2008年 10月 16日
伊勢松坂 |
東名阪の亀山から大津の手前に新名神道路が開通してから、亀山経由で関西方面に行くことが多くなりました。東名豊田から伊勢湾道路で東名阪に抜けたり、中央道から小牧経由で東名阪に抜けていきます。新名神道路は、甲賀と伊賀の山の中を抜けていき、まったく看板がない気持ちの良い道路です。三車線でトンネルも掘られており、カーブも緩やかでストレスが有りません。名神が出来て40年間関ヶ原から京都まで道が曲がりくねっていたり、坂が急だったり非常にストレスを感じていましたから、今度の新名神の走りやすさが際だつのでしょう。
亀山からそのまま、東名阪を進むと津や松坂に行くことが出来ます。先日、久しぶりに松坂まで足を延ばしてみました。松坂は松坂牛で有名ですが、本居宣長由来の地でもあります。いつかNHKの番組で、江戸時代から続いている町並みの向こうに無粋なマンション建築計画が有り、地域の人が団結して高さを低くさせたとことを知りました。松坂城趾の近くだそうです。近頃は牛には余り興味が無くなりましたが、史跡には大変興味が出てきたので、寄ってみました。
市内は生け垣が沢山あり、とても懐かしい風景です。これに箱形のごみ箱が置いてあったら昭和30年代の写真と勘違いするような。ブロック塀がいかに街の外観と潤いを失なわせてしまったのかを痛感しました。今からでも遅くない気がします。補助金ではなく条例で生け垣を義務付ければ良いのですから、助成金では無く、メンテナンス費を半額でも負担すれば良いのですから。商店街はやはりシャッター通りです。そのおかげもあって旧い町並みが残っているとしたら皮肉な事です。小さな街にも問屋や小売店が機能を果たしていたのに、それを郊外のスーパーが根こそぎ略奪していったのですから。日本中、旅をしていてその現象を至る所に見ます。そして、すべてが安売りの商品だけになり、スーパーのブランド品が横行する世の中がいかに味気ないものかを感じています。 城下に拡がるお城番屋敷の見事さは、感動ものでした。昔の町並みが現在も使われながら生きているのは大変珍しいからです。使命を持って代々引き継いでいく、大事さを見せて頂きました。都会でも屋上庭園にするまえにやるべき事が沢山あると気がつきます。 松坂の街にいたのはほんの少しだけの時間でしたが、すべての風景が懐かしく感じました。街を大切に守っていくのがどんなに大変か実感しました。前向きの強い意志で古くからの伝統を守っているからこそ、このような素敵な町並みが残っているのですね。
亀山からそのまま、東名阪を進むと津や松坂に行くことが出来ます。先日、久しぶりに松坂まで足を延ばしてみました。松坂は松坂牛で有名ですが、本居宣長由来の地でもあります。いつかNHKの番組で、江戸時代から続いている町並みの向こうに無粋なマンション建築計画が有り、地域の人が団結して高さを低くさせたとことを知りました。松坂城趾の近くだそうです。近頃は牛には余り興味が無くなりましたが、史跡には大変興味が出てきたので、寄ってみました。
by TANNOY-GRF
| 2008-10-16 06:40
| 旅の空
|
Comments(2)
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(Y)
at 2008-10-17 21:48
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僕もドサ回りが生業なので、仰られることが痛いほど分かります。どうしてこうも何もかも画一化・均一化してしまったのでしょうね。ブランド・マークを隠したら何もアイデンティティが見つからない商業製品の数々。どこに降り立ったのか分からなくなる地方都市の駅前再開発。よそ者にとってはかけがえのないものが、その土地の人には価値がないのでしょうか。ブロック塀と生け垣の件は、自分もいつも感じる部分です。GRFさんがこのBlogで紹介していただく写真は奇跡的に切りとられた風景ですね。僕の(個人的に)知る上野や甲賀や松阪は、もっともっと陳腐な風景です。でも、こんな風景が残っていることを知っただけで、うれしくなります。
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GRFの部屋
at 2008-10-17 23:21
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その通りです。郊外の大店舗周辺だけがはやり、町中はまったく人が歩いていません。30年前にアメリカで見た風景です。時々、どこにいるのか解らなくなるほど、無個性な風景が拡がっています。
赤の看板だらけの下品な通り、どこでも同じコンビニとファミリーレストランと車屋の看板。看板から派手な色を除去できない、美意識の無さを、同じ日本に生まれた人たちが行っているのです。教育の崩壊が看板の醜い姿にも現れています。
赤の看板だらけの下品な通り、どこでも同じコンビニとファミリーレストランと車屋の看板。看板から派手な色を除去できない、美意識の無さを、同じ日本に生まれた人たちが行っているのです。教育の崩壊が看板の醜い姿にも現れています。