2016年 02月 21日
ブルックナーの実演を聴いて |
木曜の晩に、ミューザでバレンボイム・ベルリン歌劇場管弦楽団を聴いて、その演奏と音の良さに驚きましたので、金曜日の夕方でしたが、Hさんに、ブルックナー八番がすごい音なので、是非とも今晩のサントリーホールに聴きに行ったらとお薦めしました。勿論、ミューザとサントリーでは音が違いますが、この様な迫力有る音は、滅多に聴けないので、お薦めしたのです。他の友人にも勧めたのですが、都合が悪く、でも、もっとも忙しい筈のHさんは、持ち前の行動力で行かれました。そして・・・
・・・クラリネットやフルートの鳴り方や、中空に浮く木管楽器、チューバ、トロンボーン、トラッペット、ホルンなどの金管楽器、あるものは、直線的に、しかし、ほとんどの金管楽器は、これも、すべての音と混ざり合い、木管楽器とは違うところで、中空に存在するまるで、3次元の音が噤む織物のような鳴り方でした。
この表現は、どこかで、感想で書いた内容です。そうです。私の家で鳴っている、トロバトール80とそのウーファー+SD05についての感想を書いたそのものなのです。オーケストラの違いはあれ、受ける音の鳴り方は、まるで、自宅の音そのもののように聞こえました。
音量の差はあれ、受ける音の密度、中空に浮かぶ、木管、金管楽器、そして、弦が紡ぎ出す、音の空気、その空間の下支えをする、チェロ、コントラバスの低域の響き、ティンパニーが遠くに、しかし力強く聞こえてくる、すべて家で聞く音そのものではありませんか。思わず、今日のコンサートを聞き、「家と同じ音がしている」と心の中でつぶやいてしまいました。
そうなんです。私の感想も同じですね。去年のルツェルンでも、コンセルトヘボウでも、今回のミューザでも、目の前でなっている音が、家で出現しているホログラフの音そのものなのです。勿論、聴かれていない人は、何も迷い事をと呆れるかも知れませんが、家で実験機を聴かれた方々や、勿論、Hさんみたく実験機をそのまま鳴らされている人にとっては、ご自宅の音がどれほどかの確認に行かれたようです。
何よりも、Hさん邸がすごいのは、ダイナミックレンジの広大さと、オーケストラの低域のバランスがあっているから、不自然さを感じないのだと思います。その意味で、今回のSTKの金管楽器は、理想的な鳴り方でした。特にチューバやバストロンボーン、ワーグナーチューバの音の厚み、そして勿論、ホルンとトランペットの凄さです。迫力を出すのは、確信的なティンパニーと、第三楽章にしかならないシンバルの満を期した音!そして、ボーイングがまるで違う厚みと重量感のある弦楽器群!バレンボイム特有の悠揚迫らざるテンポ設定。後方の弦楽器群にエールを与え続ける指揮の仕方。素晴らしいブルックナーの八番でした。この重量感が出せるのは、他にはシカゴ交響楽団ぐらいでしょう。
その広大なオーケストラサウンドが、自宅で再現するのが、オーディオを50年以上続けて来た私の原動力であり、壮大な夢でした。Hさんも同じでしょう。分厚いオーケストラの響きは、38/2トラには入っていても、器が小さなメディアに変換されたときに、肝心なエネルギーが無くなってしまうのです。19センチと38センチのテープの差は、そのエネルギーの差だと言ってもいいでしょう。ステレオ初期のマスターテープから、音をいじくらないでそのまま変換されたCDはそのエネルギーが入っています。カイルベルトのバイロイト実況盤や、RCAのLiving Stereo等です。
しかし、ほとんどの人は、レコード用にイコライジングされて、低音のエネルギーをカットされた音源に慣れ親しんでいます。レコードカッティングの制限上それは仕方が無いことなのですが、イコライザーを含めたレコード特有の音に慣れ親しんだ耳には、実際の演奏を聴いても、迫力が無いと言われる始末です。
しかし、それにも、一里も二里もあります。私自身、73年から79年まで数回も来日してくれた、ムラヴィンスキー・レニングラードの迫力有る演奏の様な音を、45年経っても聴いたことがないからです。レコードでその片鱗を出そうとすると、ターンテーブルのトルクを増し、重針圧のカートリッジに、帯域を狭めたトランスを組み合わせ、トランスを使い、エネルギー感を増大させた装置に走るか、演奏会場の奮起の再現に努めて、マルチチャンネルに走り、結果的には低域のSPの増強を図る方法に行きがちでした。
しかし、ウーファーを5本も部屋に持ち込むか、長大なホーンを床下か天井に作らないと、音楽の帯域は再生出来ないのでしょうか?オーディオにも何か重厚長大思考が見受けれるように思えるのです。その部屋の空気を過不足無く動かすだけのウーファーがあれば、そしてその倍音成分が位相差無しに再現出来ていれば、人の耳は、実演と同じ様な感覚を受けるのではないでしょうか。音の強弱と遠近の再現、それが上手くいけば、目をつぶればコンサートホールは実現できると確信しています。
しかし、実演は、良い演奏をしてくれなければなりません。レコードの様に瑕疵がないのは当たり前だし、テンポの設定、何よりも団員のやる気が、音にでなければなりません。今回のバレンボイムをHさんにお薦めした理由は、その迫力有る演奏が聴けたからです。昔の来日時のワーグナーの指輪を横浜やNHKホールで聴いた時の音も耳に残っていました。この様な迫力有る、また厚みのあるオーケストラがめずらしいのです。
また、大切なのはコンサートホールの器の大きさです。それはオーケストラが最大の音量を出したときの残響音の響きに現れます。サントリーホールは、早めに音が飽和します。それが迫力だと捉えている人もいますが、ルツェルンの様に、五階の奥がまだ拡がり、そこへの残響が5秒の鳴り響くホールの音を聴くと、ブルックナーの凄さが、日本では味わえないのではとも思います。
ミューザは、空間の大きさが広く、許容性と静けさは問題ないのですが、残響が少ないように思えるときがあります。ヤンソンス・コンセルトヘボウにはピッタリですが、ゲルギエフ・マリンスキーには器が少しだけ小さい気もします。ヤンソンスは、世界中でミューザが一番だと言ってくれていますが、ゲルギエフは、キタラが一番良いとどこかで言ってました。ラトルは何時もミューザが世界でもっとも音の良いホールの一つだと言ってくれます。勿論聴衆のレヴェルの高さを含めてです。彼は、ロンドンに戻ったら、ロンドンにミューザの様な音が良いホールを作るそうです。
オーケストラサウンドを自宅に持ち込む、この長年の夢の実現の片鱗が見えたのは、横浜のMさん邸のトロバドール80用+46センチウーファーの組み合わせと、浜松のプー博士のお宅の音でした。
部屋の大きさとSPの音圧は、切っても切れない関係にあります。ユニコーンと18畳のプー博士のお宅では、朗朗と鳴るユニコーンも、24畳に吸音材を天井に大量に入れているGRFのある部屋では、バックロードホーンだけでは、低音の影響で高域の鳴り方が難しくなります。それを、トラバドール40に300Hz以下の低音を足してあげると、低域の裾野が延びるばかりか、低域の影響から逃れた高域の伸びと自由度が増し、リアリティが向上するのです。ユニコーンの音との違いは、大音量時にバックロードホーンの負荷の影響を受けるDDDドライバーと、低域をカットして、歪みを減らしたTroubadourの仕組みの違いでした。
そこから、昨年の秋以降の実験の始まりでした。ルツェルンでの一週間の経験が、それを始めた切っ掛けかも知れません。まだ実験は続きます。材質と形状を変えた次の試作機が出来てくるのが、今月末でしょう。楽しみは続きます。
・・・クラリネットやフルートの鳴り方や、中空に浮く木管楽器、チューバ、トロンボーン、トラッペット、ホルンなどの金管楽器、あるものは、直線的に、しかし、ほとんどの金管楽器は、これも、すべての音と混ざり合い、木管楽器とは違うところで、中空に存在するまるで、3次元の音が噤む織物のような鳴り方でした。
この表現は、どこかで、感想で書いた内容です。そうです。私の家で鳴っている、トロバトール80とそのウーファー+SD05についての感想を書いたそのものなのです。オーケストラの違いはあれ、受ける音の鳴り方は、まるで、自宅の音そのもののように聞こえました。
音量の差はあれ、受ける音の密度、中空に浮かぶ、木管、金管楽器、そして、弦が紡ぎ出す、音の空気、その空間の下支えをする、チェロ、コントラバスの低域の響き、ティンパニーが遠くに、しかし力強く聞こえてくる、すべて家で聞く音そのものではありませんか。思わず、今日のコンサートを聞き、「家と同じ音がしている」と心の中でつぶやいてしまいました。
そうなんです。私の感想も同じですね。去年のルツェルンでも、コンセルトヘボウでも、今回のミューザでも、目の前でなっている音が、家で出現しているホログラフの音そのものなのです。勿論、聴かれていない人は、何も迷い事をと呆れるかも知れませんが、家で実験機を聴かれた方々や、勿論、Hさんみたく実験機をそのまま鳴らされている人にとっては、ご自宅の音がどれほどかの確認に行かれたようです。
何よりも、Hさん邸がすごいのは、ダイナミックレンジの広大さと、オーケストラの低域のバランスがあっているから、不自然さを感じないのだと思います。その意味で、今回のSTKの金管楽器は、理想的な鳴り方でした。特にチューバやバストロンボーン、ワーグナーチューバの音の厚み、そして勿論、ホルンとトランペットの凄さです。迫力を出すのは、確信的なティンパニーと、第三楽章にしかならないシンバルの満を期した音!そして、ボーイングがまるで違う厚みと重量感のある弦楽器群!バレンボイム特有の悠揚迫らざるテンポ設定。後方の弦楽器群にエールを与え続ける指揮の仕方。素晴らしいブルックナーの八番でした。この重量感が出せるのは、他にはシカゴ交響楽団ぐらいでしょう。
その広大なオーケストラサウンドが、自宅で再現するのが、オーディオを50年以上続けて来た私の原動力であり、壮大な夢でした。Hさんも同じでしょう。分厚いオーケストラの響きは、38/2トラには入っていても、器が小さなメディアに変換されたときに、肝心なエネルギーが無くなってしまうのです。19センチと38センチのテープの差は、そのエネルギーの差だと言ってもいいでしょう。ステレオ初期のマスターテープから、音をいじくらないでそのまま変換されたCDはそのエネルギーが入っています。カイルベルトのバイロイト実況盤や、RCAのLiving Stereo等です。
しかし、ほとんどの人は、レコード用にイコライジングされて、低音のエネルギーをカットされた音源に慣れ親しんでいます。レコードカッティングの制限上それは仕方が無いことなのですが、イコライザーを含めたレコード特有の音に慣れ親しんだ耳には、実際の演奏を聴いても、迫力が無いと言われる始末です。
しかし、それにも、一里も二里もあります。私自身、73年から79年まで数回も来日してくれた、ムラヴィンスキー・レニングラードの迫力有る演奏の様な音を、45年経っても聴いたことがないからです。レコードでその片鱗を出そうとすると、ターンテーブルのトルクを増し、重針圧のカートリッジに、帯域を狭めたトランスを組み合わせ、トランスを使い、エネルギー感を増大させた装置に走るか、演奏会場の奮起の再現に努めて、マルチチャンネルに走り、結果的には低域のSPの増強を図る方法に行きがちでした。
しかし、ウーファーを5本も部屋に持ち込むか、長大なホーンを床下か天井に作らないと、音楽の帯域は再生出来ないのでしょうか?オーディオにも何か重厚長大思考が見受けれるように思えるのです。その部屋の空気を過不足無く動かすだけのウーファーがあれば、そしてその倍音成分が位相差無しに再現出来ていれば、人の耳は、実演と同じ様な感覚を受けるのではないでしょうか。音の強弱と遠近の再現、それが上手くいけば、目をつぶればコンサートホールは実現できると確信しています。
しかし、実演は、良い演奏をしてくれなければなりません。レコードの様に瑕疵がないのは当たり前だし、テンポの設定、何よりも団員のやる気が、音にでなければなりません。今回のバレンボイムをHさんにお薦めした理由は、その迫力有る演奏が聴けたからです。昔の来日時のワーグナーの指輪を横浜やNHKホールで聴いた時の音も耳に残っていました。この様な迫力有る、また厚みのあるオーケストラがめずらしいのです。
また、大切なのはコンサートホールの器の大きさです。それはオーケストラが最大の音量を出したときの残響音の響きに現れます。サントリーホールは、早めに音が飽和します。それが迫力だと捉えている人もいますが、ルツェルンの様に、五階の奥がまだ拡がり、そこへの残響が5秒の鳴り響くホールの音を聴くと、ブルックナーの凄さが、日本では味わえないのではとも思います。
ミューザは、空間の大きさが広く、許容性と静けさは問題ないのですが、残響が少ないように思えるときがあります。ヤンソンス・コンセルトヘボウにはピッタリですが、ゲルギエフ・マリンスキーには器が少しだけ小さい気もします。ヤンソンスは、世界中でミューザが一番だと言ってくれていますが、ゲルギエフは、キタラが一番良いとどこかで言ってました。ラトルは何時もミューザが世界でもっとも音の良いホールの一つだと言ってくれます。勿論聴衆のレヴェルの高さを含めてです。彼は、ロンドンに戻ったら、ロンドンにミューザの様な音が良いホールを作るそうです。
オーケストラサウンドを自宅に持ち込む、この長年の夢の実現の片鱗が見えたのは、横浜のMさん邸のトロバドール80用+46センチウーファーの組み合わせと、浜松のプー博士のお宅の音でした。
部屋の大きさとSPの音圧は、切っても切れない関係にあります。ユニコーンと18畳のプー博士のお宅では、朗朗と鳴るユニコーンも、24畳に吸音材を天井に大量に入れているGRFのある部屋では、バックロードホーンだけでは、低音の影響で高域の鳴り方が難しくなります。それを、トラバドール40に300Hz以下の低音を足してあげると、低域の裾野が延びるばかりか、低域の影響から逃れた高域の伸びと自由度が増し、リアリティが向上するのです。ユニコーンの音との違いは、大音量時にバックロードホーンの負荷の影響を受けるDDDドライバーと、低域をカットして、歪みを減らしたTroubadourの仕組みの違いでした。
そこから、昨年の秋以降の実験の始まりでした。ルツェルンでの一週間の経験が、それを始めた切っ掛けかも知れません。まだ実験は続きます。材質と形状を変えた次の試作機が出来てくるのが、今月末でしょう。楽しみは続きます。
by TANNOY-GRF
| 2016-02-21 13:30
| オーディオ雑感
|
Comments(2)
Commented
by
BO
at 2016-02-24 00:25
x
GRFさん
私もミューザの8番に行きたかったのですが、日程の都合でサントリーホールの6番を娘と一緒に聴いてきました。モ-ツァルトPf協奏曲22番が第一部でした。
久しぶりのサントリーの1階席(9列目)でしたので、シュタ-ツカペレベルリンの迫力を堪能できました。演奏も音響もやはり素晴らしかったです。しかし、バレンボイムは10日間でブルックナー1~9番をチクルスで(しかも8番は2度)演奏するというのは凄い。さらにモ-ツァルトPf協奏曲をカップリングで弾き振りですから、一体どういう体力なんでしょうか。これだけでなく地方公演もあるのですから、まったく肉食人種は違います。まあ、神童の誉れ高いバレンボイムですから出来ちゃうんでしょう。でもミューザが7~8割の入りだったら行けばよかった。惜しいことをしました。
素人の感想ですが、独墺系の音楽はやっぱりゲルマンのオケだよなって思います。日本の指揮者とオケも上手いけど、なんとなく淡白で、あのうねる様な迫力がなかなか感じられません。重量感の違いというか。まあ、体格も食べ物も違いますからね。何百年も肉を食ってきた人種と「やっぱりお茶漬けはいいね」なんていう日本人では同じじゃなくて当然でしょうか。
最近は自宅の装置もまあまあかなと自己満足してましたが、やはりお宅のあの音響の再現はうちではまだ難しいです。またお暇なときに訪問させて下さい。機会があれば拙宅にもどうぞ。
私もミューザの8番に行きたかったのですが、日程の都合でサントリーホールの6番を娘と一緒に聴いてきました。モ-ツァルトPf協奏曲22番が第一部でした。
久しぶりのサントリーの1階席(9列目)でしたので、シュタ-ツカペレベルリンの迫力を堪能できました。演奏も音響もやはり素晴らしかったです。しかし、バレンボイムは10日間でブルックナー1~9番をチクルスで(しかも8番は2度)演奏するというのは凄い。さらにモ-ツァルトPf協奏曲をカップリングで弾き振りですから、一体どういう体力なんでしょうか。これだけでなく地方公演もあるのですから、まったく肉食人種は違います。まあ、神童の誉れ高いバレンボイムですから出来ちゃうんでしょう。でもミューザが7~8割の入りだったら行けばよかった。惜しいことをしました。
素人の感想ですが、独墺系の音楽はやっぱりゲルマンのオケだよなって思います。日本の指揮者とオケも上手いけど、なんとなく淡白で、あのうねる様な迫力がなかなか感じられません。重量感の違いというか。まあ、体格も食べ物も違いますからね。何百年も肉を食ってきた人種と「やっぱりお茶漬けはいいね」なんていう日本人では同じじゃなくて当然でしょうか。
最近は自宅の装置もまあまあかなと自己満足してましたが、やはりお宅のあの音響の再現はうちではまだ難しいです。またお暇なときに訪問させて下さい。機会があれば拙宅にもどうぞ。
Commented
by
TANNOY-GRF at 2016-02-24 10:20
B.Oさん ブルックナーの六番も地味ですが、好きな曲です。格好いいのは、5番と8番ですね。血湧き肉躍る感じがします。それを失った中高年のおじさんに人気がある(笑)。
ミューザでは、オーケストラが安心して大音量を出していました。テュッティで金管群が最大限の音を放出しても、ホールが受け止められるからです。あの音の休止が、最大効果を生むのですね。このオーケストラは、本当に毎日何を食べているのでしょうか?驚きます。
五月の連休を目途に、実験機を鳴らすつもりですが、最近は仕事に追いまくられて,時間が取れないのが悩みです。その欲求不満が音の進化の要因なのですが。またお越し下さい。私もお邪魔させていただきます。
ミューザでは、オーケストラが安心して大音量を出していました。テュッティで金管群が最大限の音を放出しても、ホールが受け止められるからです。あの音の休止が、最大効果を生むのですね。このオーケストラは、本当に毎日何を食べているのでしょうか?驚きます。
五月の連休を目途に、実験機を鳴らすつもりですが、最近は仕事に追いまくられて,時間が取れないのが悩みです。その欲求不満が音の進化の要因なのですが。またお越し下さい。私もお邪魔させていただきます。