2020年 07月 11日
久しぶりに和室でベートーヴェン |
最近は、プロジェクターに入れ込んでいたので、和室での音楽は随分と聴いていませんでした。一つには、隣の部屋のCDを整理するとき、ケーブルやPC用の電源、端子などを入れた予備整理用の段ボールを持ってきて、それが散在していたからです。一つ一つかたづけて部屋が整理されてきました。先日の整理の時に脇によけたCDが、本当に整理して良いのかを確認する為に見直したりしました。すると数枚のCDはやはり取っておこうと言うことになりました。何時もの優柔不断です。
家の押し入れという押し入れは、そうした優柔不断が溜まっています。もっとも、この和室の押し入れは先日整理し直し、約半分ぐらいにもなったゴミ?を出して、随分とすっきりしました。押し入れもですが、整理しすると気持ちが良いのです。それは、ただ整理したというのでは無く、決断をしたという気持ちよさでしょうね。
整理のコツは断・捨・離だと言われます。すごい言葉です。私は、なかなかそういう気持ちになれません。むかし、田舎の家に帰ると、母屋の奥には必ず大きな倉や、物置や、離れがあり、普段使わない物や、先祖伝来の物は仕舞ってありました。そういう大切な品は、ご先祖様の由緒ある物として、しっかりと保存されていました。都会では、その場所が無く、大切な思い出も歴史も感情も捨て去る「断・捨・離」を行わなくてはならないのでしょう。
家は両親とも実家は北陸でした。どちらの実家に帰っても、田舎なので大きな離れや蔵がありました。富山から来る親戚のおばさんが、何時も東京に泊まるとき、北陸弁の本来の意味のありがとうとして使う「気の毒な〜」と言う言葉と、こんな狭いところに住んでいる東京の人は「気の毒に〜」という二重の意味を感じました。富山の人の家は大きく、どの家も東京の倍ぐらいの大きさの家に住んでいます。それは、人間本来のゆとりの中に生きているからでしょう。
でも、どんなに大きな家に住んでいても、整頓しておかなければ、どんどんと狭くなっていきます。その意味、小さい部屋の方が片付けるには適しているのかもしれません。このユニコーンが入っている部屋は、六畳強の畳の和室です。そこの三分の一近い面積を使い装置が並んでいます。リスニングエリアは、残りの4畳分です。もっとも後ろには、押し入れがありますから、音響的にはもう二畳分隠れてはいるのですが。
それでも、この方丈の部屋に、コンサートホールが出現するには驚きます。もっとも、現在は、奥行きあるコンサートホール的な音響は、大きな部屋の方の4スピーカーシステムに任し、こちらは、音場ではなく、昔の2ウェイ的なシンプルだけどHiFi的な方向を目指しています。
しかし、工藤さんの手になるCD34改とプリアンプは、端正な音作りの方向なので、昔の音作りをする方向とは違うのが、面白いところです。このシステムの現在の音の基準は、MeitnerのDACが作っています。ここに、上級機のemmを持ってくると随分と音が変わると思いました。
翌日、隣の部屋から持ってきました。大きさは同じですが、重さが違います。棚の中に入れるときその違いを実感しました。音は、やはり違いますね。当たり前なのですが、、、。その差をわかって購入したはずなのですが、何年もMeitnerの音を聞いてきたから、その違いがはっきりわかるのかもしれません。
久しぶりに和室でのサウンドを堪能しました。聴いたのはアバドのベルリンフィルの二種類の全集です。録音場所が違うので、同時代の演奏ですが、随分と違って聞こえます。このあたりに来ると、DACのほんの少しの差が、全体のイメージを大きく変えるのを実感しました。
ユニコーンの奥行き深いサウンドにますます感心しています。
by TANNOY-GRF
| 2020-07-11 09:39
| 和室のユニコーン
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