2014年 02月 23日
毎日少しづつ |
この部屋に戻ってくると、まず、dccのテープを選び、再生と同時にKORGのMR2000sの録音ボタンを押します。デジタルコピーですから、録音レヴェル合わせは必要有りません。 CDは44.1kHz/16ビットですが、Mr2000sに取り込むときは、24bitで行っています。dccは時々18bitで録られたアルバムがあるからです。これがなかなか根気のいる仕事で、とりあえず付きっきりで、全国を聴かなければなりません。どこかで音飛びがあるやもしれないからです。
中にはCDと同じタイトルのアルバムもあります。これを一対で比較すると、CDとdccの違いと、テープの媒体の特徴が出て来ます。一言でいうと、dccの方がよりアナログ的です。柔らかいのです。オーケストラの演奏を聴くと、幾分低域に重心が下がっているのが解ります。しかし、それは、トーンコントロールでも調整できる範囲でしょう。両方とも、emmを通じて再生しています。emmのCDはトランスポートからDSDの5.6mHzに変換されて送られます。dccの方は、PASCと呼ばれる圧縮処理をされた44.1kHzのPCMです。その規格の音の差もあるでしょう。しかし、テープ派の私には、CDより自然に聞こえてくるのです。
これは南米のパンフルートとオルガンの名盤です。オルガンに負けない太いパイプの音がパンフルートからするのです。1992年に発売されてから、二十年以上愛聴しています。dccの音は、形態通りカセットテープとCDの音の中間を再現するので、不思議です。先日出来上がってきたCD34改Zは、どちらかというとそのDCCの柔らかい音になるから不思議なのです。PHILIPSのメカとDACが再現するからでしょうか?この音がCDから聞こえるのなら、なにもdccから変換する必要は無いのではとさえ思えます。しかし、どなたもがこのCD34改を持っているわけではありません。ファイル化は、次の世代への遺産です。アナログテープからファイル化を行っているのは、我々の世代が次の世代に残す遺産の管理をしているのです。
そして、そのファイル化を通して、オリジナルの音がどれほど優れていたかが解るのです。普通、CDの音だと思われてきたものが、SPやアンプのセッティングだったり、マッチングだったりするのです。要するに使いこなしが出来ていないということでしょうか?
dcc愛好会で一緒だった大山さんから、DCCのテープが送られてきました。こちらの方から先にファイル化を進めています。名盤ばっかりですね。
中にはCDと同じタイトルのアルバムもあります。これを一対で比較すると、CDとdccの違いと、テープの媒体の特徴が出て来ます。一言でいうと、dccの方がよりアナログ的です。柔らかいのです。オーケストラの演奏を聴くと、幾分低域に重心が下がっているのが解ります。しかし、それは、トーンコントロールでも調整できる範囲でしょう。両方とも、emmを通じて再生しています。emmのCDはトランスポートからDSDの5.6mHzに変換されて送られます。dccの方は、PASCと呼ばれる圧縮処理をされた44.1kHzのPCMです。その規格の音の差もあるでしょう。しかし、テープ派の私には、CDより自然に聞こえてくるのです。
これは南米のパンフルートとオルガンの名盤です。オルガンに負けない太いパイプの音がパンフルートからするのです。1992年に発売されてから、二十年以上愛聴しています。dccの音は、形態通りカセットテープとCDの音の中間を再現するので、不思議です。先日出来上がってきたCD34改Zは、どちらかというとそのDCCの柔らかい音になるから不思議なのです。PHILIPSのメカとDACが再現するからでしょうか?この音がCDから聞こえるのなら、なにもdccから変換する必要は無いのではとさえ思えます。しかし、どなたもがこのCD34改を持っているわけではありません。ファイル化は、次の世代への遺産です。アナログテープからファイル化を行っているのは、我々の世代が次の世代に残す遺産の管理をしているのです。
そして、そのファイル化を通して、オリジナルの音がどれほど優れていたかが解るのです。普通、CDの音だと思われてきたものが、SPやアンプのセッティングだったり、マッチングだったりするのです。要するに使いこなしが出来ていないということでしょうか?
dcc愛好会で一緒だった大山さんから、DCCのテープが送られてきました。こちらの方から先にファイル化を進めています。名盤ばっかりですね。
by TANNOY-GRF
| 2014-02-23 20:54
| 好きなテープ
|
Comments(3)
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by
GRF
at 2014-02-25 23:23
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「すこしづつ」と表記したら、「づつ」は「ずつ」と書くのが、本当だから、次回からなおしてくださいね、と優しいご指摘がありました。
現在の表記は、確かに「ずつ」に統一されてきたのですが、昔から使っている我々や、旧仮名遣いの本に親しんできた我々の世代の人は、やはり「づつ」と表現したいのです。
これは意識的に「づつ」と打っているので、GRFさんはこういう表現が好きなのだと、思っていただければ幸いです。
本来の用語や意味を考えると、例えば「ひとつづつ」は漢字の表現では、『一つ宛』です。『宛」を『ずつ」とは呼びませんよね。
現在の表記は、確かに「ずつ」に統一されてきたのですが、昔から使っている我々や、旧仮名遣いの本に親しんできた我々の世代の人は、やはり「づつ」と表現したいのです。
これは意識的に「づつ」と打っているので、GRFさんはこういう表現が好きなのだと、思っていただければ幸いです。
本来の用語や意味を考えると、例えば「ひとつづつ」は漢字の表現では、『一つ宛』です。『宛」を『ずつ」とは呼びませんよね。
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by
Bellwood
at 2014-02-27 09:24
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「ずつ」を、旧かなづかいで常用されていた「づつ」と表記することは、現代かなづかいでも許容しているというのはその通りです。
ただ、ややオタクっぽいことを申し上げると、古語においては「ひとつづつ」のように《数詞+づつ》という用法がほとんどです。「少しづつ」《程度副詞+づつ》は限られていてます。この用法であっても「少しづつ分け与える」というように「少し」は程度ではなく分量を表現しています。一方で、夜が明けるに従って「少しずつ明るくなってきた」「秋が深まり少しずつ山々が赤みを帯びてきた」のように程度が次第に発展していく様を現す用法は、中古文には認められず、優れて近代・現代の用法と言えます。
私は何となく、「づつ」と「ずつ」を遣いわける気分があります。「少し」を「ひとつ」に置き換えても意味が通る場合は「づつ」、何だか意味がおかしくなってしまう場合は「ずつ」というわけです。「毎日少しづつ」というのは、一日、一日、何か小さなことだあってもひとつひとつやって前進するという数詞的意味合いですから「づつ」のほうが、私はぴったりくるというわけです。
ただ、ややオタクっぽいことを申し上げると、古語においては「ひとつづつ」のように《数詞+づつ》という用法がほとんどです。「少しづつ」《程度副詞+づつ》は限られていてます。この用法であっても「少しづつ分け与える」というように「少し」は程度ではなく分量を表現しています。一方で、夜が明けるに従って「少しずつ明るくなってきた」「秋が深まり少しずつ山々が赤みを帯びてきた」のように程度が次第に発展していく様を現す用法は、中古文には認められず、優れて近代・現代の用法と言えます。
私は何となく、「づつ」と「ずつ」を遣いわける気分があります。「少し」を「ひとつ」に置き換えても意味が通る場合は「づつ」、何だか意味がおかしくなってしまう場合は「ずつ」というわけです。「毎日少しづつ」というのは、一日、一日、何か小さなことだあってもひとつひとつやって前進するという数詞的意味合いですから「づつ」のほうが、私はぴったりくるというわけです。
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by
GRF
at 2014-02-27 10:52
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Bellwoodさん やたらオタクっぽい解説ありがとうございます(爆)。今回の場合は、少し宛、一枚一枚づつ、ファイル化しているので、Bellwoodさんの厳格な定義にもあっているようです(ほっ!)。
私は、発音上の問題もあり、づつをずつとは書きにくいのです。つに濁音がついた「づ」と、すに濁音が付いた「ず」は、違うからです。そのいみで、あえて、パソコンは「づつ」と打つと、必ず「ずつが本則」と訂正を強要して来るのですが、敢えて無視して、づつと打っているのです。これは確信犯ですね。
私は、発音上の問題もあり、づつをずつとは書きにくいのです。つに濁音がついた「づ」と、すに濁音が付いた「ず」は、違うからです。そのいみで、あえて、パソコンは「づつ」と打つと、必ず「ずつが本則」と訂正を強要して来るのですが、敢えて無視して、づつと打っているのです。これは確信犯ですね。