されたMP3の音を聴いて、余り変わらない様な音を聴いているとしたら、それだけの再現能力しか無い器で再現しているのです。音の濃さと音の広さを混同しては行けません。生演奏は濃い音は決していないからです。オーディオ的な快感を追う路と音楽を素直に受け止めるオーディオは、同一次元ではないからです。
・・・どうやら時差ぼけがまだ直っていないようです。久しぶりのGRFの音の感動から、よけいなことを話しているようです。本来は自分の限られた時間を膨大な数にふくれあがったレコードやテープのアーカイブの整理と再生に徹していれば良いのですが、、、。
(時差ボケの直らない早朝、梅雨が明けて東の空が輝いてきました。ビルの合間に見られないものが、、、建設中の新東京タワー・スカイツリーですね。どうやら家からはアンテナが見えそうです。)
しかし、その音をそのままレコードにはできませんでした。ステレオレコードの構造上、溝との制約から低音部までセパレーションを持たせられないからです。また,一つの針の90度違った動きを別々のコイルで受けるという、神業にも近いカートリッジは驚嘆に値しますが、一本の針を使用している限りどうしても影響は避けられません。レコードの発明につぎ込まれた知恵の集中と情熱は、驚くべきものがありました。まるで音速を突破するチャレンジを続けるテストパイロットのような努力です。それもレコードをあの簡単な形して普及させる為でした。
それ以前には、ステレオを再生する手段は、2トラックのテープしか有りませんでした。テープの音は今聴いてもなかなか及ばない素晴らしいレベルですが、取り扱い上制約が有ります。一旦聴き始めたら最後まで聴き通さなければならないからです。好きなところからとか、二楽章から聴くという事も簡単にはできません。それにテープは生産にも大変手間が掛かり高価でした。一部の好事家には良くてもとても一般には普及はしなかったでしょう。
ステレオサウンドの本格的な再現はCDの時代まで掛かったのです。しかし、そのデジタル技術の普及も最初はスタジオから始まりました。その頃には24チャンネルにもなった2インチ・5センチ幅のテープの代わりの多重録音用に応用されたのです。多重録音はモノラル音を集約して擬似的にステレオ空間をつくる技術です。そこには元の空間は存在しません。音を作るミキサーの頭の中にしかないのです。それをステレオと思って再現している限り本当の音は聞けません。マルチモノの再生をしているだけです。当然その音は音楽空間の再現ではなく、再生帯域の拡大方向に行ったのです。4ウェイ、5ウェイとマルチアンプ、マルチスピーカーの方向へ拡大していきます。そして泥沼に陥っていくのです。
本来のステレオ空間が収録されているレコードも以上の様な理由から少なくなりましたが、その意味ではCDの普及と録音の費用的な制約新しい録音ができなくなり、昔の録音が再発としてCDから大量に出始めたのは僥倖でした。シンプルに収録された昔の録音に含まれている本当のステレオサウンドが蘇ったからです。Living Stereo シリーズや35mm幅のテープで収録されたマーキュリーの録音などが代表です。また、膨大なEMIやDGGの録音が、オリジナルシリーズとして再発されてきたのです。それらの音源には、会場のアンビエンスが含まれている宝物のような音源です。正確に再現すればその大空間が目の前に出現します。ボリュームはその空間の大きさを変えるだけです。
本ブログを始めてから4年間、何度も同じ事を言ってきました。また実際にこの部屋で聴かれた方々からは、真のステレオ録音の可能性に触れられたご感想もいっていただきました。部屋が簡単に演奏会場に変わる奇跡のような感動を味わっていただきました。最近、マスターテープの再生まで拡げた理由は、あくまでも本来収録された音のまま再現がしたかったからです。自分でCDを作成してみて、どの段階で音の劣化が始まるかを実感したからです。音を収容する器の大きさをいくら大きくしても、音の質は変わりません。大きなお皿をいくらつくっても料理の味には余り影響が無いのと同じです。それよりも他にすることがあるはずです。
リニア収録ではなく、圧縮されたMP3の音を聴いて、余り変わらない様な音を聴いているとしたら、それだけの再現能力しか無い器で再現しているのです。音の濃さと音の広さを混同しては行けません。生演奏は濃い音は決していないからです。オーディオ的な快感を追う路と音楽を素直に受け止めるオーディオは、同一次元ではないからです。
・・・どうやら時差ぼけがまだ直っていないようです。久しぶりのGRFの音の感動から、よけいなことを話しているようです。本来は自分の限られた時間を膨大な数にふくれあがったレコードやテープのアーカイブの整理と再生に徹していれば良いのですが、、、。
by TANNOY-GRF
| 2010-07-17 01:46
| オーディオ雑感
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