2015年 10月 27日
ホログラフの音を求めて-4 |
ホログラフの音とは、三次元の立体音を言います。本当は少し違うのですが、モノラルを一次元とすると、ステレオは二次元になります。三次元の音とは、マルチチャンネルのことを指すと思われるかも知れませんが、2チャンネルのステレオで、三次元の音を再現することを言います。何故ならば、モノラルの信号には、音の強弱ばかりでなく、遅延して到達する音の差により、場所の状況を判断できるからです。その場所の状況、環境はモノラル信号にも含まれています。モノラルは、一次元ではなく奥行き方向の二次元の音を含んでいるのです。それに二つの耳に対応する左右の音が加わると、ステレオになった次元で、三次元情報を含んでいるわけです。
人間は二つの耳を使って、左右の耳に到達するほんの少しの違いで、音の方向や距離を判別する驚くべき機能を誰もが持っています。耳と目が一対づつ有るのは,自らの位置を判断する防衛本能から出来ています。そしてその違いを,幼少の頃からの経験で養っていくのです。その意味では、現在の様にイアーフォンを常に耳の中に入れている状況が続くと、次の世代の人間の空間把握力に大きな影響がでると懸念しています。人は経験しなければ、押し寄せてくる様々の音を何であるかを判断できません。
朝晩のラッシュアワーのターミナル駅の情景を想像して下さい。構内で何千、何万の人とすれ違います。ほとんどの人は見知らぬ人達です。小説家でも無ければ、行き交う人達を観察さえしません。でも、その中で知人とすれ違うとお互いに一瞬で認識します。目は常にすべてを見ています。でなければ他の人と衝突してしまいます。でも見知らぬ人だとそれを他人として判断して,脳はそれを覚えていないのです。
耳も目と同じ事をしています。危険を知らせる本能的な判断を常に耳はしているのです。そして、音の様子を判断して、自分が常にどの様な状況にいるのかを判断しているのです。例えば、室内の中から表に出ると、一瞬にして反響が変わりますね。その違いを脳は記憶して、どの様な状況ではどの様な音をするかを、本能として記憶していきます。耳に障害がある方が、しゃべれないのは、自分が出した音を自分で聞くことが出来ないからです。電車の中で電話が他の人の迷惑になるからと禁止されているのは電車の中のような騒音に満ちた空間では、しゃべる声が自然に大きくなり、回りの人に迷惑が掛かるからです。静かな室内とは違った反応をしているからですね。
耳の方は、先日のジェット機のような大騒音から、何も聴けない無音の状況まで、実に130db以上の音を判断しています。20dbで十倍ですから、120dbでは何と100万倍の違いを判断するのです。その壮大なダイナミクスの変化を左右のマイクに到達する時間差を判断して、方向のみならず、環境も聞き分けているのです。コンサートホールでの、2秒間の残響も、長い年月を掛けてそれが一番気持ちいいと判断しているからです。その実際のコンサートホールでの音を経験するのしないのでは、音の判断や調整の方法が違ってきますね。ラッシュアワーの知人の顔を判断するように、経験した事のある音は、脳に記憶されてその違いを聞き分けることが出来るのです。
モノラルの音には、音の強弱、音の遅延による残響の判断で奥行き方向の差は、再現出来ます。ステレオのスピーカーでモノラルの音源を再生すると、左右のSPの真ん中に定位すると思われますが、真性のモノラル録音ならば、左右のSP一杯まで音が拡がり、奥行きも聞こえて来ます。SPを蓄音機で聴いた事があれば、その柔らかく、懐の深い音に驚かれたはずです。78回転のSPの音は,38センチのテープの音にそっくりなのです。
モノラルのレコードをスピーカー一本だけで再生すれば、その奥深いモノラルの安らぎに満ちた音を聴くことが出来るのです。オートグラフやGRFのコーナー型のSPは、左右の壁をバックロードホーンの延長として使い、部屋をコンサートホールのサウンドに換えるのです。ところが、モノラルでは、低音から高音まで全音域がしっかりと再生されていないと、言い換えると大型の蓄音機やスピーカーで無いと、低域の再現が出来無いのでオーケストラや楽器の現物大の音は出ません。モノラルの時代は、大型のホーンスピーカーや、低音用の大バッフルやキャビネットを必要としたのです。
ところが、実際の基音の低音が出ていなくとも、その楽器がだす、倍音成分が再現されていると、人の耳は、経験からこの様な音が出ているときは、基音の低音が出ているからだと判断します。勿論、経験が無ければ判断できませんが。脳は、実際に聴いた音とは別に、知識としての情報と音の経験を結びつけることが出来ます。レコードのジャケットとその演奏、そして収録されていた音とその情報を結びつけて記憶するのです。それが長年の経験となると、そのレコードの音を音楽として記憶するのですね。レコードを聴くと懐かしい感じがするのは、そのような記憶と結びついているからでしょう。
その基音と倍音成分の左右の遅延を聞き分けて,人の脳は、その音の環境を判断します。ステレオの仕組みは、その音の遅延や音の強弱により、元の音を想像する人間の本能が持っている作用を利用していると言えます。だから、人によりステレオは幻想を聴いているので、実際の音を聴いているのはないという主張もありました。しかし、実際の音も、人が耳と脳を使って来いている限り、同じ事になります。ステレオ録音は、その意味で、二種類有るのです。生の音をそのまま収録する、ワンポイントマイク録音と、多数のマイクを使って、調整盤で音を合成して作られるマルチ録音方式です。
ワンポイント録音は、勿論一番自然な録音です。小編成の録音や、コンサートホールでの実際の音の響きを収録するにはこの方法しか有りません。それを、小型でも、正しい位置に置いて再現すれば、収録した現場の音響が、その通り再現されるのです。
それと比べると、マルチマイクの録音は、沢山の音をモノラルで収録して、それを左右に振り分けて合成して作られる録音方法です。作られた音は、スタジオのモニタースピーカーから聞こえてくる音で判断されて合成されるのです。元の音がホールに鳴り響いているクラシックの録音では、会場の一番良い音がする場所に設置されている、アンビアンスを収録するマイクを補強するようにモノラルマイクで録られた音を合成していくのです。その音を、正しく設置されたスピーカーで再現すると、ホールトーンの自然な音と、マルチマイクで合成した音が、パッチワークのように貼り付けられて不自然さをそのまま出してしまうことがあります。
何故、ホールの自然な音に対して、マルチアンプで音そのものを拾って増強するのでしょう。それは実際の演奏では、他の音に隠れてしまって、スコアを見るような音が聞こえないからと言われています。実際の演奏会場で、聞こえにくい音は、視覚で補っているから聞こえるのだとされています。本当でしょうか?良いホールでは、奏者が紙をめくる音でさえ鮮やかに聞こえて来ます。良い音で収録しないでスタジオで、簡単に種録しようとした時から、マルチマイクが始まったように思えます。私の好きなクレンペラーの収録では、基本的に三本のマイクで録られているのです。
実際には、その二つの異なった録音方式にどの様に対応していくかが、問題解決の鍵となるのです。
人間は二つの耳を使って、左右の耳に到達するほんの少しの違いで、音の方向や距離を判別する驚くべき機能を誰もが持っています。耳と目が一対づつ有るのは,自らの位置を判断する防衛本能から出来ています。そしてその違いを,幼少の頃からの経験で養っていくのです。その意味では、現在の様にイアーフォンを常に耳の中に入れている状況が続くと、次の世代の人間の空間把握力に大きな影響がでると懸念しています。人は経験しなければ、押し寄せてくる様々の音を何であるかを判断できません。
朝晩のラッシュアワーのターミナル駅の情景を想像して下さい。構内で何千、何万の人とすれ違います。ほとんどの人は見知らぬ人達です。小説家でも無ければ、行き交う人達を観察さえしません。でも、その中で知人とすれ違うとお互いに一瞬で認識します。目は常にすべてを見ています。でなければ他の人と衝突してしまいます。でも見知らぬ人だとそれを他人として判断して,脳はそれを覚えていないのです。
耳も目と同じ事をしています。危険を知らせる本能的な判断を常に耳はしているのです。そして、音の様子を判断して、自分が常にどの様な状況にいるのかを判断しているのです。例えば、室内の中から表に出ると、一瞬にして反響が変わりますね。その違いを脳は記憶して、どの様な状況ではどの様な音をするかを、本能として記憶していきます。耳に障害がある方が、しゃべれないのは、自分が出した音を自分で聞くことが出来ないからです。電車の中で電話が他の人の迷惑になるからと禁止されているのは電車の中のような騒音に満ちた空間では、しゃべる声が自然に大きくなり、回りの人に迷惑が掛かるからです。静かな室内とは違った反応をしているからですね。
耳の方は、先日のジェット機のような大騒音から、何も聴けない無音の状況まで、実に130db以上の音を判断しています。20dbで十倍ですから、120dbでは何と100万倍の違いを判断するのです。その壮大なダイナミクスの変化を左右のマイクに到達する時間差を判断して、方向のみならず、環境も聞き分けているのです。コンサートホールでの、2秒間の残響も、長い年月を掛けてそれが一番気持ちいいと判断しているからです。その実際のコンサートホールでの音を経験するのしないのでは、音の判断や調整の方法が違ってきますね。ラッシュアワーの知人の顔を判断するように、経験した事のある音は、脳に記憶されてその違いを聞き分けることが出来るのです。
モノラルの音には、音の強弱、音の遅延による残響の判断で奥行き方向の差は、再現出来ます。ステレオのスピーカーでモノラルの音源を再生すると、左右のSPの真ん中に定位すると思われますが、真性のモノラル録音ならば、左右のSP一杯まで音が拡がり、奥行きも聞こえて来ます。SPを蓄音機で聴いた事があれば、その柔らかく、懐の深い音に驚かれたはずです。78回転のSPの音は,38センチのテープの音にそっくりなのです。
モノラルのレコードをスピーカー一本だけで再生すれば、その奥深いモノラルの安らぎに満ちた音を聴くことが出来るのです。オートグラフやGRFのコーナー型のSPは、左右の壁をバックロードホーンの延長として使い、部屋をコンサートホールのサウンドに換えるのです。ところが、モノラルでは、低音から高音まで全音域がしっかりと再生されていないと、言い換えると大型の蓄音機やスピーカーで無いと、低域の再現が出来無いのでオーケストラや楽器の現物大の音は出ません。モノラルの時代は、大型のホーンスピーカーや、低音用の大バッフルやキャビネットを必要としたのです。
ところが、実際の基音の低音が出ていなくとも、その楽器がだす、倍音成分が再現されていると、人の耳は、経験からこの様な音が出ているときは、基音の低音が出ているからだと判断します。勿論、経験が無ければ判断できませんが。脳は、実際に聴いた音とは別に、知識としての情報と音の経験を結びつけることが出来ます。レコードのジャケットとその演奏、そして収録されていた音とその情報を結びつけて記憶するのです。それが長年の経験となると、そのレコードの音を音楽として記憶するのですね。レコードを聴くと懐かしい感じがするのは、そのような記憶と結びついているからでしょう。
その基音と倍音成分の左右の遅延を聞き分けて,人の脳は、その音の環境を判断します。ステレオの仕組みは、その音の遅延や音の強弱により、元の音を想像する人間の本能が持っている作用を利用していると言えます。だから、人によりステレオは幻想を聴いているので、実際の音を聴いているのはないという主張もありました。しかし、実際の音も、人が耳と脳を使って来いている限り、同じ事になります。ステレオ録音は、その意味で、二種類有るのです。生の音をそのまま収録する、ワンポイントマイク録音と、多数のマイクを使って、調整盤で音を合成して作られるマルチ録音方式です。
ワンポイント録音は、勿論一番自然な録音です。小編成の録音や、コンサートホールでの実際の音の響きを収録するにはこの方法しか有りません。それを、小型でも、正しい位置に置いて再現すれば、収録した現場の音響が、その通り再現されるのです。
それと比べると、マルチマイクの録音は、沢山の音をモノラルで収録して、それを左右に振り分けて合成して作られる録音方法です。作られた音は、スタジオのモニタースピーカーから聞こえてくる音で判断されて合成されるのです。元の音がホールに鳴り響いているクラシックの録音では、会場の一番良い音がする場所に設置されている、アンビアンスを収録するマイクを補強するようにモノラルマイクで録られた音を合成していくのです。その音を、正しく設置されたスピーカーで再現すると、ホールトーンの自然な音と、マルチマイクで合成した音が、パッチワークのように貼り付けられて不自然さをそのまま出してしまうことがあります。
何故、ホールの自然な音に対して、マルチアンプで音そのものを拾って増強するのでしょう。それは実際の演奏では、他の音に隠れてしまって、スコアを見るような音が聞こえないからと言われています。実際の演奏会場で、聞こえにくい音は、視覚で補っているから聞こえるのだとされています。本当でしょうか?良いホールでは、奏者が紙をめくる音でさえ鮮やかに聞こえて来ます。良い音で収録しないでスタジオで、簡単に種録しようとした時から、マルチマイクが始まったように思えます。私の好きなクレンペラーの収録では、基本的に三本のマイクで録られているのです。
実際には、その二つの異なった録音方式にどの様に対応していくかが、問題解決の鍵となるのです。
by TANNOY-GRF
| 2015-10-27 23:36
| オーディオ雑感
|
Comments(4)
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by
(Y)
at 2015-10-28 21:05
x
GRF様
ふと、残響のまったく無い邦楽の場合はどうだろうと思い、コロムビアの古いこまどり姉妹のモノラル・シングル盤を取り出してみました(笑)。当たり前ですが三味線の直接音だらけでした。これはこれで味わいが有っていいものです(笑)。というか、ホッとしますね。
ふと、残響のまったく無い邦楽の場合はどうだろうと思い、コロムビアの古いこまどり姉妹のモノラル・シングル盤を取り出してみました(笑)。当たり前ですが三味線の直接音だらけでした。これはこれで味わいが有っていいものです(笑)。というか、ホッとしますね。
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TANNOY-GRF at 2015-10-28 22:50
(Y)さん 邦楽は、残響のないところのかぶりつきの音で,大好きです(笑)。Jazzのドラムスのように至近距離で録られているモノも多いですね。ふすまの音が、また吸音に聴いています。落語の出ばやしと三味線も隠れたオーディオ名録音があります。
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(Y)
at 2015-10-28 23:31
x
GRF様
>落語の出ばやしと三味線も隠れたオーディオ名録音があります。
東京の有名な寄席は純和風ですが、関西にはそういったものが少なく、子供の頃に足しげく通った神戸・新開地の今は無き松竹座は三階席のある演芸場でしたから、それなりに洋風でした。関西の寄席は歌謡ショーが多く、落語は全席の2〜3割程度でした。思えば自分の初めての実演鑑賞はこの松竹座で、トリは当時最盛期のかしまし娘でした。寄席でももの凄い人気だったことを急に思い出しました。ずいぶんと話がずれてしまいスミマセン(笑)。
>落語の出ばやしと三味線も隠れたオーディオ名録音があります。
東京の有名な寄席は純和風ですが、関西にはそういったものが少なく、子供の頃に足しげく通った神戸・新開地の今は無き松竹座は三階席のある演芸場でしたから、それなりに洋風でした。関西の寄席は歌謡ショーが多く、落語は全席の2〜3割程度でした。思えば自分の初めての実演鑑賞はこの松竹座で、トリは当時最盛期のかしまし娘でした。寄席でももの凄い人気だったことを急に思い出しました。ずいぶんと話がずれてしまいスミマセン(笑)。
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TANNOY-GRF at 2015-10-29 06:47
話のズレついでに(笑)、はじめて関西の落語を聞いた(観た)のは、国立劇場の名人会だったと思います。松鶴や米朝を初めて見て、講談師の様に机に膝を突いてしゃべるスタイルに驚きました。見台と小拍子を観たのも初めてでした。その小拍子を講談師の様に使うのは、音響的には効果有ると驚きました。
かしまし娘のかしましさは、香港みたいで、大阪は東京都はまったく違う文化だと思いました。
かしまし娘のかしましさは、香港みたいで、大阪は東京都はまったく違う文化だと思いました。