2006年 10月 05日
モスクワ空港のムラヴィンスキー |
初めてのヨーロッパ旅行は、一番価格の安かったアエロフロート便でした。他に格安な航空券は大艦航空しかなく、その直前に滑走路で止まったきり、翌日まで動かず大変な目に遭っていました。アエロフロートも見たことのない飛行機で、乗るときからとても不安でした。モスクワの空港になかなか降りられず、∞の時の飛行航路で一時間近くモスクワ上空を飛んでいました。空から見るソヴィエトはまるで軽井沢の別荘地みたいな家が見え隠れし、高級で共産主義という物の実体を知った気がしました。
ようやくモスクワ空港に降り立つと、トランジットの券を配り、一時間空港に降り立ちました。何もなく、暗い空港で、為すすべもなくとまどっていました。小さな売店があり、その奥にレコードが置いてありました。誰も見向きもしないそのコーナーに有ったレコードは、当然ながらメロディア盤ばかり。なんとムラヴィンスキーの本邦未公開盤が置いてありました。いっぺんに目が覚め持てるだけのレコードを買いあさりました。一枚500円ぐらいだったと記憶しています。日本盤に比べれば、四分の一以下の価格ですが、モスクワ市内の価格に比べれば10倍以上も高いのでしょう。
ようやくモスクワ空港に降り立つと、トランジットの券を配り、一時間空港に降り立ちました。何もなく、暗い空港で、為すすべもなくとまどっていました。小さな売店があり、その奥にレコードが置いてありました。誰も見向きもしないそのコーナーに有ったレコードは、当然ながらメロディア盤ばかり。なんとムラヴィンスキーの本邦未公開盤が置いてありました。いっぺんに目が覚め持てるだけのレコードを買いあさりました。一枚500円ぐらいだったと記憶しています。日本盤に比べれば、四分の一以下の価格ですが、モスクワ市内の価格に比べれば10倍以上も高いのでしょう。
夢中になって探してレジに行くと、横柄な、今でもその顔をしっかり覚えているぐらい、やる気のないお姉さんがマイペースでレジをしていました。その投げやりで、無責任な対応は、役所で依然として見られる特権階級の顔でした。レコードを探し求めた、興奮とその売店の嫌々やっている風景は、30年近くたった今でもはっきり覚えています。その時、買い求めたレコードは、20枚近く、未だにムラヴィンスキーとロジェットヴェンスキー、スベトラーノフ、そして、リヒテルのレコードは、私の宝物です。
以前も載せたことのある、シャンゼリゼのこの写真は、パリのアエロフロートに予約の再確認に訪れた時の物です。リコンファーム、この頃聞かなくなった言葉ですね。開高健の夏の闇に出てくるような、ベッドに自分の跡が埋まるような、三流のホテルに泊まっていました。
以前も載せたことのある、シャンゼリゼのこの写真は、パリのアエロフロートに予約の再確認に訪れた時の物です。リコンファーム、この頃聞かなくなった言葉ですね。開高健の夏の闇に出てくるような、ベッドに自分の跡が埋まるような、三流のホテルに泊まっていました。
by TANNOY-GRF
| 2006-10-05 21:12
| 旅の空
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