2012年 05月 23日
マスターリングとメディアの違いから |
四月の末に、英国からEMIの名曲をSACD化して、極めて廉価で発売したアルバムの事をお話ししました。その折り、ジャクリーヌ・デュプレのエルガーのチェロ協奏曲のアルバムを、その新しくリマスターされたSACD盤と従来からのCD盤、そしてオリジナルのレコードと4トラックテープでも、媒体の差とマスターリングの差を、今週末の那須の例会で聴いていただく準備をしています。
このデュプレとバルビローリによるエルガーの協奏曲は冒頭から、デュプレの泣き節が全開で始まる有名なアルバムです。1962年に17歳の彼女がロイヤル・フェスティバルホールで、鮮烈なデビューを飾ってから、翌年のプロムスでは、マルコム・サージェントとBBC交響楽団 、そして1965年彼女が20歳の時にロンドン交響楽団とバルビローリの指揮でレコーディングされた大ベストセラーのアルバムです。1712年製のストラディバリウスの名器 Davidov を使って収録されています。現在はヨーヨー・マが使用しているそうです。でも同じ楽器とは思えないほど、音色が違いますね。
その名演奏を、最初は英国EMIのオリジナルのステレオ盤①ASD655で、そして、デリウスのチェロ協奏曲と組み合わされた、ASD2764のアルバムを②初版と③後期盤で、ASD655のモノラル盤の④ALP2106も聴いていただきます。このモノラル盤が私的には一番好きですね。そして、米国ENGELレーベルの4トラックテープ⑤Y1S 36490も聴いてください。9.5センチのスピードのテープですが、レコードとの音の差が、明らかに分かります。
CDの時代に入り、当初のデジタルリマスターは、1985年5月8日に行われているようです。これは組み合わされたSEA PICTUREのテープの記録から推察されます。ちなみに、このテープは65年の8月に録音されて、72年に安全のためDubを録ったのを含み、22回も再生されています。その度に新しい、マスターが作られていたと推察されます。
その時のリマスター盤で作られたと思われるのが、EMI FRANCEから出ている、三枚組のアルバムで1994年に出ています⑥5 68132 2です。二番目のリマスターリングは1997年行われた⑦5 56219 2ですね。そして最後が今回の企画の発端となった、2011年7月1日のリマスターリングによるSACD盤⑧9 55905 2です。これらの8種類をDSD5.6MHzのWSDファイルに落としております。音の比較をするために、すべてアナログ変換したバージョンと、メディアの違いによる差を比べるための、デジタルでのリッピング版も作成してみました。
SD05は、96KHz/24Bitの信号まで、デジタル信号のまま受け付ける、いまだに極めてめずらしいアンプです。いやこれ自体がDAコンバーターと言った方が正しいのです。そのメリットは大きく、アナログ変換されないで増幅されたサウンドは、左右のクロストークが理論上ありません。その為に、録音時の微妙なステレオ信号の差信号を正しく再現します。それを正しい位置に置いたSPから再生すると、他のアンプでは聴けない音場が出現するのです。SD05を使って正しい地位に置かれたSPからは、他のアンプを使っても、それ以前とはまったく違う音場が出現するのです。本ブログをはじめた切っ掛けも、長年寝ていたGRFがSD05により復活をした驚きを語りはじめたが切っ掛けでした。
今回も、DSDの1ビット信号をアナログ変換できる、Oさん自作のDAコンバーターと私が使用している、DSDファイルをKORGのソフトウェアーAudioGateで96/24に変換したPCM信号を、WEISSのDDコンバーターでSD05に入れて聴きます。その際にも、96/24,88/24,48/24,44/24の音の差も参考までに聴いてみてください。
こうして書いているだけでも、随分バリエーションがありますね。特に周波数の差は、そのフォーマットで収録されたとき以外は、一種のトーンコントロールぐらいのつもりの方が、身体と懐によいようです。外部クロックの音の差はありますが、録音スタジオでの複数の機器を同じくロックで統一する目的なら分かりますが、どんなに正しいクロック信号でも、それを引き回したのでは、意味が無くなるのも技術者なら分かっているはずなのですが、、、。
数百万円の投資の効果の評価の問題です。勿論違いは有るのですが、それは、電線をかえたら音が違うというのと同じレベルの問題のような気もします。言い換えれば299キロ出るスポーツカーと300キロ出るスポーツカーの比較のような気がするのです。最高スピードのわずかな差で、価格が倍も違うようなステータスなのではないでしょうか?家庭にプロ用機器を持ち込んでも、信頼性に多額の費用を払っているプロ用機器とは目的が違うということを、気がついてもいいはずなのですが。
産業としてのオーディオは、消費者に少しの差を認識して貰って、その差に多額の出費をして貰えればいいのです。商業雑誌はそのお先棒を担いでいるのは、民放の馬鹿番組と同じレベルなのです。スポンサーの付かない雑誌は、暮らしの手帖以外にはあり得ません。その商業雑誌の枠の中で、少しでも、自らのアイデンティティーを出そうとすると、評論家自身難しい立場に置かれるのでしょう。
骨董品でも、車でも、そしてオーディオでも、身銭を切って血を流してこそ分かる世界があるのです。そして、決して価格が高いから偉いのではないと言うことを気がついて貰いたいですね。オーディオは、与えられた環境で、最善を尽くしてこそ楽しいのです。決して一流品を揃えても、押し入れの肥やしにしているバッグと同じでは、意味がありません。高級商業雑誌の表紙の装置を揃えても、いい音はしないのです。
どこか、建築雑誌で特集を組みませんかね、同じ装置が部屋の違いによりどれほど変わるかという事を!
このデュプレとバルビローリによるエルガーの協奏曲は冒頭から、デュプレの泣き節が全開で始まる有名なアルバムです。1962年に17歳の彼女がロイヤル・フェスティバルホールで、鮮烈なデビューを飾ってから、翌年のプロムスでは、マルコム・サージェントとBBC交響楽団 、そして1965年彼女が20歳の時にロンドン交響楽団とバルビローリの指揮でレコーディングされた大ベストセラーのアルバムです。1712年製のストラディバリウスの名器 Davidov を使って収録されています。現在はヨーヨー・マが使用しているそうです。でも同じ楽器とは思えないほど、音色が違いますね。
その名演奏を、最初は英国EMIのオリジナルのステレオ盤①ASD655で、そして、デリウスのチェロ協奏曲と組み合わされた、ASD2764のアルバムを②初版と③後期盤で、ASD655のモノラル盤の④ALP2106も聴いていただきます。このモノラル盤が私的には一番好きですね。そして、米国ENGELレーベルの4トラックテープ⑤Y1S 36490も聴いてください。9.5センチのスピードのテープですが、レコードとの音の差が、明らかに分かります。
CDの時代に入り、当初のデジタルリマスターは、1985年5月8日に行われているようです。これは組み合わされたSEA PICTUREのテープの記録から推察されます。ちなみに、このテープは65年の8月に録音されて、72年に安全のためDubを録ったのを含み、22回も再生されています。その度に新しい、マスターが作られていたと推察されます。
その時のリマスター盤で作られたと思われるのが、EMI FRANCEから出ている、三枚組のアルバムで1994年に出ています⑥5 68132 2です。二番目のリマスターリングは1997年行われた⑦5 56219 2ですね。そして最後が今回の企画の発端となった、2011年7月1日のリマスターリングによるSACD盤⑧9 55905 2です。これらの8種類をDSD5.6MHzのWSDファイルに落としております。音の比較をするために、すべてアナログ変換したバージョンと、メディアの違いによる差を比べるための、デジタルでのリッピング版も作成してみました。
SD05は、96KHz/24Bitの信号まで、デジタル信号のまま受け付ける、いまだに極めてめずらしいアンプです。いやこれ自体がDAコンバーターと言った方が正しいのです。そのメリットは大きく、アナログ変換されないで増幅されたサウンドは、左右のクロストークが理論上ありません。その為に、録音時の微妙なステレオ信号の差信号を正しく再現します。それを正しい位置に置いたSPから再生すると、他のアンプでは聴けない音場が出現するのです。SD05を使って正しい地位に置かれたSPからは、他のアンプを使っても、それ以前とはまったく違う音場が出現するのです。本ブログをはじめた切っ掛けも、長年寝ていたGRFがSD05により復活をした驚きを語りはじめたが切っ掛けでした。
今回も、DSDの1ビット信号をアナログ変換できる、Oさん自作のDAコンバーターと私が使用している、DSDファイルをKORGのソフトウェアーAudioGateで96/24に変換したPCM信号を、WEISSのDDコンバーターでSD05に入れて聴きます。その際にも、96/24,88/24,48/24,44/24の音の差も参考までに聴いてみてください。
こうして書いているだけでも、随分バリエーションがありますね。特に周波数の差は、そのフォーマットで収録されたとき以外は、一種のトーンコントロールぐらいのつもりの方が、身体と懐によいようです。外部クロックの音の差はありますが、録音スタジオでの複数の機器を同じくロックで統一する目的なら分かりますが、どんなに正しいクロック信号でも、それを引き回したのでは、意味が無くなるのも技術者なら分かっているはずなのですが、、、。
数百万円の投資の効果の評価の問題です。勿論違いは有るのですが、それは、電線をかえたら音が違うというのと同じレベルの問題のような気もします。言い換えれば299キロ出るスポーツカーと300キロ出るスポーツカーの比較のような気がするのです。最高スピードのわずかな差で、価格が倍も違うようなステータスなのではないでしょうか?家庭にプロ用機器を持ち込んでも、信頼性に多額の費用を払っているプロ用機器とは目的が違うということを、気がついてもいいはずなのですが。
産業としてのオーディオは、消費者に少しの差を認識して貰って、その差に多額の出費をして貰えればいいのです。商業雑誌はそのお先棒を担いでいるのは、民放の馬鹿番組と同じレベルなのです。スポンサーの付かない雑誌は、暮らしの手帖以外にはあり得ません。その商業雑誌の枠の中で、少しでも、自らのアイデンティティーを出そうとすると、評論家自身難しい立場に置かれるのでしょう。
骨董品でも、車でも、そしてオーディオでも、身銭を切って血を流してこそ分かる世界があるのです。そして、決して価格が高いから偉いのではないと言うことを気がついて貰いたいですね。オーディオは、与えられた環境で、最善を尽くしてこそ楽しいのです。決して一流品を揃えても、押し入れの肥やしにしているバッグと同じでは、意味がありません。高級商業雑誌の表紙の装置を揃えても、いい音はしないのです。
どこか、建築雑誌で特集を組みませんかね、同じ装置が部屋の違いによりどれほど変わるかという事を!
by TANNOY-GRF
| 2012-05-23 06:55
| オーディオ雑感
|
Comments(6)
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by
リウー
at 2012-05-23 20:42
x
確かに微妙なそれでいて大きな問題ですね。
私は、最近、機器の性能以上に、自分の耳の限界について思う事が多いです。まあ、それと別に、QUADやEAR,NAIMのデザインが良いというのもあるんですが。笑
また、慣れの問題かもしれませんが、ラジオなどで良く聴いた曲が高級なオーディオで素晴らしい音になると、何かしら微妙な違和感を憶える事もあります。記憶に焼き付いた音は特別なのでしょうね。
私は、最近、機器の性能以上に、自分の耳の限界について思う事が多いです。まあ、それと別に、QUADやEAR,NAIMのデザインが良いというのもあるんですが。笑
また、慣れの問題かもしれませんが、ラジオなどで良く聴いた曲が高級なオーディオで素晴らしい音になると、何かしら微妙な違和感を憶える事もあります。記憶に焼き付いた音は特別なのでしょうね。
リウーさん
>また、慣れの問題かもしれませんが、ラジオなどで良く聴いた曲が高級なオーディオで素晴らしい音になると、何かしら微妙な違和感を憶える事もあります。
雛が飼えるとき、最初に見た身近で親切な鳥を、親だとすり込まれるのと同じなのでしょうか?私達の世代は、真空管式のAMラジオの音で育ちました。レコードも、当初はSPレコードの音です。プレスリーも江利チエミも最初に聴いたのはレコードは、78回転だったのです。そして45回転になり、LPレコードは、中学生になった頃です。
その出発点を持つ我々の世代と、生まれたときから、ラジオや電蓄ではなく、コンポーネントステレオからスタートできた世代の差なのかもしれません。
第一、超高級品の外国製のステレオ機器は、例えば、マランツ7等は、月給2~3万円の時代に、40万円していました。国産車が買えた値段です。いまだに、その音を最高だと思う人も多いのです。
結局、我々の世代が、60年代の音から進歩できないのは、その懐かしさ、記憶に焼き付いた音から逃れられないのでしょうね。
>また、慣れの問題かもしれませんが、ラジオなどで良く聴いた曲が高級なオーディオで素晴らしい音になると、何かしら微妙な違和感を憶える事もあります。
雛が飼えるとき、最初に見た身近で親切な鳥を、親だとすり込まれるのと同じなのでしょうか?私達の世代は、真空管式のAMラジオの音で育ちました。レコードも、当初はSPレコードの音です。プレスリーも江利チエミも最初に聴いたのはレコードは、78回転だったのです。そして45回転になり、LPレコードは、中学生になった頃です。
その出発点を持つ我々の世代と、生まれたときから、ラジオや電蓄ではなく、コンポーネントステレオからスタートできた世代の差なのかもしれません。
第一、超高級品の外国製のステレオ機器は、例えば、マランツ7等は、月給2~3万円の時代に、40万円していました。国産車が買えた値段です。いまだに、その音を最高だと思う人も多いのです。
結局、我々の世代が、60年代の音から進歩できないのは、その懐かしさ、記憶に焼き付いた音から逃れられないのでしょうね。
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(Y)
at 2012-05-24 02:57
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僕もまったく同じことを考えていました。記憶に焼き付いた音から逃れられない…。まさしくその通りです。その焼き付いた音から、その時代の風景や匂い、空気感までありありと甘酸っぱく蘇ってきます。いまだに真空管AMラジオの音が頭の中で鳴っています。レコードとは良く言った物で、時代を閉じ込めた「個人的な記録・記憶」そのものと言っていいと思います。けっしてディスクじゃないんですね。僕も立派な旧式人間の一人ですね(笑)。
夜更かしの(Y)さん、お久しぶりです。私の方は、相変わらず時差ボケの影響で、夜テレビを見ながら寝てしまい、夜中に起きて悶々とする生活です。とほほ、、、。
しかし、上の記事を書いたら必ず(Y)さんが、反応してくれるだろうと思っていましたよ(爆)。その「レコード」から、人間は逃れられないのですね。運命とも言っていいのでしょう。最近の一連の端から見れば、ガラクタ集めで、身動き取れなくなっているのも、一種のルーツ探しでしょう。見果てぬ夢への確認の旅です。母親によると、三歳頃の私は、蓄音機を壊しては、中をのぞき込んでいたそうです。いまと変わりませんね(爆)。
しかし、上の記事を書いたら必ず(Y)さんが、反応してくれるだろうと思っていましたよ(爆)。その「レコード」から、人間は逃れられないのですね。運命とも言っていいのでしょう。最近の一連の端から見れば、ガラクタ集めで、身動き取れなくなっているのも、一種のルーツ探しでしょう。見果てぬ夢への確認の旅です。母親によると、三歳頃の私は、蓄音機を壊しては、中をのぞき込んでいたそうです。いまと変わりませんね(爆)。
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(Y)
at 2012-05-24 11:47
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体内時計の1時間の時差を解消するのに1週間かかると聞いたことがあります。さらに無理に時差ボケを解消しようとすると、もの凄いストレスが体にかかるそうなので、ゆっくりと対処する方が良いようです。とはいうものの、仕事も含め日常生活がありますから、そんなわけにはなかなか行かないでしょうけどね。
幼児期に体が覚えた物は一生ついて回るのてしょうね。僕もこの連休に、松本にできた「日本ラジオ博物館」http://www.japanradiomuseum.jp/に行ってきました。小さな小さな博物館ですが、昔親しんだ真空管ラジオに再会したときは感激しました。
幼児期に体が覚えた物は一生ついて回るのてしょうね。僕もこの連休に、松本にできた「日本ラジオ博物館」http://www.japanradiomuseum.jp/に行ってきました。小さな小さな博物館ですが、昔親しんだ真空管ラジオに再会したときは感激しました。
生物が発生した頃の太古の地球は、一日を25時間掛けて回っていたそうです。我々の体内時計は、毎日、一時間ずつ縮めて無理しながら生きているのだそうです。それで、一週間に一度身体を休める時間を作って、調整をし無いといけないと聞きました。日曜日は安息の日で、遊ぶ日ではないのだそうです。
ヨーロッパの街では、日曜は教会へ行く日ですから、商店街も皆休みです。日本人は、身を削りながら生きているのかもしれません。その体内時計に逆らって、東回りに時計を遡るなど、神をも恐れぬ行為なのです。その天罰に苦しんでいるのでしょう。
ヨーロッパの街では、日曜は教会へ行く日ですから、商店街も皆休みです。日本人は、身を削りながら生きているのかもしれません。その体内時計に逆らって、東回りに時計を遡るなど、神をも恐れぬ行為なのです。その天罰に苦しんでいるのでしょう。