2021年 04月 11日
kanataさんのご感想 長文編 後半 |
2. そして音源に在る音楽そのものへ
ここまでGRF邸の音について長々と表現して来ました。しかし、実はここまで書いてきた内容はGRF邸の神髄を表したものではありません。音楽耳でなくオーディオ耳を強くすればするほど、音楽でなく音を分解・解析すればするほどに、その実像からどんどん離れていく様な感覚がするのです。それがゆえに、この長文を書いている途中で違和感に耐え切れなくなり、一旦書くのをやめたという経緯もあります。(その後GRFさんのお勧めもあり、記録としての意味合いで続きを書いています。)
では、私が感じるGRF邸の神髄とは何なのでしょうか?それは音源に刻まれた音楽の力そのものを規格外のどでかい器で、鮮度高く、熱く、太く、色濃く表出することにあります。つまり、音源に入っている演奏の力そのものがGRF邸の音楽の神髄である、そう私には感じられます。
時代を超えて、場所を超えて、録音会場で演奏しているその場の全体が目の前に在る、タイムマシンの様な再生。それは以前私がR邸のビンテージシステムで感じた事でもあります。しかし同時に、どこかセピア色の儚いホログラフィックな夢の中の様なものでもありました。録音の場が目の前に在っても、その場は録音当時の1950年代・1960年代であるという感覚もまた付き纏います。2020年代の現代に居るのではなく、録音当時にこちら側が部屋ごと自分ごとタイムスリップしているのです。時代性に沿った再生であるからこそ真っ当で素晴らしく、しかしその時代性の枠からは逃げられない。やや不遜な物言いになりますがこういう面もある様に感じます。(とはいえ、そもそもこういう時代性を重視した再生を志向する方々は、時代性にどっぷり浸かってこそ良しであり、その枠から出ようとはしていない、出てはいけないと考えておられる、そう私は認識しています)
しかし、今回のGRF邸は異なります。一番の違いは圧倒的な現実感です。GRF邸はこちら側がタイムスリップするのではなく、向こう側(録音当時の場)が2020年代の現代の目の前に呼び出されるのです。往年の巨匠達がセピア色ではなく、現実の色彩感と実体感を伴って目の前で等身大に演奏をするのです。しかも某社のリマスターSACDの様な無理に現代技術を当てはめたグロテスクなものではありません。時代性を重視した再生の真っ当さと比較しても(私の感覚では)いくばくも遜色の無い時代的な忠実性も兼ね備えています。
そして現代の録音の再生においても往年の録音の再生においても同じ世界観で目の前に録音の場全体が呼び出されるのです。現代の録音が妙にセピア色になったり、往年の録音が妙に浮ついたsomething strangeなものになったりもしません。
なぜこんな魔法の様な再生が可能なのでしょうか?Transportが良い?DACが良い?アンプ?スピーカー?それともケーブル?いやいや、やはり部屋か?確かにこれら全ては構成要素としてこの音楽に寄与しているのでしょう。しかし全く同じものを他の人間に与えてもまずこの音楽は出せないでしょう。
ここに来て私は「オーディオで一番重要なものはシステムを構築する人間の認知能力である」という自分の考えに思い至ります。つまり、GRFさんご本人の音楽とオーディオ、いやそれ以外も含めた人間の器がこの音楽として出ているのだと強く感じるのです。
往年の録音も、現代の録音も、そしてこの日はデジタルシステムでの再生はありませんでしたが、歌謡曲も、ご自身の聴かれる音楽を愛し、それらを分け隔てなく一つのシステムで同じ世界観で再生する。この難題に真っ向から対峙して辿り着いた境地であると感じます。
音源へのリスペクトがあるから、往年の録音を最新機器でただ鳴らしただけの様な妙な音楽にはならない。きちんとその音源の旨味を熟知し、その旨味を変質させずどう自分の再生へ落とし込むのかを考えて調整された音に感じます。そんな音源ファースト、音楽ファーストな姿勢がベースとしてあり、それらからどうすれば最大限に感動を引き出せるのか、そういう観点で組み立てているからこその到達点ではないでしょうか。
このGRF邸の音楽を聴くと、オーディオとは音源と自分との終わりの無いキャッチボールの様にも感じます。音源を大切にしてそれが最大限鳴る様に調整をする、すると音源はそれまでに感じなかった側面を見せて更に感動をもたらしてくれる、その新たな側面をもとに更に調整を重ねる・・・この繰り返しに尽きるのではないでしょうか。
話を戻しましょう。
そんなドでかいGRF邸のシステムとGRFさんご自身の器により生み出される音楽は音としての情報量もそうですが、感情としての情報量が莫大です。常に当たりのコンサート、いやそれ以上の感情的な熱量を聴取者にもたらします。
ですから自然とその感想もオーディオシステムを聞きに行ったそれではなく、コンサートを聴きに行ったそれに収束します。音色が、音触が、低域が、高域が、解像度が、音場が、定位がどうのこうの、弦は、ピアノは、声楽は、女性ボーカルは、ベースは・・・そんなものはもはや全く頭に浮かびません。頭の中は今眼前で演奏されている(としか感じられない)音楽をどう受け止めるのか、ただそれだけになります。
これは逆説的に言えば、恐ろしい事ですが、音色が・・・等というものが頭に浮かんだ時点でそのシステムはその程度であるということでもあります。それほど音の全要素的に瑕疵が無く、かつそれらに注意が全く行かない程に人間の感情に訴えかける莫大な情報量を有していると言えるのです。
では音楽を聴いていて私が感じた事を少し書きましょう。
この日のGRFさんは、私とGRFさんの二人の共通事項でもあるクラシックを中心に選曲されました。録音の時代は1950年代のモノラル録音から、2010年代の録音まで、年代に偏りなくジャンルも器楽・声楽・オケと幅広いものでした。
ここでクラシック演奏についてのざっくりとした個人的な認識になりますが、往年の大指揮者達の録音は熱量が全く別次元です。例えるなら作曲家のスコアという土台の上に屹立した巨大な岩の彫刻のようなもの。指揮者や奏者の繰り出す強烈なエゴ・独自の世界観は(しかるべき再生が為されれば)聞くものの魂を激しく揺さぶります。
一方で近年の指揮者・奏者によるアプローチはどちらかと言うと知で楽しむものが主流です。スコアを綿密に読み解き、その楽曲の源泉により近づこうとする解釈が多く、聴取者はその構成美や新しい発見に知的な喜びを感じます。
両者の楽しみ方は異なりますし、そこに優劣を付けたり、一方にもう一方と同じ味わい方を押し付けたりするべきではありません。(これは現代ハイエンドとビンテージとの話でもしばしば起こる悲しい諍いです)
GRF邸はこの両者の楽しみ方の最大公約数的なものを共通の世界観として音楽を描き出します。旧きも新しきも同様に、知と情の双方において莫大な情報量を聴取者に投げつけるのです。
更にここからは音源別に書いて行きます。
カンターテ ドミノ
録音の良いオーディオの定番として再生され尽くしたこの盤がまるで違う音源の様に聞こえます。とにかく立体感と実在感が凄まじい。まさに眼前にコーラス隊とソリストが実体として居るかのような感覚。ソリストの移動する様なども体全体の存在感をもって感じ取ることが出来ます。
クレンペラーによるマーラー7番
音楽の濃密さ、演奏者の気合いの違いが一目瞭然です。根性論ではないですが、こんな汗を飛び散らせ、魂を削る様な演奏はなかなか他の指揮者では、他の録音では聞けないもの。なぜこの時代はここまでのエネルギーを引き出すことが出来て、そしてそれを録音に納める事が出来たのか?現在では?クラシック音楽の演奏とは?その録音とは?音楽に大切なものは一体何なのか?この録音を聞いていると様々な思いが駆け巡ります。
トスカニーニによるブラームスの交響曲
何なのでしょう、これは?モノの音場ではありません。この音源ではこのシステムの従来の2chオーディオでの枠組みを超越した立体感、前後感による恩恵が非常に大きいと感じます。そして演奏の圧倒的な熱量!指揮者の力量とはどんなものであるのか、この再生を聞けば誰もが納得することでしょう。
クレーメルとアルゲリッチによるプロコフィエフのソナタ
このコンビの録音といえばベートーヴェンのソナタが印象深いですが、この録音もまたそれに劣らぬ魂のぶつけ合いの様な演奏。これを聞いてしまうと近年のアルゲリッチはもうお友達や取り巻き連中とお茶会を楽しんでいるとしか思えません。勿体ない・・・
八代亜紀のコンサート
歌謡曲でもタイムマシンぶりは全く変わりません。目の前はクラシックコンサート会場から一気に昭和歌謡コンサートへ。会場の空気もどこか穏やかなリラックスムード。このムードさえ伝わることが恐ろしい。八代亜紀、私はGRFさん絡みでしか彼女の歌声を聞きませんが本当にこの人上手いよな~。歌手の力量が露骨に技術と情念との両方で分かってしまいます。
白井光子によるブラームス歌曲集
素晴らしく上手い!ドイツ語の発音の明瞭さ、そのテクニックの確かさに舌を巻きます。やはりこのシステムは実力面で誤魔化しが効かず、歌手を丸裸にする厳しさがあります。しかし力量のある歌手であればその凄みを十全に伝えてくれる感動の増幅装置にもなるのです。
ギユーによるジョンゲンの協奏的交響曲
パイプオルガンがまさにパイプオルガンとして鳴っています。オーディオ的な嘘っぽさが感じられず、コンサートで聞くそれと酷似しています。この音源では、これだけの巨大なエネルギーを受け止めつつ揺るぎない部屋の凄さが良く分かります。しかも上手く程良く音が部屋の外部に抜けているのでしょう、エネルギーが充満して妙な圧迫感を感じることも全くありません。床が支配的だと思われますが部屋の響きの音質も凛としつつも甘みもあり良質そのもの。やはりGRFさんの音楽はこの部屋あってこそのもの。ご自身が「オーディオの本質は部屋だ」とおっしゃるのが骨身に染みて良く分かります。
ヤンソンスによるラヴェルのラヴァルス
印象派というイメージからは、そしてこの曲のイメージからも想像がつかないグロテスクでさえある怪演。色彩は明ではなく暗基調。空間が捻じ曲がる様な音のうねりに部屋が満たされ、遂には自分が飲み込まれてしまうかの様。この演奏の凄みは普通のシステムでは、普通の部屋では全く表現しきれません。GRF邸の器の大きさをまざまざと見せつける音源。
ベルゴンツィのリサイタル
GRFさんのブログで良く登場するこの音源はもちろん自分も購入済みで度々拙宅でも再生するものです。やはり実在感とエネルギーが違います。体全体の厚みを感じさせるこの日の再生は、本物の歌唱そのものと感じました。
シュライヤーによるシューベルトの冬の旅
恥ずかしながらシュライヤーは初めて聞きました。・・・これは素晴らしい。上手く言葉に表せませんが、心の内側にすっと入って来る様な、こちらの気持ちに寄り添う様な歌声は初めて聞く類のもので、しばし真っ白になって身じろぎも忘れて聞き入っていました。
以上、多分この時点で2時間以上が経過していますが、ここまで濃密な音楽に晒されるとまさに体感時間は一瞬でした。
GRFさんが繰り出す音源には、巨匠たちが、超一流の演奏家たちが創出する圧倒的な音楽が込められていました。聴取者たる私はただその濁流に身を任せ、その神髄を体で感じるだけ。そこにオーディオはなく、ただ音楽と自分だけがある、そんな状態でした。
オーディオの道の最終到達点はやはりこういうものなのか、そしてなんと素晴らしいものなのだろう。言葉ではなく音楽で骨の髄まで教えられ、体にその感覚を叩きこむことが出来ました。
百聞は一聴に如かず
この素晴らしい体験は間違いなく今後の私の歩みの指標になると確信しています。
と、ここで締めるかの様な書き方をしましたが、もう少し続きます(汗)
3. GRF邸訪問記(光カートリッジgrandmasterによるアナログシステム編)
さて、次は光カートリッジ(Grand Master)によるアナログシステムについて書いていこうと思います。・・・とはいえ、先のGP+TWの4+4再生の熱量がすさまじかったことや、こちらのシステムの聴取時間が限られていたこともあり、光カートリッジについて自分の中でまだ確たるものを掴み切れていないのが正直なところです。このあたり出来ればまたじっくりと光カートリッジを味わう機会を再度いただきたいという助平根性を丸出しにしつつ(爆)、そのおぼろげな印象をそのまま書いていこうかと思います。
結論から申し上げますと、光カートリッジ(GM)によるGRF邸のアナログシステムから出てきた音は「オーディオではない何か」でした。
今までに私が経験してきたオーディオの音とはその根元から違っている気配を感じます。先ほどGP+TWの4+4再生をしてオーディオはなく音楽と自分があると表現しましたが、それでいても後ろを振り返るとオーディオから続いてきた道や轍が見えます。しかし、GMが私に垣間見せた景色はそういう継続性を感じさせず、隔絶された別の次元の何かに思えて仕方がないのです。
この音の出方はレコード的ではないし、CD的でもありません。GRFさんはテープに似ていると評していらっしゃいましたが、残念ながらテープによるまともな再生を聞いたことがない私にはその引き出しはありません。物理的な余分な力がどこにも入っていない独特の軽やかさを音から感じます。自然の音に近いと言えば近いですが、それもまた違う様な感覚です。自然の音よりもさらに軽やかで刺激感がない。
印象的な特徴を述べますと、ピアニシモの表現がレコードのそれではありません。その違いがこれほどまでに音楽の印象を変えてしまうとは・・・
最後に触りだけお聞かせいただいた一枚(ハイティンクによるブラームスのセレナーデ)がとても印象的でした。再生した瞬間パッと景色が変わります。そこにはどこまでも続いていく様な限りなく広がる空間があり、そこにスッと現れる奏者達。彼らに余分な力は入っていません。悟りを開いた達人の様な自然体。そしてそこから音楽が自然にさりげなく風のようにどこまでも駆け抜けていく。まさにこのジャケットの様な音楽風景は鮮明に、しかし限りなく自然に現れました。
この異世界から突然現れた様な不思議そのものの道具を手にしてGRFさんは今後どういう音楽を構築されていくのでしょうか?この光カートリッジをGP+TWの4+4システムに入れ込んだらどうなってしまうのでしょうか?そしてそこから現れる光カートリッジの本質とはどのようなものなのでしょうか?
まだまだこの物語は始まったばかりです。今後の展開に胸を躍らせながら、この訪問記を締めさせていただこうと思います。
GRFさん、この度は貴重な経験をありがとうございました!
kanata
********************
kanataさん 聞きしに勝る長文のご感想、本当にありがとうございました。いただいて、読み進めても、読んでも、読んでも終わらないほどでした。前回いただいていた長文のご感想は、あれでもまだ半分しかありませんでした!
お聴きいただいたのは三時間弱の時間だけなのに、これだけのことを記憶して、また表現できるkanataさんの熱意にも感嘆しました。あれから、Troubadourのシステムで、光カートリッジが鳴っています。デジタル系のあのシステムが、レコードを完璧に再生しているのです。新しい地平線が見えましたね。何十年も集めてきたレコード達が、お風呂に入る順番を待っています。
また、是非遊びに来てください。また、kanataさんの音も是非お聞かせください。
by TANNOY-GRF
| 2021-04-11 10:34
| 来たり
|
Comments(5)
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パグ太郎
at 2021-04-11 11:22
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GRFさん、kanataさん
成る程、タイムマシーンで自分が過去の世界に行くのか、過去の世界が現代に甦るのかの違いとは、言い得て妙ですね。だから未体験のものが出現する感覚になるのですね。正しく過去が現代に戻ってくるバック トゥ ザ フューチャーで、ノスタルジーが剥ぎ取られた演奏が見える理由がよく分かりました。そういう意味では、光カートリッジで聴くアナログも、正しくその感覚。映画の下らない例えを続けると、生身のジュラ紀の再現で、化石の陳列ではありませんから、怖さが違います。何がこの感覚を産んでいるのかずっとモヤモヤしていた霧が、kanataさんの後半2部で晴れた思いです。
成る程、タイムマシーンで自分が過去の世界に行くのか、過去の世界が現代に甦るのかの違いとは、言い得て妙ですね。だから未体験のものが出現する感覚になるのですね。正しく過去が現代に戻ってくるバック トゥ ザ フューチャーで、ノスタルジーが剥ぎ取られた演奏が見える理由がよく分かりました。そういう意味では、光カートリッジで聴くアナログも、正しくその感覚。映画の下らない例えを続けると、生身のジュラ紀の再現で、化石の陳列ではありませんから、怖さが違います。何がこの感覚を産んでいるのかずっとモヤモヤしていた霧が、kanataさんの後半2部で晴れた思いです。
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TANNOY-GRF at 2021-04-11 11:52
パグ太郎さん kanataさん
本当に言い得て妙ですね!私も感心しました。私の感覚では、どこでもドアで、今の私がこのままで、過去の生の会場に出現すると考えていました。
反対に、過去の演奏が、現代のテクノロジーで、私の部屋に出現する方が表現としては合っていますね。
突如として恐竜の大きな目が部屋の中に現れた感じでしょうか?これは怖いです・・・
パグ太郎さんが言われるとおり、光カートリッジもまさしくそうですね。ノスタルジーを追うのではなくリアリティを追求しているのです。
本当に言い得て妙ですね!私も感心しました。私の感覚では、どこでもドアで、今の私がこのままで、過去の生の会場に出現すると考えていました。
反対に、過去の演奏が、現代のテクノロジーで、私の部屋に出現する方が表現としては合っていますね。
突如として恐竜の大きな目が部屋の中に現れた感じでしょうか?これは怖いです・・・
パグ太郎さんが言われるとおり、光カートリッジもまさしくそうですね。ノスタルジーを追うのではなくリアリティを追求しているのです。
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椀方
at 2021-04-12 09:16
x
単純に「違和感」とせずに「something strange」と記されたところにも、ナルホドそうだよねー!と思いました。
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I love HH & LL
at 2021-05-31 14:36
x
いつも興味深いご報告ありがとうございます。
前方への音場拡大、高域と低域の効果がよくわかります。
ふと、ステレオサウンド誌 87のSSSを思い出して再読してみました。
当時はスピーカーを消せるかどうか、のレベルでしたから、それは現在、実現されていますね。
また,当時はデジタルディレイを使っていましたが、現在は、元々の録音に含まれる空間情報の再現といことで、これは不要かもしれません。
記事に初期反射と、高次反射の話があり、今回のGRFさんの効果は、初期反射への効果で、明瞭度、広がり、スケール感への効果そのものと思いました。
次にさらに進むとすると、高次反射の追加かと愚考しました。
具体的には、次は、リスニングポイントの側方から、やや後方へのスピーカー追加かと思います。
無指向性がよさそうです。
前方への音場拡大、高域と低域の効果がよくわかります。
ふと、ステレオサウンド誌 87のSSSを思い出して再読してみました。
当時はスピーカーを消せるかどうか、のレベルでしたから、それは現在、実現されていますね。
また,当時はデジタルディレイを使っていましたが、現在は、元々の録音に含まれる空間情報の再現といことで、これは不要かもしれません。
記事に初期反射と、高次反射の話があり、今回のGRFさんの効果は、初期反射への効果で、明瞭度、広がり、スケール感への効果そのものと思いました。
次にさらに進むとすると、高次反射の追加かと愚考しました。
具体的には、次は、リスニングポイントの側方から、やや後方へのスピーカー追加かと思います。
無指向性がよさそうです。
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TANNOY-GRF at 2021-05-31 16:03
I love HH & LLさん
コメントありがとうございます。昔からSSS的な装置には興味がありましたが、電気的にリレーを掛けたりすると、どうしても不自然さが消えず、スピーカーマトリクス的な接続や、位相だけのタナベシステムなども実験していました。側方や後方は、なかなか人間の本能的に敏感なところで難しいようです。先日もK&Kさんのマルチシステムを聞いて、一階席の前方で聴いて感じなら行けるのかとも思いましたが、コンサートホールの集音は、ホールの前方だけの情報が多く、後方はなかなか出てきません。
私のシステムでも、後ろから中央のSPを聴いても、ソファーの方には音は展開しないのです。位相を換えても、左右を換えてもダメです。ここが面白いところですね。
先日、映画用に出してきた無指向性のPQSをそのうちに持ち込み実験をするつもりです。まだまだやることはいくらでもありますね(笑)。
コメントありがとうございます。昔からSSS的な装置には興味がありましたが、電気的にリレーを掛けたりすると、どうしても不自然さが消えず、スピーカーマトリクス的な接続や、位相だけのタナベシステムなども実験していました。側方や後方は、なかなか人間の本能的に敏感なところで難しいようです。先日もK&Kさんのマルチシステムを聞いて、一階席の前方で聴いて感じなら行けるのかとも思いましたが、コンサートホールの集音は、ホールの前方だけの情報が多く、後方はなかなか出てきません。
私のシステムでも、後ろから中央のSPを聴いても、ソファーの方には音は展開しないのです。位相を換えても、左右を換えてもダメです。ここが面白いところですね。
先日、映画用に出してきた無指向性のPQSをそのうちに持ち込み実験をするつもりです。まだまだやることはいくらでもありますね(笑)。