2010年 12月 11日
不遜だけど、、、 |
今回の田部京子さんの演奏を聴きながら思ったことがあります。この演奏を理想的な条件で収録して、今の私の部屋で聴きたいと。今回の席は良い席で前から五列目でした。少し右側の席で鍵盤は見えませんが、少し多めに開かれた蓋の目の前で音響的にはこれ以上望めません。しかし、Toddさんと何回も一緒に録音をして分かったことがあります。それはピアノの置き方です。ステージ上で演奏家が弾きやすい位置が必ずしも響きの良い位置ではないことです。ヴァイオリンもそうですが、演奏家の弾きやすい位置よりほんの少し前が収録には良い位置になるのです。20センチ前に来るだけでガラッと音は変わります。
そしてステージに平行ではなく気持ち時計方向に振る位置がピアノを引き立たせるのです。そして重要なのは三本の足の向きです。足を踏ん張るように45度方向が良いようです。今回の足の位置も鍵盤側はその向きでしたが、先方の足がすこしだけ後ろ向きの方向でした。響きは柔らかくなりますが、会場に対しては少し音がこもり気味になるようです。私の独断的な感覚では、ピアノ全体を15〜20センチ前方に、前の足を気持ち前方に向けると一層の良い響きがすると思います。事前の調律の時、調律師の方がいかに響きの方向に敏感であるか沢山経験したからです。
調律は田部さん専用の方がされているのでしょう。柔らかな響きがしていました。タッチも少し調律されているのかもしれません。同じピアノ同じ調律で演奏家が変わるとどれだけ音が変わるか、複数の演奏家が次々と弾かれるコンテストなどを聴きに行くとその響きの違いにびっくりしますね。ほかの演奏家と違うのはピアニストはほとんどの場合会場にあるピアノを弾きこなさなければならないことです。そのピアノの個性差を感じとって自分の音を作り出さなければなりません。ルービンシュタイン、ホロビッツ、ミケランジェロクラスになると自分のピアノを持ち込むこともあるでしょうけど、、、。
しかし、田部さんの響きには感動しました。弾く前の集中力が全く違います。自らの紡ぎ出した響きを透徹した心で確認しながら、音の響きを確認しながら、ゆっくりと演奏していくのです。卓越したペダルコントロールもその響きを聴いているからでしょう。一方通行の演奏ではなく、ピアノと対話をしながら、相互に響きを確認し合う様な演奏です。私は日本人の演奏家で初めてに経験です。無機的に機械的に演奏する奏者が多い中で、極めて希有な演奏家だと実感しました。優れたピアニストの資質である左手の力強さも実感しました。シューマンの繰り返しながら深く水底に沈降していくような下降旋律も、たゆたふ様にゆったりと水中に浮かぶ様も、水面をたたく大粒の雨と襲いかかる突然の嵐のような感情も、見事に再現されていました。まさにポリーニ以来の経験でした。祈りのような響きが音に託されて、響きが鍵盤を離れて上昇していく音を聴いたのは久しぶりのことです。
だからこそ、この会場ではなく今少し大きめな、低音の響きの良い、スケールの大きな会場で、コンディションがすべて整ったベストの環境で聴いてみたかったのです。もちろんライブです。聴衆の理解ある反応や息づかいほど演奏家を力づけてくれる存在はありません。その人たちに届けと演奏家は思いの丈をぶつけられるのです。
それなのに、今回も演奏中にそれも、ピアニシモの最中にセロファンに包まれたあめ玉を取り出す無神経なおばさん、それを注意しない連れ合いの無神経さには絶望します。会場では携帯もアラームも止めていただくのは当然ですが、いまひとつ注意を喚起したいのは、演奏中のあめ玉の禁止です。乾燥により咳を出すことを恐れてのことでしょうが、一分近くも続いた無神経なぱりぱりとした音がどれほど会場に響いているか、当人は分からないのです。どうしてもあめ玉が必要になる人は事前にセロファンを剥いて準備をしててほしいのです。昨日の演奏会ではたった一人のおばさんでしたが、前からX番目の12番、13番のご夫婦のあなた方ですよ!
風邪の季節です。咳は仕方がありません。くしゃみも近隣のかたは大変迷惑でしょうが、一過性の生理反応です。しかし、物音を立てるのは無神経と悪意に満ちてもいるのです。悪意と言えば演奏直後のブラボーです。今回は、ペダルをはなして音が消えるまで余韻を楽しめた方ですが、それでもフライング気味な人はいるのです。
演奏会が終わった後の、散会の仕方も重要ですね。買い求めたCDにサインをしていただく列には、最終回のこともあり長蛇の列になっていました。演奏家も大変です。もちろんそれを喜びにされている演奏家もおられるでしょうけど。熱気に包まれた会場から表に出ると11月の冷気は気持ちよいモノです。今回はゆっくりと銀座まで歩いて、余韻を楽しむことができました。地下鉄に揺られて阿佐ヶ谷に戻ってきても、家に戻る道でオリオンの星座を眺めながらその余韻が続いているのを実感できました。
演奏会場がそのまま我が家にトランスポートしてくれる夢を実現した今では、居ながらにして演奏会を楽しめることができます。毎朝、BSで放送されている演奏会も収録して楽しめるこの頃では、東京に住んでいらっしゃらない方でも、毎日演奏会を楽しめるようになりました。ベルリンフィルも実況で映像が流されてくる時代です。グレン・グールドが演奏会を止めた同じ理由で、わざわざ演奏会に足を運び、体調の悪い、楽器の響きの悪い、アンサンブルの乱れた二流の演奏家を聴く必要がなくなります。毎日がファイナルグランプリのような名人だけを聴ける時代になったのです。
田部京子さんの素晴らしい演奏を聴きながら、このような気持ちを抱いたのはやはり不遜なのでしょうか、、、?
by TANNOY-GRF
| 2010-12-11 06:48
| オーディオ雑感
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Comments(2)
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by
seibo
at 2010-12-12 12:29
x
確かに演奏会に行くと腹が立つことが多いですね。あの無神経さには呆れるばかりです。それがいやで絶対コンサートに行かないという人も知っています。不思議なのはなぜそんな耳触りな音を立てて自分で気にならないかということです。その人だってお金払ってわざわざ聞きに来ているはずなのですがね?
もっと不思議なのは楽章の間の咳払いです、みんながこぞって無理やり咳をしているように聞こえるのですが?
一つだけ確かなのはその人は自宅で真剣に耳をすまして音楽を聞いていないということでしょう。
もっと不思議なのは楽章の間の咳払いです、みんながこぞって無理やり咳をしているように聞こえるのですが?
一つだけ確かなのはその人は自宅で真剣に耳をすまして音楽を聞いていないということでしょう。
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by
TANNOY-GRF at 2010-12-12 12:52
そこへ行くと、先日の藤村実穂子さんは良かったですね。
浜離宮ホールのような小さなホールでは余計目立ちますね。
大江戸線ができてから、家から45分でいけるようになりました。築地も俗化したようで、お寿司屋さんもどこにでもあるようなかんじになってしまいましたね。
Seiboさんはあの辺はお詳しいので、美味しい定食屋さんを紹介してください。
浜離宮ホールのような小さなホールでは余計目立ちますね。
大江戸線ができてから、家から45分でいけるようになりました。築地も俗化したようで、お寿司屋さんもどこにでもあるようなかんじになってしまいましたね。
Seiboさんはあの辺はお詳しいので、美味しい定食屋さんを紹介してください。