2015年 04月 28日
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲 |
土曜日の紀尾井シンフォニエッタ東京の演奏会は、アマ・チュマチェンコさんを迎えてのヴァイオリン協奏曲二曲とシューベルトの交響曲第九番(八番)のザ・グレートでした。チュマチェンコ先生と呼んだ方がふさわしい著名な教育者でもあります。長年ミュンヘンの音楽大学の教授を務めて、エリザーベートコンクールやシベリウスコンクールの審査員でもされています。育てたお弟子さんは沢山活躍されていて、今日の紀尾井シンフォニエッタ東京のコンサートミストレスの玉井菜採もその一人。玉井さんはその、エリザーベート王妃コンクールとシベリウスヴァイオリンコンクールの優勝者でもあるのですね。
今日はそのチュマチェンコさんとお弟子さんの玉井さんとの共演で、モーツァルトの二つのヴァイオリンの為の協奏曲ハ長調とチュマチェンコさんのヴァイオリン協奏曲の第四番二長調が演奏されます。玉井さんがコンミスをされる時の紀尾井シンフォニエッタは音が丁寧になり、柔らかな響きになります。それが考えてみるとチュマチェンコさん風の演奏スタイルなのかも知れません。
会場に入ると、いつもとは違うオーケストラ配置でした。最初の曲はヴァイオリンが二台なので、指揮者とコンサートマスターの間が開いています。配置も、私の言うところの不知火型(両翼型)の配置で、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが右左に別れ対向しています。低音楽器は、中央部位配置され、コントラバスは、正面に来ていました。ウイーンフィルのニューイヤーコンサート見たく、正面ひな壇の上に来ると、迫力が出るのですが。
最初の曲は、「2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ」これは初めて聴く曲でしたが、いかにもモーツァルトらしい、軽快でウィットに富んだ曲です。二つのヴァイオリンが掛け合いながら進行していきます。チュマチェンコさんの深い音と、玉井さんのきれいな音の対比が美しいです。弾き方は、全く同じなのですが、でてくる音が違います。これが個性の違いなのでしょうか。勿論楽器の音色の差もあるでしょうが、チュマチェンコさんの演奏は、ゆったりと深みのある音ですね。師弟が同じ曲を弾くという、玉井さんに取っては、緊張もするでしょうが、誇らしい瞬間でのあります。特筆すべきは、読響の蠣崎さんのオーボエのソロと、林俊昭さんのチェロの雄弁な歌い方は、この四つの楽器の為のコンチェルトーネとでもいうべき熱演でした。蠣崎さんのオーボエは何時も聞いているのですが、今日は一層音色がまろやかで、美しい響きでした。
二曲目は、玉井さんがコンミスに戻り、そうそう、前の曲は、N響次席の大宮さんが、コンサートマスター席でした。N響の時もそうですが、大宮君自体は、個性的な感じがせず、どのコンサートマスターにも合わせられるニュートラルな感じなのです。その彼が、オーケストラを引っ張るときは、どの様に音が変わるのか、楽しみでした。私の予想に反し、オーケストラは、力強く深い響きで、対向配置の性もあるのですが、ゆったりとした演奏に感心しました。最も、テンポの設定は、指揮者であるサッシャ・ゲッツェル さんの大きな解りやすいい指揮振りから来るのでしょうけど、二曲目の玉井さんに戻った時は、やはり玉井さんの少し慎ましい響きに戻ったのが印象的でした。
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調KV218の方は、いつもよく聞く曲です。チュマチェンコさんの演奏スタイルもがらりと変わり、スケールが大きな演奏になりました。音色の幅が拡がり、音の強弱もはっきりとして、メリハリが素敵です。何よりも低弦の音の深さが、同じ楽器とは思えぬ程です。若いモーツァルトの曲とは思えず、モーツァルトの天才性が曲の間から見えてくるのです。余裕のある演奏スタイルは、他の誰とも違う響きです。演歌で言えば、わびさびの部分の歌い方が、コクがあるのです。スープに美味しいバターが加わったような、まろやかだけど深みのある味に変わったのが、驚きでした。聴衆の満足度も高く、終わってからも、何回もカーテンコールに呼ばれました。指揮者のゲッツェル さんもチュマチェンコさんの演奏には、敬意と尊敬を表していました。
休み時間は、知っている方にお会い出来なくて、残念でした。休み時間もゆっくりとお席の方で、感激を味わっておられるのでしょうか?
さて、休憩が終わると、シューベルトの最後の交響曲第九番(最近の番号では8番)のハ長調の交響曲、『ザ・グレート』です。私は、数ある交響曲の中でも、一番好きな交響曲かも知れません。以前も準・メルクルさんの項でも書きましたが、この曲はブラームスの交響曲よりも、様々な演奏家でレコードやCDを持っています。一楽章ごと楽しみが替わり、どの楽章も楽しめます。冒頭のホルンは難しく、どうなることかと半分心配していましたが、フレーズは短く、破綻無くスタートが切れました。次は、蒸気機関車がゆっくりスタートしていくような、弦楽器の動きが美しいパッセージです。
第二楽章のオーボエも見事です。管楽器は、トランペットの音量が幾分一本調子出、大きいように感じました。また、トロンボーンもその傾向にありました。今回は、音量的に盛り上がりがすくなかったようにも感じましが、全体的には瑕疵もなく、良い演奏でした。しかし、水戸の時のような感動は押し寄せません。その一番の原因は、ティンパニのマレットの選択です。一般的なフェルトを使用したタイプではなく、小太鼓のバチのような、先の細くなったマレットを使用しています。ティンパニストの近藤さんの確信的な信念なのでしょう。ロマン派の演奏では、通常のマレットを使うのですが、モーツァルト、ベートーヴェンだと、棒だけを使用するのです。それがシューベルトのロマン的な交響曲に合うのかは、大変私は疑問です。
水戸のローランド・アルトマンは部分的には、部分的にフェルトの無い柄の方を使用して効果を出していましたが、普通のところは、フェルトありの方を使用していました。先のとがったマレットでは、和太鼓を叩いているようで、シューベルトの曲想とは合わないのです。ティンパニストは指揮者とは話し合いをして決めているのでしょうか?
紀尾井のオーケストラのメンバーは、弦楽器が8・6・6・4・2で、管楽器は2管でトロンボーン3本という編成です。昨年の水戸の演奏と同じですが、今回は、弦楽器と管楽器との間のバランスが微妙に管楽器の音量に弦楽器が負けていました。その点、水戸の演奏は、最終のコーダは、弦楽器群も盛り上がり、どんどん前へ前へと進んで行って感動したのですが、今回はそこまでは行きませんでした。指揮者の指示は大変分かりやすく、一生懸命だったのですが、、。
シューベルトは名演でしたが、そのティンパニだけが、画竜点睛を欠くと行ったところでしょうか。私の中には、前半のモーツァルトの素晴らしさだけが残りました。
今日はそのチュマチェンコさんとお弟子さんの玉井さんとの共演で、モーツァルトの二つのヴァイオリンの為の協奏曲ハ長調とチュマチェンコさんのヴァイオリン協奏曲の第四番二長調が演奏されます。玉井さんがコンミスをされる時の紀尾井シンフォニエッタは音が丁寧になり、柔らかな響きになります。それが考えてみるとチュマチェンコさん風の演奏スタイルなのかも知れません。
会場に入ると、いつもとは違うオーケストラ配置でした。最初の曲はヴァイオリンが二台なので、指揮者とコンサートマスターの間が開いています。配置も、私の言うところの不知火型(両翼型)の配置で、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが右左に別れ対向しています。低音楽器は、中央部位配置され、コントラバスは、正面に来ていました。ウイーンフィルのニューイヤーコンサート見たく、正面ひな壇の上に来ると、迫力が出るのですが。
最初の曲は、「2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ」これは初めて聴く曲でしたが、いかにもモーツァルトらしい、軽快でウィットに富んだ曲です。二つのヴァイオリンが掛け合いながら進行していきます。チュマチェンコさんの深い音と、玉井さんのきれいな音の対比が美しいです。弾き方は、全く同じなのですが、でてくる音が違います。これが個性の違いなのでしょうか。勿論楽器の音色の差もあるでしょうが、チュマチェンコさんの演奏は、ゆったりと深みのある音ですね。師弟が同じ曲を弾くという、玉井さんに取っては、緊張もするでしょうが、誇らしい瞬間でのあります。特筆すべきは、読響の蠣崎さんのオーボエのソロと、林俊昭さんのチェロの雄弁な歌い方は、この四つの楽器の為のコンチェルトーネとでもいうべき熱演でした。蠣崎さんのオーボエは何時も聞いているのですが、今日は一層音色がまろやかで、美しい響きでした。
二曲目は、玉井さんがコンミスに戻り、そうそう、前の曲は、N響次席の大宮さんが、コンサートマスター席でした。N響の時もそうですが、大宮君自体は、個性的な感じがせず、どのコンサートマスターにも合わせられるニュートラルな感じなのです。その彼が、オーケストラを引っ張るときは、どの様に音が変わるのか、楽しみでした。私の予想に反し、オーケストラは、力強く深い響きで、対向配置の性もあるのですが、ゆったりとした演奏に感心しました。最も、テンポの設定は、指揮者であるサッシャ・ゲッツェル さんの大きな解りやすいい指揮振りから来るのでしょうけど、二曲目の玉井さんに戻った時は、やはり玉井さんの少し慎ましい響きに戻ったのが印象的でした。
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調KV218の方は、いつもよく聞く曲です。チュマチェンコさんの演奏スタイルもがらりと変わり、スケールが大きな演奏になりました。音色の幅が拡がり、音の強弱もはっきりとして、メリハリが素敵です。何よりも低弦の音の深さが、同じ楽器とは思えぬ程です。若いモーツァルトの曲とは思えず、モーツァルトの天才性が曲の間から見えてくるのです。余裕のある演奏スタイルは、他の誰とも違う響きです。演歌で言えば、わびさびの部分の歌い方が、コクがあるのです。スープに美味しいバターが加わったような、まろやかだけど深みのある味に変わったのが、驚きでした。聴衆の満足度も高く、終わってからも、何回もカーテンコールに呼ばれました。指揮者のゲッツェル さんもチュマチェンコさんの演奏には、敬意と尊敬を表していました。
休み時間は、知っている方にお会い出来なくて、残念でした。休み時間もゆっくりとお席の方で、感激を味わっておられるのでしょうか?
さて、休憩が終わると、シューベルトの最後の交響曲第九番(最近の番号では8番)のハ長調の交響曲、『ザ・グレート』です。私は、数ある交響曲の中でも、一番好きな交響曲かも知れません。以前も準・メルクルさんの項でも書きましたが、この曲はブラームスの交響曲よりも、様々な演奏家でレコードやCDを持っています。一楽章ごと楽しみが替わり、どの楽章も楽しめます。冒頭のホルンは難しく、どうなることかと半分心配していましたが、フレーズは短く、破綻無くスタートが切れました。次は、蒸気機関車がゆっくりスタートしていくような、弦楽器の動きが美しいパッセージです。
第二楽章のオーボエも見事です。管楽器は、トランペットの音量が幾分一本調子出、大きいように感じました。また、トロンボーンもその傾向にありました。今回は、音量的に盛り上がりがすくなかったようにも感じましが、全体的には瑕疵もなく、良い演奏でした。しかし、水戸の時のような感動は押し寄せません。その一番の原因は、ティンパニのマレットの選択です。一般的なフェルトを使用したタイプではなく、小太鼓のバチのような、先の細くなったマレットを使用しています。ティンパニストの近藤さんの確信的な信念なのでしょう。ロマン派の演奏では、通常のマレットを使うのですが、モーツァルト、ベートーヴェンだと、棒だけを使用するのです。それがシューベルトのロマン的な交響曲に合うのかは、大変私は疑問です。
水戸のローランド・アルトマンは部分的には、部分的にフェルトの無い柄の方を使用して効果を出していましたが、普通のところは、フェルトありの方を使用していました。先のとがったマレットでは、和太鼓を叩いているようで、シューベルトの曲想とは合わないのです。ティンパニストは指揮者とは話し合いをして決めているのでしょうか?
紀尾井のオーケストラのメンバーは、弦楽器が8・6・6・4・2で、管楽器は2管でトロンボーン3本という編成です。昨年の水戸の演奏と同じですが、今回は、弦楽器と管楽器との間のバランスが微妙に管楽器の音量に弦楽器が負けていました。その点、水戸の演奏は、最終のコーダは、弦楽器群も盛り上がり、どんどん前へ前へと進んで行って感動したのですが、今回はそこまでは行きませんでした。指揮者の指示は大変分かりやすく、一生懸命だったのですが、、。
シューベルトは名演でしたが、そのティンパニだけが、画竜点睛を欠くと行ったところでしょうか。私の中には、前半のモーツァルトの素晴らしさだけが残りました。
by TANNOY-GRF
| 2015-04-28 15:15
| 演奏会場にて
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