2006年 06月 23日
OTTO KLEMPERER 1982 |
1982年の夏、所用でドイツのシュツッツガルトに行くことがありました。飛行場に着くと、お年寄りのドライバーが待っていて、訪問先の工場のある郊外の村まで、小1時間のドライブでした。時間は夕方なのに、ヨーロッパの夏は、まだ燦々と午後の陽がアウトバーンの両側に広がる葡萄畑にふり注いでいました。旧型のベンツのタクシーは、悠然とアウトバーンを進んでいきます。FMラジオから、ワーグナーの牧歌が聴こえてきました。ゆっくりと移っていく景色と相まって、ゆったりとした演奏がとても心地いいのです。段々音楽に引き込まれていきました。なんという泰然とした、ライン川の流れのようなすばらしい演奏でしょう。
一緒にクラシックの放送を聴いている、厳然な顔つきをしたドライバーに誰の演奏家と訪ねると、言下に、オットークレペラー!だと答えたのです。私は、そうか、これがクレペラーの演奏なのかと、大変感銘を受けました。そして、今までの、先入観念と違い、大変ドイツ的な演奏に、驚いたのです。
クレンペラーとフィルハーモニアのコンビは、ベームと並び、60年代にたくさんのレコードを録音しています。モーツアルトの歌劇は、代表的な演奏で、魔笛にしても、コシファントッテ、ドンジョバンニ、フィガロとすべて、競うように、グラモフォンのベームとほぼ同時期に、エンジェルレーベルから、発売されていました。そのゆっくりしたテンポとエンジェルの大人しい音が、若かった自分とは合わず、ほとんど過去の演奏家になっていたのです。しかし、葡萄畑のアウトバーンで聴いた、クレンペラーの演奏は、今までの概念を吹き飛ばし、大きなきっかけを与えてくれました。
東京に戻ってきた、私は、早速クレンペラーのレコードを買いに出かけました。70年代から80年代はじめは、CDの出現する前夜で、ドイツプレス版が大変良い音質を保っていました。EMIレーベルのドイツプレス盤で、廉価版が大量に、安価に出始めていたのです。早速、ロマン派を中心とした、曲を買いあさり始めたのです。
その頃の、東京の輸入レコード屋さんは、秋葉原の石丸電気が最大規模で、展開していました。お茶の水には、古くからのレコード屋さんも多く、中古盤を中心に神田の神保町辺りを、歩くのが休みの日の最大の楽しみでした。西銀座や、代々木などにも足を運んだものです。
時々、夢の中で、大量のレコードに囲まれ、一生懸命レコードを探している自分をを見ることがあります。どうやら、周りのお様子から、代々木の三階のお店らしい感じです。レコードが好きで始めた店主やいつも手伝っている奥さんもいます。たくさんのレコードに囲まれ、幸せな時代でした。来月は、これを買わなくてはと、思っていました。永遠に続くような気がしていたのです。
ふと、我に返るとそれは皆なくなり、現在では見られない風景になっているのです。都電が交差点を、揺れながら音を立てて、カーブを切っていくあの光景に似て、もう二度と戻ってはこないのです。クレンペラーのレコードを集めていたときが、いま思い出すと最後のアナログ盤時代だったのです。
一緒にクラシックの放送を聴いている、厳然な顔つきをしたドライバーに誰の演奏家と訪ねると、言下に、オットークレペラー!だと答えたのです。私は、そうか、これがクレペラーの演奏なのかと、大変感銘を受けました。そして、今までの、先入観念と違い、大変ドイツ的な演奏に、驚いたのです。
クレンペラーとフィルハーモニアのコンビは、ベームと並び、60年代にたくさんのレコードを録音しています。モーツアルトの歌劇は、代表的な演奏で、魔笛にしても、コシファントッテ、ドンジョバンニ、フィガロとすべて、競うように、グラモフォンのベームとほぼ同時期に、エンジェルレーベルから、発売されていました。そのゆっくりしたテンポとエンジェルの大人しい音が、若かった自分とは合わず、ほとんど過去の演奏家になっていたのです。しかし、葡萄畑のアウトバーンで聴いた、クレンペラーの演奏は、今までの概念を吹き飛ばし、大きなきっかけを与えてくれました。
東京に戻ってきた、私は、早速クレンペラーのレコードを買いに出かけました。70年代から80年代はじめは、CDの出現する前夜で、ドイツプレス版が大変良い音質を保っていました。EMIレーベルのドイツプレス盤で、廉価版が大量に、安価に出始めていたのです。早速、ロマン派を中心とした、曲を買いあさり始めたのです。
その頃の、東京の輸入レコード屋さんは、秋葉原の石丸電気が最大規模で、展開していました。お茶の水には、古くからのレコード屋さんも多く、中古盤を中心に神田の神保町辺りを、歩くのが休みの日の最大の楽しみでした。西銀座や、代々木などにも足を運んだものです。
時々、夢の中で、大量のレコードに囲まれ、一生懸命レコードを探している自分をを見ることがあります。どうやら、周りのお様子から、代々木の三階のお店らしい感じです。レコードが好きで始めた店主やいつも手伝っている奥さんもいます。たくさんのレコードに囲まれ、幸せな時代でした。来月は、これを買わなくてはと、思っていました。永遠に続くような気がしていたのです。
ふと、我に返るとそれは皆なくなり、現在では見られない風景になっているのです。都電が交差点を、揺れながら音を立てて、カーブを切っていくあの光景に似て、もう二度と戻ってはこないのです。クレンペラーのレコードを集めていたときが、いま思い出すと最後のアナログ盤時代だったのです。
by TANNOY-GRF
| 2006-06-23 09:57
| 演奏会場にて
|
Comments(4)
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マッキー
at 2014-02-03 09:56
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代々木の輸入盤のお店、懐かしいですね。
ジュピターレコードのことですね。
2階ではなく正確には3階の上のビル屋上にあった一室でした。
私は地方在住ですが、東京にコンサートを聴きに行く度に寄ったものです。
1979年4月からお店が閉店する直前の1986年10月まで何度も行きました。
お店のご夫婦とも顔馴染みになり、行く度に「今回は何をお聴きに来ましたか?」という話から始まって、時には他のお客と共に音楽談義をすることもありました。
今ではお店で音楽談義をするということは不可能となってしまいましたね。
購入したレコードも思い出深いですが、、そのような他の人々との談義は有意義な事だったと思うので本当に懐かしいです。
今の時代はそのようなコミュニケーションの場も殆ど無く寂しい時代になったものだと思います。
最近の演奏の味わいの薄さはそういう今の時代を反映しているようにさえ思ってしまいます。
ジュピターレコードのことですね。
2階ではなく正確には3階の上のビル屋上にあった一室でした。
私は地方在住ですが、東京にコンサートを聴きに行く度に寄ったものです。
1979年4月からお店が閉店する直前の1986年10月まで何度も行きました。
お店のご夫婦とも顔馴染みになり、行く度に「今回は何をお聴きに来ましたか?」という話から始まって、時には他のお客と共に音楽談義をすることもありました。
今ではお店で音楽談義をするということは不可能となってしまいましたね。
購入したレコードも思い出深いですが、、そのような他の人々との談義は有意義な事だったと思うので本当に懐かしいです。
今の時代はそのようなコミュニケーションの場も殆ど無く寂しい時代になったものだと思います。
最近の演奏の味わいの薄さはそういう今の時代を反映しているようにさえ思ってしまいます。
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TANNOY-GRF at 2014-02-03 10:34
マッキーさん コメントありがとうございます。そうですね、三階だったですね。訂正しました。そういえば向かいの本屋さんから、今日はやっているかと仰ぎ見た覚えがあります。
そうですか閉店したのが、1986年ですか!28年も前の記憶なんですね。CDに切り替わっていく時代の十字路だったんですね。代々木の今一軒は、そのごお茶の水に引っ越しました。そこは初期盤中心だったのですが、新盤は急激に少なくなっていきましたね。
本ブログを始めてからも、もうすこしで8年経ちます。光陰矢のごとしです。一向に学はなりがたいし、日ぐれて道遠しの感もあります・・・。
そうですか閉店したのが、1986年ですか!28年も前の記憶なんですね。CDに切り替わっていく時代の十字路だったんですね。代々木の今一軒は、そのごお茶の水に引っ越しました。そこは初期盤中心だったのですが、新盤は急激に少なくなっていきましたね。
本ブログを始めてからも、もうすこしで8年経ちます。光陰矢のごとしです。一向に学はなりがたいし、日ぐれて道遠しの感もあります・・・。
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エビネンコ
at 2016-03-10 19:56
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こんばんは、mixiから飛んできました。GRFさんと私が代々木のジュピターでつながるとはビックリぽんでした。85年に私がはじめてCDを買ったのがこの店でした。その時、使っていたのはマランツのCD34でした。クレンペラーとフィルハーモニアのコンビで私がいちばんのお気に入りはワーグナーの序曲・前奏曲集です。テンポ感が私と合います。
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TANNOY-GRF at 2016-03-10 21:33
エビネンコさん こんばんは!本当ですね。今から30年も前のお話しで、繋がるとは思いませんでした。あれからクレンペラーに没頭しました。お時間があったなら、好きなレコードの分類をご覧ください。あれから沢山の水が橋の下を流れたと思います。