2011年 08月 23日
夏の一日 前編 |
「GRFのある部屋」さんのお宅にお邪魔した。 都会の喧噪から離れた静かな住宅街の一角にGRF邸はあった。 さっそく「GRFの部屋」に案内していただくと、WEBで見慣れた風景がそこにあった。 しばし歓談していろいろな話をする。
我が家でもそうなのだが、実はこの時間が大切。ある程度部屋の響きに慣れてからの方がすんなりと音楽に入って行ける。もっともGRFのある部屋は、慣れなければいけないような不自然な癖はなく、話し声も奇麗に通るし、響きも美しい。 聞けば細部にまで拘り、いろいろな工夫をこらした部屋であることを教えてもらった。「では、そろそろ、、、」 とGRFさんが動いた。最初は基本であるタンノイGRFからだ。
ソースはCDでもLPでもない。ベルリンフィルのデジタルコンサートという、PCによるストリーミングコンテンツ再生だった。 このWEBが提供するコンテンツはベルリンフィル好きを自認する方なら、絶対に会員になって楽しむべきだ。積極的なファンではない私ですら、その誘惑にかられるほど素晴らしい。 曲はマーラーの「大地の歌」指揮者はアバド。演奏はもちろんベルリンフィルだ。目の前におかれたMacbook Proに美しいHD映像が描き出され、やがて演奏が始まる。
驚いた。
とにかく、その圧倒的なスケール感はまさにこの空間をコンサートホールにワープさせる。乏しいホール体験ではあるが、これは確かに生のホールの質感を色濃く反映した、HIFI再生である。グランカッサがガツンとなり、金管が咆哮し、そして弦はしなやかに甘く旋律を奏でる。テノールもソプラノも目の前に確かに居るのだ。
実は私はタンノイの本物の大型システムをまともに聴いたのは初めてで、GRFのなんたるかに関して発言するほどの知識も経験もない。 だが、これだけは断言できる。このサウンドは一朝一夕に出せるものではなく、強い信念と確信に裏付けられたGRFさんの人生そのものだと思った。
コンビネーションホーンという特異な形状のエンクロージャにも関わらず、カー・コーいうようなホーン特有の癖がなく、とにかく、全てが音楽に寄与していることしか感じない。 試聴位置により、それはあたかもホールでの席を移動するかのような、音の違いを一つの部屋に居ながらに楽しめる。その日の気分と演奏で、かぶり付きから二階席からの睥睨までが楽しめるわけだ。 試聴位置を変える事を積極的に推奨するオーディオ演奏を初めて体験した。
次いで、CDをリッピングしたHDDレコーダによるリニアPCMコンテンツに演奏が切り替わる。 デジタルコンサートの見事な音が実はAACであったことに驚いたが、リニアPCMはまたさらに良い。 ジャズの分厚いサウンドもガンガン来る。その昔、菅野先生や井上先生がオートグラフでジャズやロックを聴く楽しさを語られていたが、GRFさんの演奏を聴けばそれが素直に納得出来る。
私も長年オーディオをやってきたし、おかげさまで素晴らしい仲間にも恵まれ、見事なオーディオ演奏は日常的に体験してきた。 ワインが天・地・人で決まるなら、オーディオは装置・部屋・人だろう。 GRFさんのサウンドはあらためてそれを教えてくれる。
GRFでの演奏をひとしきり聴かせていただいたあと、GRFさんは実験と称してT4によるニアフィールドリスニングを披露してくれた。 音色にばかり着目していると、このリスニング方法が持っている、驚くべき可能性を見逃すことになる。 床に置かれたT4への視線をGRFのユニット交点あたりにふっと持ち揚げた時、T4のサウンドはGFRのサウンドに変貌した。
イリュージョンには違いないが、ステレオは基本的にイリュージョン。これを楽しましない手はない。全く違うスピーカゆえ、もちろん同じ音になったりしないが、それでも、そのスケール感は小型スピーカへの偏見を一蹴するだろう。 これもまた、GRF流なのだ。
ここまでで、日も暮れかけて来た。
いよいよこの日の白眉とも言える第三部に入って行く。
夜香
by TANNOY-GRF
| 2011-08-23 17:49
| 来たり
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