2017年 10月 01日
ペトレンコのタンホイザー 1 |
バイエルン州立歌劇場の引っ越し公演のタンホイザーを見てきました。今年の五月にミュンヘンで公演され大変好評だった歌劇をそのまま東京で見られました。しかし、ミュンヘンの歌劇場とNHKホールではやはり環境が違いすぎます。
この雰囲気の差はいかんとも出来ません。大舞台をすべて持ってきての公演ですから、スタッフや機材の移動だけでも、とんでもない費用が掛かっています。現地では、ボックス席でも三万円しないそうですが、NHKホールでは普通の席でも、六万五千円です。ワーグナーなので、午後三時から始まり、終演は夜の八時の長時間の公演になります。間に二回、40分ずつの休憩が入りますが、新国立劇場の様な売店も少なく、座る場所もなく、招待客だけはケータリングで、差をつけられます。やはり多目的ホールでは、オペラの公演には無理があります。
一番の不満は音響ですが、もっと深刻な悩みはトイレの数の少なさです。2000人収容する大ホールのトイレとは思えない程の少なさです。毎回長蛇の列が続く東京文化会館よりも少ないのです。聴きに来る観客の老齢化を全く考慮に入れていないのでしょうか。音響の問題で、N響の演奏会も、NHKホールでの公演はよほどでなければ行きません。サントリーか横浜まで出かけています。東京春祭の上野の方がまだましです。前回のこのホールは大編成のヤルヴィのマーラー八番でした。思えば、NHKホールにはオペラの引っ越し公演だけを聴きに来ている気もします。ドイツオペラも何回か来ました。その時も、指輪とトリスタンの楽劇ばかりで、。タンホイザーやオランダ人の歌劇はあまり行きませんでした。
さて、本場のミュンヘンの舞台を見に行かれた方のうらやましい記事を拝見した勢いで、清水の舞台から飛び降りて、大枚をはたき購入してしまった自分でしたが、体調の変化もあり、日を追うごとに、タンホイザーの長丁場を乗り越えられるかが心配になってきました。一体にワーグナーの歌劇は、建前と本音が交互に出てくる長い展開ですが、タンホイザーはそのなかではわかりやすいと言われています。それでも中盤は長く感じます。時間も三時から八時の公演ですから、やはり長丁場です。時間帯はやはり三時の開演は早く、春祭の様に、四時〜九時にして欲しかったです。
しかし、ベルリンフィルの次期首席指揮者・音楽監督に選ばれたキリル・ペテレンコの最初にして最後の来日公演です。そのペテレンコのベルリンフィルでの演奏を聴いて驚きました。聞き慣れたベルリンフィルが全く違う音になっていたからです。モーツァルトのハフナーを聞きましたが、今そこで生まれたようなフレッシュな感覚でした。何よりも団員達がおどろき、楽しんでいたのです。そのペテレンコのタンホイザーなので、歌劇の長さへの恐れとは別に、その音楽には大変期待していました。
新国立とオペラシティ、白寿ホールとNHKホールへは、家の前からのバスで行きます。時間は掛かりますがとても楽です。電車に乗って、乗り換えて、人混みの中を歩いて、最近多い外国人のマナーの無さを見なくても済みます。もっとも、バスの中でも自分勝手な人は沢山見ますが・・・。来週も白寿ホールにくるので、また乗ることでしょう。会場は超満員という所までは行きませんが、九割近くは入っていたのではないでしょうか?三時なのにこれほどの人が集まるのも凄いですね。
時間が来て、会場が暗くなりオーケストラピットのなかの灯りが見えるようになってペトレンコが登場してきました。舞台は上映前の映画館の白いスクリーンのように無地のキャンバスが広がっています。そのスクリーンに、一本の矢が刺さっているのです。音楽が始まりました。暗闇に灯りが付くように、特徴のあるホルンの音が鳴り、ワーグナー特有の下降旋律がピットから聞こえてくると、ああ、これは違うな、と感じました。時間の流れが違うのです。淡々と時間は流れるのだけど、密度が違う、オーディオ的に言うと情報量が違うという感じです。
だんだん音楽が高揚して、有名なホルンの旋律が鳴り渡り、弦楽器がしゃくり上げるような旋律が始まると、そのスクリーンが上がり、弓矢をもった上半身裸の美しい女性陣が登場してきます。白い透ける半透明の日本の袴のようなものをはいていますが、上半身は美しい胸を彫刻のように見せています。最初は4人、そして8人と弓と矢を持って登場してきたのです。そうして和弓の所作のようにひざまずき、矢を出して構えます。舞台の後ろには、女性の右目の部分が、的のように映し出され、その眼に向かって矢を放し始めました。
音楽に合わせて、次々と矢を放っていくのです。驚きました。舞台上で矢を離すという行為自体が見たことはありませんし、それが上半身裸の鍛えられたダンサーの手で行われているのです。そしてその人数はどんどん増えて、舞台上に24名もの美しい女性戦士が並んで、その目に向かってどんどんと矢を放っていくのです。一本も外れません。音楽に合わせて弓を放つのですから、どのくらいの練習を必要としたかに驚き、その美しさにも目を奪われました。演奏も、密度をますます上げて一糸乱れず突き進んでいくのです。耳は音楽に集中するのですが、眼はその美女の動きから離れません。驚きましたね。
五月のミュンヘンの初日には、生で中継されたそうです。それも驚きですが、大胆な演出です。序曲の終わり近くになるとその美女達は矢は使わず、観客に向けて弓を向けて弦を離します。その裏で、タンホイザーがロープ一本でつり上がっていきます。画面の眼は、いつのまにか耳に変わり、そのうち花に変わっているのです。美女達の弓は束ねられ、空中に浮き上がっていきます。タンホイザーの序曲は、劇全体の流れを表しており、序曲を聴くと舞台を理解すると言われておりますが、抽象的に表されたこの開始の美女達の表現には驚かされました。
by TANNOY-GRF
| 2017-10-01 15:13
| 演奏会場にて
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