2018年 10月 20日
想い出のシャルル・アズナヴール 1 |
アズナヴールが遂に召されました。1924年(大正13年)生まれでしたから今年94歳でした。葬儀は歴代の大統領も参列したフランスの国葬として営まれました。棺は三色旗に包まれ、儀仗兵に担がれナポレオンも眠る由緒正しい傷病兵の病院と寺院の中庭で行われました。文字通りのフランスを代表する歌手でした。
会場では、最後に彼の曲”Emmenez-moi"が歌われ、見送りの歌となりました。最期に地の果ての楽園へと旅だったのです。この曲を聴いたのが、ちょうど50年前の彼の公演でした。アズナヴールの曲は、常に私の中で消えない炎のように燃え続けています。
Emmenez-moi 世界の果てに Charles Aznavour
Vers les docks où le poids et l'ennui
Me courbent le dos
Ils arrivent le ventre alourdi
De fruits les bateaux
重圧と憂鬱が
僕の背を曲げさせている
ドックに
果物を満載した船が着く
Ils viennent du bout du monde
Apportant avec eux
Des idées vagabondes
Aux reflets de ciels bleus
De mirages
船は世界の果てからやって来た
幻影の
青空の輝きへの
とりとめもない思いをも
もたらしつ
Traînant un parfum poivré
De pays inconnus
Et d'éternels étés
Où l'on vit presque nus
Sur les plages
人々が海辺で
裸同然で暮す
見知らぬ国の
常夏の国の
胡椒の香りをもたずさえて
Moi qui n'ai connu toute ma vie
Que le ciel du nord
J'aimerais débarbouiller ce gris
En virant de bord
僕は今までずっと
北国の空しか知らなかったから
方向転換して
この灰色の世界から抜け出したかった
Emmenez-moi au bout de la terre
Emmenez-moi au pays des merveilles
Il me semble que la misère
Serait moins pénible au soleil
僕を地の果てに連れてって
僕をすばらしい国に連れてって
辛いことも
少しはましになりそうだ太陽の下でなら
Dans les bars à la tombée du jour
Avec les marins
Quand on parle de filles et d'amour
Un verre à la main
日暮れに酒場で
船乗りたちと
グラス片手に
女や恋のことを話していると
Je perds la notion des choses
Et soudain ma pensée
M'enlève et me dépose
Un merveilleux été
Sur la grève
物事の観念を失い
そして僕の思いは突然
僕をさらって
目くるめく夏の
砂浜に連れて行く
Où je vois tendant les bras
L'amour qui comme un fou
Court au devant de moi
Et je me pends au cou
De mon rêve
そこで僕は腕を差し伸べつつ目にする
狂人のように
僕の前を走り去る恋を
そして僕はすがりつく
自分の夢に
Quand les bars ferment, que les marins
Rejoignent leur bord
Moi je rêve encore jusqu'au matin
Debout sur le port
酒場が閉まり、船乗りたちは
船に戻るが
僕は港につっ立って
明け方まで夢を見続ける
Emmenez-moi au bout de la terre
Emmenez-moi au pays des merveilles
Il me semble que la misère
Serait moins pénible au soleil
僕を地の果てに連れてって
僕をすばらしい国に連れてって
辛いことも
少しはましになりそうだ太陽の下でなら
Un beau jour sur un rafiot craquant
De la coque au pont
Pour partir je travaillerais dans
La soute à charbon
いつの日か、船体から甲板までが
ギシギシときしむぼろ船に乗って
出発するために僕は働こう
炭倉で
Prenant la route qui mène
À mes rêves d'enfant
Sur des îles lointaines
Où rien n'est important
Que de vivre
子供の頃の夢へ
僕を運んでくれる道を辿り
はるかな遠い島へと向かう
そこでは生きていることだけが
大切で
Où les filles alanguies
Vous ravissent le coeur
En tressant m'a-t-on dit
De ces colliers de fleurs
Qui enivrent
そこでは物憂げな娘たちが
心酔わせる
花輪を編んで
ひとの心を奪うという
Je fuirais laissant là mon passé
Sans aucun remords
Sans bagage et le cœur libéré
En chantant très fort
僕はここに過去を捨てて去る
なんら悔いを残さず
荷物も持たず解き放たれた心で
声高々に歌いながら
Emmenez-moi au bout de la terre
Emmenez-moi au pays des merveilles
Il me semble que la misère
Serait moins pénible au soleil
僕を地の果てに連れてって
僕をすばらしい国に連れてって
辛いことも
少しはましになりそうだ太陽の下でなら
lalalalalalalalalalalalalala...
ラララララララララララ…
これは1998年、彼がまだ74歳の時のエネルギーあふれる公演です。
2007年、彼が83歳の時の公演を最後だと思って観に行きました。その9年後の2016年、91歳の時に最後の公演と銘打って、また来日されました。さすがに、90歳も過ぎてエネルギーも落ちては来ましたが、それでもアズナヴールでした。
それも驚きでしたが、今年の五月、再度来日公演が告げられたのです。ところが、その来日直前に足を骨折して延期され、その公演が九月に東京と大阪のNHKホールで開かれたのです。私は、2007年の完璧な想い出を保つため、敢えてこの公演は行きませんでした。しかし、その大阪公演が、彼の生涯最後のコンサートになったのです。
1968年の初来日から、何度となく日本に足を運んでくれました。1972年の来日公演の時、今は無いサンケイホールの楽屋口で、握手したときの厚く大きな手を覚えています。あのときは精悍な顔つきでした。
by TANNOY-GRF
| 2018-10-20 16:49
| 好きなレコード
|
Comments(1)
Commented
by
パグ太郎
at 2018-10-21 06:20
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おはようございます。10/1に亡くなられてから、blogでも触れられず、お邪魔した時(ちょうど葬儀のあった日でしたね)にも一言もなかったので、GRFさんの中でこの事を受け入れる整理をしておられるのだろうなと勝手に思っていました。
偉大なアーティストでした。ご冥福をお祈りします。
偉大なアーティストでした。ご冥福をお祈りします。