2016年 10月 19日
友の会 会長ご挨拶 |
皆さま 本日はジャーマンフィジックス友の会の設立にお集まりいただきありがとうございました。ご指名ですので、一言ご挨拶を申し上げます。
私は中学生の時に出会った若い男の音楽の先生の強い影響でクラシック音楽にはまりました。当然ベートーベンでした。またそのころ一風変わったいとこがおりまして、押し入れをつぶして無限大バッフルとし、糸釣りのウーファーで幻想を聞かせてもらいまして、「再生音楽で結構低音てでるもんだな」と思いました。また再生音楽があったからこそ、フルトヴェングラー、トスカニーニといった名演奏家が聞けることも知りました。
その後は、糸釣り、糸ドライブ、JBLホーンなどを細々と経験しながらオーデイオというとんでもない深い淵に潜り込んでいきました。
しかし、結婚した当初から、家内からの猛烈なチヤレンジが始まりました。曰く、「その武骨な糸ドライブ何とかならないの?」確かに見てくれは良くなかったかもしれません。以来音の良さとともに、家内と狭い共有空間を共有できることが重要となってきまして、造形美にもあこがれるようになりました。もちろん常に頭にあったのはJBLのパラゴンでした。
そして海外勤務が重なり、ドイツにいたときに衝撃的な経験として、ゴールドムンドのリニアートラッキングアームと、(それはすぐに買ってしまいました。今でも愛用中です)そのわきにあったのが、化け物MBLだったのです。今のMBLはかなりデザイン的に消化された、のかもしれませんでしたが、当初の大きな葉っぱの形が並んでいたのにはさすがにびっくり。値段が値段だけに買うことはなかったのですが、そのころからは、結構視覚的に斬新なものに対するあこがれが強くなってまいりました。
そこで日本に帰ったら必ずMBLを買うぞ、と言っていたのですが、それをつい口に出してしまったところ、家内から「あのお化けだけはやめてね」との言葉。また都合の良いことに日本でのMBL代理店問題があり、MBLは買えなかったのです。
そんなある日、当時タイムロードで素晴らしい広告を見てしまい、ちょうどサッカーでアキレスけんを切ってしまって松葉杖であったにも関わらず、家内に無理を言って東京国際フォーラムに聞きにつれて行ってもらったのです。そしてそのすぐ後にはすでに秋葉原のオーデイオ店で触ってみて、即決したのが、今自分のところにある、ユニコーンです。2003年の春のことです。丁度その前にマーチンローガンの2ウェイを使っていて、その指向性の強いいこととつながりの悪さに閉口していて、ユニコーンの単純な構造に憧れ、一発で決めてしまいましたが、その時家内が驚くべきことに即賛成してくれたのです。曰く「音もよいが見た目にも美しい」でした。確かに塗は良かったですね。今はない色のようですが。
それ以来、「ステレオサウンド」で菅野先生の訪問を受けたり、「快適住宅」に載ったりで話題性がでいましたが、やはり限定的なもので、日本人はイギリスの製品がお好きなようで、ドイツのものはどうもいまいちですね。でもドイツ人の、機能性を追求してデザインをする、というのが好かれないのでしょうか?ドイツ人はそれが好きなようです。当時はアメリカのアポジーが結構ドイツでは人気でしたね。やはり機能性の追求だったような気がしました。しかも菅野先生によれば、「今まで何度も無指向性SPが出たが日本では人気が出ない」ということでした。またリニアアームも同じことで人気は出ないようです。まあ、ともかくユニコーンは日本では人気はないでしょうね、と思っていましたがその予想に間違いはなく、結局はごく少数にとどまっているようです。
しかしこれこそが私としては全く問題がなく、ある種の自尊心を満足してくれるものでした。へそ曲がりマンでしょうね。そしていつしかこうしたへそ曲がり同士が、こうして集まるなんて、考えもしなかった事件であり、とてつもなくうれしいことが起こったのです。これを実現してくれたのが、なんとGRFさんでした。あっという間にこうした愛好者を集めて懇親会までこぎつける行動力には完全に脱帽です。そして私なんぞを会長に据えて「変わり者」の代表をさせる。したたかですね(笑)。
でも実は大変名誉なことである、実際には感謝しております。誠に潜越ではございますが会の発足にあたって一言ご挨拶させていただいた次第です。
これからもこの「変人ではあるが、実はは本質を見抜くことができる人の集まり」を絶やすことなく、継続させられたら、とつくずく思う次第です。
今後の皆様のますますのご発展とジャーマンフィジックスに対する愛情がいや増すことを祈念してご挨拶とさせていただきます。
おめでとうございました。
Asakawa
Asakawaさんの情熱が無ければ、ユニコーンは日本ではほとんど紹介されていなかったと思います。2003年の春のことでした。今から13年も前の事ですね。
私は中学生の時に出会った若い男の音楽の先生の強い影響でクラシック音楽にはまりました。当然ベートーベンでした。またそのころ一風変わったいとこがおりまして、押し入れをつぶして無限大バッフルとし、糸釣りのウーファーで幻想を聞かせてもらいまして、「再生音楽で結構低音てでるもんだな」と思いました。また再生音楽があったからこそ、フルトヴェングラー、トスカニーニといった名演奏家が聞けることも知りました。
その後は、糸釣り、糸ドライブ、JBLホーンなどを細々と経験しながらオーデイオというとんでもない深い淵に潜り込んでいきました。
しかし、結婚した当初から、家内からの猛烈なチヤレンジが始まりました。曰く、「その武骨な糸ドライブ何とかならないの?」確かに見てくれは良くなかったかもしれません。以来音の良さとともに、家内と狭い共有空間を共有できることが重要となってきまして、造形美にもあこがれるようになりました。もちろん常に頭にあったのはJBLのパラゴンでした。
そして海外勤務が重なり、ドイツにいたときに衝撃的な経験として、ゴールドムンドのリニアートラッキングアームと、(それはすぐに買ってしまいました。今でも愛用中です)そのわきにあったのが、化け物MBLだったのです。今のMBLはかなりデザイン的に消化された、のかもしれませんでしたが、当初の大きな葉っぱの形が並んでいたのにはさすがにびっくり。値段が値段だけに買うことはなかったのですが、そのころからは、結構視覚的に斬新なものに対するあこがれが強くなってまいりました。
そこで日本に帰ったら必ずMBLを買うぞ、と言っていたのですが、それをつい口に出してしまったところ、家内から「あのお化けだけはやめてね」との言葉。また都合の良いことに日本でのMBL代理店問題があり、MBLは買えなかったのです。
そんなある日、当時タイムロードで素晴らしい広告を見てしまい、ちょうどサッカーでアキレスけんを切ってしまって松葉杖であったにも関わらず、家内に無理を言って東京国際フォーラムに聞きにつれて行ってもらったのです。そしてそのすぐ後にはすでに秋葉原のオーデイオ店で触ってみて、即決したのが、今自分のところにある、ユニコーンです。2003年の春のことです。丁度その前にマーチンローガンの2ウェイを使っていて、その指向性の強いいこととつながりの悪さに閉口していて、ユニコーンの単純な構造に憧れ、一発で決めてしまいましたが、その時家内が驚くべきことに即賛成してくれたのです。曰く「音もよいが見た目にも美しい」でした。確かに塗は良かったですね。今はない色のようですが。
それ以来、「ステレオサウンド」で菅野先生の訪問を受けたり、「快適住宅」に載ったりで話題性がでいましたが、やはり限定的なもので、日本人はイギリスの製品がお好きなようで、ドイツのものはどうもいまいちですね。でもドイツ人の、機能性を追求してデザインをする、というのが好かれないのでしょうか?ドイツ人はそれが好きなようです。当時はアメリカのアポジーが結構ドイツでは人気でしたね。やはり機能性の追求だったような気がしました。しかも菅野先生によれば、「今まで何度も無指向性SPが出たが日本では人気が出ない」ということでした。またリニアアームも同じことで人気は出ないようです。まあ、ともかくユニコーンは日本では人気はないでしょうね、と思っていましたがその予想に間違いはなく、結局はごく少数にとどまっているようです。
しかしこれこそが私としては全く問題がなく、ある種の自尊心を満足してくれるものでした。へそ曲がりマンでしょうね。そしていつしかこうしたへそ曲がり同士が、こうして集まるなんて、考えもしなかった事件であり、とてつもなくうれしいことが起こったのです。これを実現してくれたのが、なんとGRFさんでした。あっという間にこうした愛好者を集めて懇親会までこぎつける行動力には完全に脱帽です。そして私なんぞを会長に据えて「変わり者」の代表をさせる。したたかですね(笑)。
でも実は大変名誉なことである、実際には感謝しております。誠に潜越ではございますが会の発足にあたって一言ご挨拶させていただいた次第です。
これからもこの「変人ではあるが、実はは本質を見抜くことができる人の集まり」を絶やすことなく、継続させられたら、とつくずく思う次第です。
今後の皆様のますますのご発展とジャーマンフィジックスに対する愛情がいや増すことを祈念してご挨拶とさせていただきます。
おめでとうございました。
Asakawa
Asakawaさんの情熱が無ければ、ユニコーンは日本ではほとんど紹介されていなかったと思います。2003年の春のことでした。今から13年も前の事ですね。
by TANNOY-GRF
| 2016-10-19 08:14
| 友の会
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