2006年 04月 10日
1978年のウィーン音楽祭 |
1978年の6月、初めてのヨーロッパへの旅行の途中に訪れたウィーンの事は決して忘れないでしょう。
モスクワ経由での長旅で、フランクフルトの展示会を訪れた私は、会場で思いもかけずウィーンにある取引先になる工場を見学することとなりました。工場見学の後、ウィーン市内の本社に立ち寄った私は、経営陣から、昼食に招かれ、いつしか好きなクラシック音楽の話に話題が移りました。そして自分がどれ程クラシック音楽が好きで、あこがれのウィーンに思いもかけずにくる事となって、どうしたら音楽会に行けるかを聞きました。
音楽の話をずーと聴いていたオーナーが、それほど好きならば、ファミリーが年間予約している席を譲ってあげよう!と云ってくれたのです。自分はウィーンに生まれ育ったけど、現代では望むべきも無い、素晴らしい演奏会を昨晩経験したと、その余韻を大事にしたいと云って、楽友協会大ホールの今日の演奏会と明日の国立歌劇場のオペラの席を譲っていただいたのでした。
そんなに、素晴らしい昨晩のコンサートは何だったのですかと聞くと、レニングラードフィルがムラヴィンスキーに率いられて、列車でやってきたのだよ。巨匠がいなくなった今日、残って入り最後の一人かも知れぬと云われました。私は思わず、私も日本では73年の初来日からずーと欠かさず聴いていますと云いましたら、あの演奏を何回も聴いているとは素晴らしい、でも飛行機嫌いの巨匠が日本に行くとはと、いぶかしげに聞かれました。いいえ、シベリア鉄道と船を乗り継いで来てくれるのです、なんと素晴らしい事でしょうか。このような偶然は!
そして、その後、発売されたウィーンのムラヴィンスキーの実況録音盤が、ウィーンのホールの音を唯一忠実に伝えているのでした。
その晩は、宿に帰っても嬉しくて、なかなか寝付けません。深夜に起き出して、近くを彷徨して、ギリシャ料理のお店を見つけ、トマト料理を食べたのを憶えています。フランクフルトに滞在中には、ドイツの料理は口に合わず、翌日、食べたハンガリー料理の味と共に生き返ったのを憶えています。もっとも昼間ごちそうになった、ウィンナシュニツェルも評判の割りには?とも感じましたから、ドイツ料理が全般にそうなのかも知れませんね。
翌日、夕方までどうして時間をつぶしたのかは、余り憶えていませんが、市内の写真が今でも残っていますので、リング道路などを市内観光に出かけていたのでしょう。それより、夜が来るのが待ち遠しくてしょうがなかった事の方が、思い出されます。
夕方になり、学友協会の大ホールの前に出かけると、日本人の老夫婦が記念写真を撮っておられました。偶然通りかかった日本人にシャッターを押してくれるように頼まれたのでしょう。ところがそのご夫妻はご高名な高城重躬先生ご夫妻だったのです。
今日の演奏会は、ウィーンのピアノベーゼンドルファー創立150周年記念コンサートで、当時ウィーン三羽がらすと云われていた、スコダ、グルダ、デムスの三人が、ベーゼンドルファーで演奏する特別な夜だったのです。先生ご夫妻は、日本ベーゼンドルファーからのご招待で、来られていたのです。何時も、雑誌や講演会でお目に掛かっておりますと、云いますと、オーディオが好きな方とウィーンで会うのも、何かのご縁でしょうと、東京に戻られたら是非遊びに来なさいと、仰有ってくださいました。
モスクワ経由での長旅で、フランクフルトの展示会を訪れた私は、会場で思いもかけずウィーンにある取引先になる工場を見学することとなりました。工場見学の後、ウィーン市内の本社に立ち寄った私は、経営陣から、昼食に招かれ、いつしか好きなクラシック音楽の話に話題が移りました。そして自分がどれ程クラシック音楽が好きで、あこがれのウィーンに思いもかけずにくる事となって、どうしたら音楽会に行けるかを聞きました。
音楽の話をずーと聴いていたオーナーが、それほど好きならば、ファミリーが年間予約している席を譲ってあげよう!と云ってくれたのです。自分はウィーンに生まれ育ったけど、現代では望むべきも無い、素晴らしい演奏会を昨晩経験したと、その余韻を大事にしたいと云って、楽友協会大ホールの今日の演奏会と明日の国立歌劇場のオペラの席を譲っていただいたのでした。
そんなに、素晴らしい昨晩のコンサートは何だったのですかと聞くと、レニングラードフィルがムラヴィンスキーに率いられて、列車でやってきたのだよ。巨匠がいなくなった今日、残って入り最後の一人かも知れぬと云われました。私は思わず、私も日本では73年の初来日からずーと欠かさず聴いていますと云いましたら、あの演奏を何回も聴いているとは素晴らしい、でも飛行機嫌いの巨匠が日本に行くとはと、いぶかしげに聞かれました。いいえ、シベリア鉄道と船を乗り継いで来てくれるのです、なんと素晴らしい事でしょうか。このような偶然は!
そして、その後、発売されたウィーンのムラヴィンスキーの実況録音盤が、ウィーンのホールの音を唯一忠実に伝えているのでした。
その晩は、宿に帰っても嬉しくて、なかなか寝付けません。深夜に起き出して、近くを彷徨して、ギリシャ料理のお店を見つけ、トマト料理を食べたのを憶えています。フランクフルトに滞在中には、ドイツの料理は口に合わず、翌日、食べたハンガリー料理の味と共に生き返ったのを憶えています。もっとも昼間ごちそうになった、ウィンナシュニツェルも評判の割りには?とも感じましたから、ドイツ料理が全般にそうなのかも知れませんね。
翌日、夕方までどうして時間をつぶしたのかは、余り憶えていませんが、市内の写真が今でも残っていますので、リング道路などを市内観光に出かけていたのでしょう。それより、夜が来るのが待ち遠しくてしょうがなかった事の方が、思い出されます。
夕方になり、学友協会の大ホールの前に出かけると、日本人の老夫婦が記念写真を撮っておられました。偶然通りかかった日本人にシャッターを押してくれるように頼まれたのでしょう。ところがそのご夫妻はご高名な高城重躬先生ご夫妻だったのです。
今日の演奏会は、ウィーンのピアノベーゼンドルファー創立150周年記念コンサートで、当時ウィーン三羽がらすと云われていた、スコダ、グルダ、デムスの三人が、ベーゼンドルファーで演奏する特別な夜だったのです。先生ご夫妻は、日本ベーゼンドルファーからのご招待で、来られていたのです。何時も、雑誌や講演会でお目に掛かっておりますと、云いますと、オーディオが好きな方とウィーンで会うのも、何かのご縁でしょうと、東京に戻られたら是非遊びに来なさいと、仰有ってくださいました。
by TANNOY-GRF
| 2006-04-10 16:01
| 音楽旅行
|
Comments(1)
Commented
by
チューバホーン
at 2008-04-14 19:05
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こんばんは。ブログを始められてもう2年という記事を拝見し、ついつい最初から読ませていただいています。
私は観光ではありますが、初めての海外はウィーンでした。。ただ時期が夏だったので、肝心の演奏はザルツブルグ音楽祭に行きました。
そして、モーツアルトが洗礼を受けた大聖堂で聴いたパイプオルガンの音はいまでもはっきり覚えています。
ウィーンでは、ベートーベンの散歩道と言われるぶどう畑を見ながら、この風景から「田園交響曲」が産まれたのかと感動した思い出があります。
学友協会の前で写真を撮り、今度は絶対にここで演奏を聴きたいと思いながら帰国しました。
GRFさんとは違い、ほんのわずかな海外経験しかない私ですが、いまでもいつでもまた訪れたい街になりました。
私の仕事場のドアにある太陽の飾り物を見ると、あの美しい風景ががよみがえります。
私は観光ではありますが、初めての海外はウィーンでした。。ただ時期が夏だったので、肝心の演奏はザルツブルグ音楽祭に行きました。
そして、モーツアルトが洗礼を受けた大聖堂で聴いたパイプオルガンの音はいまでもはっきり覚えています。
ウィーンでは、ベートーベンの散歩道と言われるぶどう畑を見ながら、この風景から「田園交響曲」が産まれたのかと感動した思い出があります。
学友協会の前で写真を撮り、今度は絶対にここで演奏を聴きたいと思いながら帰国しました。
GRFさんとは違い、ほんのわずかな海外経験しかない私ですが、いまでもいつでもまた訪れたい街になりました。
私の仕事場のドアにある太陽の飾り物を見ると、あの美しい風景ががよみがえります。