2021年 02月 15日
夫天地者萬物之逆旅 光陰者百代之過客 |
土曜の深夜、また福島沖での地震がありました。今回は震度が50キロだったので、津波は免れましたが、危ないところです。深夜に津波に襲われたらまた大変な事になっていました。今回は10年前の余震だそうです。今後まだ10年はその余震が繰り返されるそうです。地球の営みに10年間など一瞬でしょう。今回は、前回より少し南でした。より心配なのは、防災科学技術研究所によると、十勝・根室沖の千島海溝です。東日本並みのM8〜9の発生だそうです。今回の地震で、またSPの位置がずれたかと調べましたが、今回は、ゆっくりとした動きだったのか、それほど大きくはずれていませんでした。
前回お伝えしたのは地球や太陽系、銀河系の動きです。太陽系が銀河系の中を移動しているというイメージがつかめる動画を見ました。それを見ると地球などの惑星は太陽の回りをぐるぐると回ってるわけではないのです。惑星は太陽と共に銀河系の中を横転しているわけなので、太陽自身も秒速217キロと言う超高速で移動しているのです。その周りを回っている惑星も、平面を一周してくるのでは無く太陽と一緒にらせん状に回りながら銀河系内を移動しています。それを見て、われわれはほんの一瞬だけこの世にいさせていただいているのだと思い、天地はすべてもの物が一瞬だけすごす旅館みたいな物だという、李白の有名な詩を思い出しました。
夫天地者萬物之逆旅
光陰者百代之過客
而浮生若夢
爲歡幾何
夫れ天地は萬物の逆旅にして 光陰は百代の過客なり これは、李白の有名な春夜宴桃李園序と言う序文です。お酒を飲めない高校の教科書に載るには、何だか早いのではと思っていました。
渭城朝雨浥軽塵 客舎青青柳色新 勧君更尽一杯酒 西出陽関無故人
それより、朝の雨が、砂漠の砂を洗って宿の柳の木の色が鮮やかに見えるというこの描写の見事さに驚かされました。後年、中国で宴会があると、この最後の句の陽関をでたら西方にはもう友人はいないと言うところを、酒会の最後に唱和するのです。その時、漢文でこの句を書いたら、中国の人からの見る目が変わりました。また、東南アジアで成功した客家の社長とは、お互いにおぼつかない英語の代わりに、筆談で漢文を書いて会話を行いました。その時に、漢文の素養が活きたのです。
出張ばかりしていた三十代の時は、車の中に漢詩の文庫本を入れて、知らない宿で、読んでいたことを急に思い出しました。40年も前の、みぞれが降る国道9号の寒々とした景色などが、浮かんできました。夜くらい国道を走ると、今と違ってコンビニも外食レストランもない道に浮かんでくるのは、ラーメンとホルモン焼きの赤い看板だけでした。
真っ暗な、冬の日本海の黒い雲と、濡れた道路がどこまでも続く山陰地方の暗い国道の間を走っているとき、まだ小さな街にはビジネスホテルも無かった頃の商人宿の立て付けの悪い障子の隙間などが、浮かび上がってきます。人の記憶とは面白いモノで、何の脈略もないのに、漢詩の一片から暗い道の冷たくしめった空気が思い出されるのです。
冬の日本海の風景は、沢山の記憶があります。まだ旧道だった頃の冬の親知らずの荒れた道。荒れた日本海の波しずくをかぶる、親知らずのまち。アルミの精製工場しかない青海のさびしい風景。駅のそばの防波堤のような独身寮。糸魚川や直江津がどれほど大きな街だったか、旧家のならぶ高田の街。柏崎、出雲崎から寺泊、そして長い長い新潟への道。ポータブルのカセットレコーダーに自作の箱に入れたフォスターの10センチのSPを床に転がし、その頃はやりのクールファイブを聴きながら何時間も車で移動していました。クールファイブには、旅先のホテルのエレベーターで二回も遭遇しました。一度は北九州、二度目は新潟でした。何の仕事も大変だと実感したのを覚えています。
その頃は、年間4万キロぐらい走っていました。高速道路もない頃の国道の平均速度は、40キロも行かないでしょう。年間4万キロを走るのには、仮に40キロで10時間走ったとしても、その出張の日々を100日間続けなければ4万キロには行けません。地球一周が4万キロですから、毎年地球を回っていたことになります。そのような生活を三十年続けてきたのです。いま、こうして好きなオーディオばかりやっていられるのは、夢のようです・・・。
by TANNOY-GRF
| 2021-02-15 09:31
| 旅の空
|
Comments(7)
李白も好きですが、表現が大袈裟ですね。いつも酔っぱらってたからかな。唐代に栄えた渭城の街はいまは無く、渭水の川も枯れてどこが川だったのか解らなくなっていました。
Commented
by
TANNOY-GRF at 2021-02-15 14:40
S.Yさん 本当に李白はいつでも酔っ払っていますね。高校生の時は酔っ払うと言うことが解らなかったのですが。渭城の街はもうないのですか。今の中国と昔の中国が結びつきません。
信長に滅ぼされた麻倉義景の居城のあった一乗谷もつい最近まで田んぼだったそうですよ。 国破山河在,城春草木深、 感時花濺淚,恨別鳥驚心 ですね。
私は西安郊外の兵馬俑よりも渭水がどんなところか見たかったです。
Commented
by
椀方
at 2021-02-15 15:41
x
李白!
同じく高校生の時、漢文で最初に習いました。
酒仙李白は旨い酒です。
同じく高校生の時、漢文で最初に習いました。
酒仙李白は旨い酒です。
Commented
by
TANNOY-GRF at 2021-02-15 20:21
李白では、こちらも好きです。
故人西辞黄鶴楼
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
惟見長江天際流
故人西辞黄鶴楼
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
惟見長江天際流
Commented
by
S.Y
at 2021-02-18 12:02
x
GRF さま
浅学非才の身としては、格調高い李白より、この辺りが妥当かと。
勧酒(于武陵)
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
井伏鱒二訳
S.Y
浅学非才の身としては、格調高い李白より、この辺りが妥当かと。
勧酒(于武陵)
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
井伏鱒二訳
S.Y
Commented
by
TANNOY-GRF at 2021-02-18 13:44
S.Yさん 井伏鱒二さんと来ましたか!尾道での出来事ですね。どこかで碑があるのを聞いたことがあります。井伏さんと言えば、子供の頃、阿佐ヶ谷の将棋道場で差していただきました。