2006年 10月 24日
ドイツ盤の時代から |
自分だけの部屋で、好きな音楽を十分に聴けたら!というのが若い頃の夢でした。地方や外国を転戦する仕事で、まともに家にいない事が多く、帰ったらゆっくりと好きな音楽を聴きたいと願っていました。しかしいざ帰ると、子供の相手や雑用が多く、なかなか音楽に専念できません。ようやく安楽いすに座り、レコードを聴き始めると、いつの間にか演奏は終わり、ぶつん、ぶつんというレコードの内周に針がぶつかる音が聞こえていました。そのリズミカルな音がまた眠りに引き込みます。気がつけば針の周りには、埃がいっぱいと言うことも度々ありました。
ようやく念願だった部屋の改造をしてGRFに合うサイズの部屋で聴けたのは、40歳を回った頃でした。丁度クレンペラーのレコードのオリジナル盤を棚に少しづつたまっていくレコードを眺めて、決意を新たにしていました。それまでに集めた ドイツ盤 の魅力も捨てがたく、特にニューフィルハーモニアになってからの録音との相性が良かったです。そうして苦労して集めたレコードには、買ったときの思い出が詰まっています。オリジナル盤が見つかったといって、どうして簡単に手放せましょう。特に若い頃苦労して購入したレコードには思い出と一緒に苦労してお金を貯めた時間が付いています。自分の思いを育ててくれたレコードにはひときわ愛着が有ります。
よく中古レコード屋さんに行くと、何箱ものレコードを送って処分する人を見受けます。恐らく、大量にレコードを買い、その中で探していたり、状態のよいレコードと交換して残りを処分したのでしょう。我々がえさ箱と呼んでいる新入荷の殆どがそうやって峻別されたレコードだと思います。私にはそれができないから、本当のコレクターには成りきれないのかもしれません。自転車置き場や、倉庫の中に寝ているレコードも数多くあります。
1970年代の終わりから、80年代のCD登場前に一番人気が高かったのは、品質のいい盤を製造していた、ドイツ盤でした。そのころのドイツ盤は、もちろんDGGはドイツの会社でしたし、そもそもクラシック音楽家の殆どは、ドイツ系ですから、車のベンツやBMWにも似た高品質の証でもありました。S/Nが良く、切れ味もあるドイツ製のレコードを集めるのが目標となったのです。DMM盤の存在もその意味では収集の対象になっていました。ある日、同じ盤を英国製のオリジナルで聴くチャンスが有りました。その時、ようやくドイツ盤独自の音づくりに気が付いたわけです。でも、それらの音は、アナログ後期ではなく、デジタル出現以降の音のように今からは感じられます。もっと以前の盤には、日向の暖かい音が刻まれていますから。
ようやく念願だった部屋の改造をしてGRFに合うサイズの部屋で聴けたのは、40歳を回った頃でした。丁度クレンペラーのレコードのオリジナル盤を棚に少しづつたまっていくレコードを眺めて、決意を新たにしていました。それまでに集めた ドイツ盤 の魅力も捨てがたく、特にニューフィルハーモニアになってからの録音との相性が良かったです。そうして苦労して集めたレコードには、買ったときの思い出が詰まっています。オリジナル盤が見つかったといって、どうして簡単に手放せましょう。特に若い頃苦労して購入したレコードには思い出と一緒に苦労してお金を貯めた時間が付いています。自分の思いを育ててくれたレコードにはひときわ愛着が有ります。
よく中古レコード屋さんに行くと、何箱ものレコードを送って処分する人を見受けます。恐らく、大量にレコードを買い、その中で探していたり、状態のよいレコードと交換して残りを処分したのでしょう。我々がえさ箱と呼んでいる新入荷の殆どがそうやって峻別されたレコードだと思います。私にはそれができないから、本当のコレクターには成りきれないのかもしれません。自転車置き場や、倉庫の中に寝ているレコードも数多くあります。
1970年代の終わりから、80年代のCD登場前に一番人気が高かったのは、品質のいい盤を製造していた、ドイツ盤でした。そのころのドイツ盤は、もちろんDGGはドイツの会社でしたし、そもそもクラシック音楽家の殆どは、ドイツ系ですから、車のベンツやBMWにも似た高品質の証でもありました。S/Nが良く、切れ味もあるドイツ製のレコードを集めるのが目標となったのです。DMM盤の存在もその意味では収集の対象になっていました。ある日、同じ盤を英国製のオリジナルで聴くチャンスが有りました。その時、ようやくドイツ盤独自の音づくりに気が付いたわけです。でも、それらの音は、アナログ後期ではなく、デジタル出現以降の音のように今からは感じられます。もっと以前の盤には、日向の暖かい音が刻まれていますから。
by TANNOY-GRF
| 2006-10-24 11:57
| 好きなレコード
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