2014年 01月 31日
I.Kさんより第二信 |
GRF様
こんばんは。富士山の美しい写真拝見しています。富士山はほんとうにいろんな魅力を持っていますね。
アバドのこと、即日コメントされていましたね。彼もイタリア人だったわけですが、わたしには余り派手で快楽的なイメージは感じていませんでした。もちろんイタリア人もいろいろでしょうが。若い頃のメンデルスゾーンの交響曲やグルダピアノのモーツァルトピアノコンチェルト20番のバック、ウィーンフィルとのマーラー10番アダージョなどの名演奏は確かに記憶に残っていてもその他はアバドでなければと思うほどのことはありませんでした。ライブではウィーンフィルを指揮してベートーヴェン5番6番を大阪ザ・シンフォニーホールで聴いたのですが、その時はもちろん興奮しましたが、記憶に残る名演奏ではなかったのです。
でも彼は晩年化けました。わたしはベルリンフィルとのライブ録音、マーラー9番が何とも凄いと感じたのを記憶しています。演奏終了後何と数分して拍手が始まっています。こんなことは先ずあり得ない、聴衆も余程集中していたのでしょう。ベルリンに滞在したとき、実際にそんな体験をした現地のマニアからも似た話しを聴きました。彼はアバドが戻ってきたときは奇跡が起こっていると言っていました。と同時にベルリンフィルがラトルを後任に選んだことは失敗であったことも。ガンを患ったことが、残り約10年の間彼の真価を発揮せしめたとすれば人間とは何と悲しい存在なのでしょうか。そんな気がします。
是枝さんも若くからその道でラジオ技術紙上などで活躍されていましたが、わたしは技術は解りませんが、かなり昔からから一部文章も知っていましたし、30年近く前からお店に通っていました。でもあの阪神大震災の年の脳溢血から快復して数年後、ご本人曰く「それ以前のアンプは全くの駄作だった」とのこと。死の淵を垣間見た後こそが真のアンプ作りだったとのことですから、本質はアバドの場合と同じなのでしょうね。
相変わらずその是枝さん畢生の大作の新しいプリアンプで再発見、新発見を続けています。最初の頃は選りすぐりの好きな演奏ばかりを聴いていたのですが、時間と共に幅を広げています、そうすると今までそれ程でもないと感じていた演奏が、いや中々いいじゃないかと思い直すことがいくらも出てきます。
ショパンのバラードが好きで何枚も持っています、多分十数枚、一番好きなのはやはりツィマーマン、エーデルマン、全曲ではないですがホロヴィツなどです。以前期待して買ってたルイサダの演奏がどうもダメだったのですが、日曜の朝ひょっとしてと思い聴き直し何だ何だやはり素晴らしい演奏だった・・・と感じた次第。
今までの名録音名演奏はもちろんこれは更に素晴らしくなるのですが、そうでもなかったかなりの演奏も全部ではないでしょうがより味わい深いものに変化するようです。レコード、CDがメジャーレーベルから発売されるほどの演奏家ならばやはりそれなり、かなりの演奏をしていたことです。ですからオーディオがレベルアップすればするほど、ある意味決定的名盤は消えてゆきます。芸術に絶対的ベストワンは存在しないのでしょう。もしくはいくつも存在するというべきでしょうか。
人は自分の装置の影響を受けずにその演奏を評価することなどできない、そう感じます。増してわれわれのようなオーディオファイルであれば尚更です。皆自分の器の中で絵を描いている、そんな気がします。
もちろん音楽ファン誰しもが最高の装置など持てるわけないのですが、そこは五味さんの言われたバランスでしょうか。バランスが整っていればかなりのレコード演奏は可能と感じます。ただこのバランスを知るのにも実はかなりの経験というか授業料は必要でしょうが。多くのそこそこの装置を導入された方のお宅で大半が低音不足、緊張感の高い音のままで聴いておられます。多くの方がオーディオ店が設置したそのままで何年も聴いておられるとのことです。
レコード演奏だけでなく、ライブの演奏会評価もホールが違えばかなり違ってきます。ウィーンフィルなどはやはりあのムジークフェラインでの演奏に尽きるのではないかと思います。他のホールではウィーンフィルは一流のオーケストラではあっても超一流ではありません。ムジークフェラインでこそ、彼らの音楽の神は宿っているようです。わたしはあのホールでウィーンフィルを聴いたのは多分2度だけですが、そう感じています。
他のオーケストラでは多分十数回聴いてはいますが、純正組み合わせ、笑い、は2度だけのはずです。あのホールで意外と素晴らしかったのはウィーン交響楽団です、やはり普段から使い切っている慣れたホールと云うことなのでしょう。レコード演奏ももライブ演奏も同じことなのでしょうね。装置により、ホールにより名演は生まれる、器により全く違うと云うことです。
先日わがリスニングルームに駆けつけてくれた友人は「今回は純粋に演奏を聴いている気がする 」そんな言葉を述べていました。これもある意味至言です。わたしも年末プリアンプ導入初日に興奮の余り、もう演奏会に行かなくてもいい、ウィーンに飛ばなくてもいい、そんな気にさえなりました。ライブがそこにあるからです。そんなことを以前のメールで書いたのではないでしょうか、笑い。
それと今回のプリアンプを年末にセッティングしてほとんどその後は調整していません。一度だけ電源ケーブルを繋ぎ替えましたが、大した変化はなく直ぐに元に戻しました。つまりまるで繋ぎっぱなしで他の部分も全くといっていいほど触っていません。これは自称オーディオテクニックを誇るわたしとしては、笑い、たいへん珍しいことです。多分こんなことは初めてです。
つまり今のところそんな気にならない、ただ聴き込むだけ、というところです。
只管打座(しかんだざ) 漢字も少し怪しいのですが、こんな言葉を禅の教えで読んだことがあります。ひたすら座ってただ座って悟りを拓くことを意識せずただ座るのような意味だったかと思いますが、今回の場合はひたすら聴けば良いと云うことのようです。只管打聴 でしょうか?
ただし、人間というものは困ったものでどんな美女との逢瀬も慣れという恐ろしい現象がやってきます。何度も経験していることですが、笑い。もちろん聴き込むべきめぼしいソフトがまだまだありますから大丈夫でしょうが。もう一月もすればオーディオ的驚きは減ってゆきまたまたいろんな調整を繰り返しているのかもしれません、わたしを最もよく知る妻は既にそんな予言をしております、笑い。
それと五味さんは57歳で亡くなられ、確か瀬川さんは46歳でした。多分最後の頃には究極の音で聴かれていたでしょう。こちらは全く凡才なものでもう還暦を過ぎましたが、究極の音を聴いてしまえばそれまでなのかもしれません、笑い。
春にGRFさんにお越しいただく頃には妻の予言通りまたまたあちらを触り、こちらを動かしとなっているかもしれません・・・ それが平和なオーディオ生活なのでしょう、笑い。
I.K
こんばんは。富士山の美しい写真拝見しています。富士山はほんとうにいろんな魅力を持っていますね。
アバドのこと、即日コメントされていましたね。彼もイタリア人だったわけですが、わたしには余り派手で快楽的なイメージは感じていませんでした。もちろんイタリア人もいろいろでしょうが。若い頃のメンデルスゾーンの交響曲やグルダピアノのモーツァルトピアノコンチェルト20番のバック、ウィーンフィルとのマーラー10番アダージョなどの名演奏は確かに記憶に残っていてもその他はアバドでなければと思うほどのことはありませんでした。ライブではウィーンフィルを指揮してベートーヴェン5番6番を大阪ザ・シンフォニーホールで聴いたのですが、その時はもちろん興奮しましたが、記憶に残る名演奏ではなかったのです。
でも彼は晩年化けました。わたしはベルリンフィルとのライブ録音、マーラー9番が何とも凄いと感じたのを記憶しています。演奏終了後何と数分して拍手が始まっています。こんなことは先ずあり得ない、聴衆も余程集中していたのでしょう。ベルリンに滞在したとき、実際にそんな体験をした現地のマニアからも似た話しを聴きました。彼はアバドが戻ってきたときは奇跡が起こっていると言っていました。と同時にベルリンフィルがラトルを後任に選んだことは失敗であったことも。ガンを患ったことが、残り約10年の間彼の真価を発揮せしめたとすれば人間とは何と悲しい存在なのでしょうか。そんな気がします。
是枝さんも若くからその道でラジオ技術紙上などで活躍されていましたが、わたしは技術は解りませんが、かなり昔からから一部文章も知っていましたし、30年近く前からお店に通っていました。でもあの阪神大震災の年の脳溢血から快復して数年後、ご本人曰く「それ以前のアンプは全くの駄作だった」とのこと。死の淵を垣間見た後こそが真のアンプ作りだったとのことですから、本質はアバドの場合と同じなのでしょうね。
相変わらずその是枝さん畢生の大作の新しいプリアンプで再発見、新発見を続けています。最初の頃は選りすぐりの好きな演奏ばかりを聴いていたのですが、時間と共に幅を広げています、そうすると今までそれ程でもないと感じていた演奏が、いや中々いいじゃないかと思い直すことがいくらも出てきます。
ショパンのバラードが好きで何枚も持っています、多分十数枚、一番好きなのはやはりツィマーマン、エーデルマン、全曲ではないですがホロヴィツなどです。以前期待して買ってたルイサダの演奏がどうもダメだったのですが、日曜の朝ひょっとしてと思い聴き直し何だ何だやはり素晴らしい演奏だった・・・と感じた次第。
今までの名録音名演奏はもちろんこれは更に素晴らしくなるのですが、そうでもなかったかなりの演奏も全部ではないでしょうがより味わい深いものに変化するようです。レコード、CDがメジャーレーベルから発売されるほどの演奏家ならばやはりそれなり、かなりの演奏をしていたことです。ですからオーディオがレベルアップすればするほど、ある意味決定的名盤は消えてゆきます。芸術に絶対的ベストワンは存在しないのでしょう。もしくはいくつも存在するというべきでしょうか。
人は自分の装置の影響を受けずにその演奏を評価することなどできない、そう感じます。増してわれわれのようなオーディオファイルであれば尚更です。皆自分の器の中で絵を描いている、そんな気がします。
もちろん音楽ファン誰しもが最高の装置など持てるわけないのですが、そこは五味さんの言われたバランスでしょうか。バランスが整っていればかなりのレコード演奏は可能と感じます。ただこのバランスを知るのにも実はかなりの経験というか授業料は必要でしょうが。多くのそこそこの装置を導入された方のお宅で大半が低音不足、緊張感の高い音のままで聴いておられます。多くの方がオーディオ店が設置したそのままで何年も聴いておられるとのことです。
レコード演奏だけでなく、ライブの演奏会評価もホールが違えばかなり違ってきます。ウィーンフィルなどはやはりあのムジークフェラインでの演奏に尽きるのではないかと思います。他のホールではウィーンフィルは一流のオーケストラではあっても超一流ではありません。ムジークフェラインでこそ、彼らの音楽の神は宿っているようです。わたしはあのホールでウィーンフィルを聴いたのは多分2度だけですが、そう感じています。
他のオーケストラでは多分十数回聴いてはいますが、純正組み合わせ、笑い、は2度だけのはずです。あのホールで意外と素晴らしかったのはウィーン交響楽団です、やはり普段から使い切っている慣れたホールと云うことなのでしょう。レコード演奏ももライブ演奏も同じことなのでしょうね。装置により、ホールにより名演は生まれる、器により全く違うと云うことです。
先日わがリスニングルームに駆けつけてくれた友人は「今回は純粋に演奏を聴いている気がする 」そんな言葉を述べていました。これもある意味至言です。わたしも年末プリアンプ導入初日に興奮の余り、もう演奏会に行かなくてもいい、ウィーンに飛ばなくてもいい、そんな気にさえなりました。ライブがそこにあるからです。そんなことを以前のメールで書いたのではないでしょうか、笑い。
それと今回のプリアンプを年末にセッティングしてほとんどその後は調整していません。一度だけ電源ケーブルを繋ぎ替えましたが、大した変化はなく直ぐに元に戻しました。つまりまるで繋ぎっぱなしで他の部分も全くといっていいほど触っていません。これは自称オーディオテクニックを誇るわたしとしては、笑い、たいへん珍しいことです。多分こんなことは初めてです。
つまり今のところそんな気にならない、ただ聴き込むだけ、というところです。
只管打座(しかんだざ) 漢字も少し怪しいのですが、こんな言葉を禅の教えで読んだことがあります。ひたすら座ってただ座って悟りを拓くことを意識せずただ座るのような意味だったかと思いますが、今回の場合はひたすら聴けば良いと云うことのようです。只管打聴 でしょうか?
ただし、人間というものは困ったものでどんな美女との逢瀬も慣れという恐ろしい現象がやってきます。何度も経験していることですが、笑い。もちろん聴き込むべきめぼしいソフトがまだまだありますから大丈夫でしょうが。もう一月もすればオーディオ的驚きは減ってゆきまたまたいろんな調整を繰り返しているのかもしれません、わたしを最もよく知る妻は既にそんな予言をしております、笑い。
それと五味さんは57歳で亡くなられ、確か瀬川さんは46歳でした。多分最後の頃には究極の音で聴かれていたでしょう。こちらは全く凡才なものでもう還暦を過ぎましたが、究極の音を聴いてしまえばそれまでなのかもしれません、笑い。
春にGRFさんにお越しいただく頃には妻の予言通りまたまたあちらを触り、こちらを動かしとなっているかもしれません・・・ それが平和なオーディオ生活なのでしょう、笑い。
I.K
by TANNOY-GRF
| 2014-01-31 23:13
| 行ったり来たり
|
Comments(1)
Commented
by
GRF
at 2014-02-01 09:13
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I.Kさんの熱いレポートを二日続けて掲載させていただきました。
いつも、この様な『臨場感』溢れるお便りをいただきます。原文は、もっと熱いのですが、私的なコメントも入っておりますので、なにも加えず、ストレートできゅっと煽ると喉が焼ける程熱い文章なので、ほんの少しだけ割っています。ウィスキーの原酒と市販のウイスキーぐらいの差があるのを、ご承知置き下さい(笑)。
氏の長い経験と邁進する勢いは、ますます加速中です。私もネジを巻かれています。
いつも、この様な『臨場感』溢れるお便りをいただきます。原文は、もっと熱いのですが、私的なコメントも入っておりますので、なにも加えず、ストレートできゅっと煽ると喉が焼ける程熱い文章なので、ほんの少しだけ割っています。ウィスキーの原酒と市販のウイスキーぐらいの差があるのを、ご承知置き下さい(笑)。
氏の長い経験と邁進する勢いは、ますます加速中です。私もネジを巻かれています。