2021年 05月 18日
ムード音楽のレコード |
ステレオ初期に大いに流行ったレコードは音がよく、演奏が上品なムード音楽でした。先日、Hさんが来られたとき、思い出してマントバーニやスタンリー・ブラックのムード音楽のレコードを掛けました。すると、そのレコードに繋がって思い出したのは、60年代色の頃に流行った音の良いムード音楽のレコードです。クラシック音楽のようなコンサートホールで聴くのではなく、最初からステレオ装置(電蓄?)でレコードで聴く様に作られました。
どのオーケストラも個性を持っていて、中でもマントバーニに代表されるカスケードサウンドと呼ばれた演奏方法です。弦楽器が滝を滑り落ちるように、弦楽器全体がエコーになったような演奏を行っています。一つの楽器として旋律を歌っているのではなく、次から次へと♪一つ分だけずれて演奏される、四つ以上のパートを通して聴くと、旋律が聞こえてくる実に巧妙なアレンジで、滝を滑り落ちる水のように気持ちの良さを演出しているのです。
マントバーニのレコードは沢山出ています。アルバム数は100を越えます。デビューは1954年でした。私は、1960年頃までの初期のアルバムを集めています。後は、ワールドシリーズのベストアルバムですね。クラシックの曲をライトミュージックにしたのが初期のアルバムですが、映画音楽の分野に進出して百枚以上のアルバムを出しています。
映画音楽と言えば、スタンリー・ブラックのオーケストラの演奏です。マントバーニもブラックも活動は戦前から行っていましたが、戦争中から戦後のダンスミュージックバンドから認められていきました。オーケストラを巧みなアレンジで軽音楽(ライトミュージック)にしています。同じ音楽をどう編曲するかが大事ですね。この分野は全てのレコード会社がこぞってシリーズ化しています。ステレオ普及に重要な役割を果たしたのですね。
ステレオの普及に伴って、「音の良い」と言う需要も高まってきました。50年代から、いち早くステレオの実験を繰り返し、積極的な展開をしていたRCAは、1959年に珠玉のアルバム「カーネギーホールのハリー・ベラフォンテ」を出します。以前にも何回も述べていますが、このレコードを当時、荻窪駅の前にあったVictorのお店で聴いたのが、全てのはじまりです。
下のCamdenレーベルのレコードは、RCAのLiving Stereoの廉価版です。演奏は楽団名も乗っていない文字通り無名の演奏家達ですが、演奏自身は一流です。いわゆるスタジオミュージシャン達なのでしょうね。特筆すべきは、レコードの音質です。スタジオ録音なので、いま実験しているような三次元の音場はしませんが、音質本意で横への広がりは全てが、ステレオのデモンストレーション盤みたいなレコードですね。
その頃、よく聴いていたのが、このベラフォンテと、スタンリーブラックの映画音楽のアルバムでした。後年、念願のステレオテープでそれらの音を聴いて感動しました。レコードではよく聞こえなかった低域やクロストークの無さがこれらの録音の素晴らしさを伝えてくれたからです。
しかし、今回の光カートリッジは、それらの先入観を一掃してくれました。こういった初期のオーディオ優先のアルバムの音はやはり凄いからです。コンサートホールの再現ではなく、当初からステレオ装置での再現を目指しているからでしょう。これらのいかにもHiFiと言う音を聴くと、高校生時代、阿佐ヶ谷にあったロイヤルオーディオでのゴトーのオール・ホーンや、荻窪駅南口のバス停前にあったステレオ喫茶の豪華な音が思い出します。金色に輝いていたEmpireのプレーヤーの姿がいまでもわすれられません。二軒有った古本屋さんのそばでした。
ステレオ喫茶と言えば、家にステレオがあったため、いわゆる名曲喫茶にはあまり行っていません。あの深刻そうな雰囲気が嫌いだし、自分が聴きたい曲を待つ間、他の人のリクエストを聴かなければならないシステムが自分には向いて無かったからでしょう。高円寺、中野、高田馬場にあったクラシックの名曲喫茶には行ったことはありましたが、聴きたくもない30分以上のLPレコード片面を我慢できなかったからでしょう。
そこへ行くと、数分で曲が終わるこの手の音の良い軽音楽が好まれた理由もわかります。またそれらの場所にあまり行かなかった理由を思い出しました。人の吸っている、いや吸っていないときのたばこの煙が嫌いだったからです。喫茶店と言われたように、たばこと珈琲を飲みながら時間を潰すところだったからです。いわゆる名曲喫茶にもジャズ喫茶にもあまり通わなかったですね。こうしてその頃のことを書いていても、あの重っ苦しい雰囲気が思い出されます。自分の趣向にあった演奏家を神格化して、能書きを言うために蘊蓄を述べるあの輩です。Jazz喫茶はあまり行きませんが、仲間だけで連んで、一般のお客を見下すような店には行きたくありません。
私は、音楽は蘊蓄を話すのではなく、純粋に出てきた美しい音楽の響きを求めているからです。まず、演奏会場の大きさや、その日の響き、ときとして湿度や温度も感じるほどです。そうして、その会場に消えていく時間芸術の響きが再現されてくると、そこには演奏家の個性や解釈、集中度、アンサンブルなどが浮かび上がってきて、その演奏が現れるのです。60年代のカラヤンの演奏などが、納得できるのも、予断を持った観念で音楽を聴くのではなく、そこに自ずから表れる音楽の響きが聞こえてくるからです。
by TANNOY-GRF
| 2021-05-18 19:53
| 好きなレコード
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Comments(6)
都内のいくつかの場所を引っ越して、阿佐ヶ谷、荻窪に落ち着いたのは平成に入ってからでしたので、レコード店も音楽喫茶も殆ど無くなって(クラシック喫茶はそれぞれの駅に一軒残っていますが)いました。今回の記事は懐かしいというより、何やら羨ましい気持ちになります。高校の3年間が70年代末で、高円寺からバスで通学していた、その時分であれば、少しはこの雰囲気が残っていたのでしょうが、もう少し背伸びをしておけば良かった、本当に子供だったなぁという妙な後悔も混じり合った感傷も。本題のムード音楽とは全く関係しないお話しですみません。
パグ太郎さん 最近は歳の所為かよく昔の風景が浮かび上がってきます。昔当たり前にあった風景が、どんどん消えて行くからでしょう。近所のお豆腐屋さん、おそば屋さん、洋食屋さん、そして理髪店などです。昨日まであったはずの見慣れた風景が、変わっていきます。その後には、どうしてこれだけあるのだろうと訝るほどのドラッグストアーばかりになります。
オーディオ店や名曲喫茶、そしてどの街にもあった街のレコード屋さんも遙か昔の風景になってしまいました。そういえば、あれほど大挙して老人達(自分を含めて)が訪れていたオーディオショーも、様変わりするのでしょうね。
オーディオ店や名曲喫茶、そしてどの街にもあった街のレコード屋さんも遙か昔の風景になってしまいました。そういえば、あれほど大挙して老人達(自分を含めて)が訪れていたオーディオショーも、様変わりするのでしょうね。
ムード音楽で思い出すのはFM放送深夜の番組「ジェットストリーム」でしようか。
城達也氏のナレーションで流れるムード音楽。
今は深夜まで起きていることがないので聴くことはありませんが、今でも放送しているとか?
流石に今では軽音楽だけでなく深夜に相応しい様々なジャンルの音楽流しているそうですが?
城達也氏のナレーションで流れるムード音楽。
今は深夜まで起きていることがないので聴くことはありませんが、今でも放送しているとか?
流石に今では軽音楽だけでなく深夜に相応しい様々なジャンルの音楽流しているそうですが?
椀方さん ジェットストリームですか、懐かしいですね。まだ海外旅行が夢だった時代に、航空会社が庭球していた番組で、その後の旅行ブームに大変な効果がありましたね。
https://youtu.be/fahcylGRqM4
レイモンルフェーブルのゆったりとした演奏が、深夜の番組に合っていました。夜間パイロットの城達也の落ち着いた声を聴きながら眠っていった人も多かったことでしょう。
最初にモスクワ経由のアエロフロートでパリに着いた時の想い出は昨日のようです。帰りの便のリコンファームをするためにシャンゼリゼにあったアエロフロートの支店に行ったときの事や、何を食べたかもいま思い出しました。40年以上前の事です。
https://youtu.be/fahcylGRqM4
レイモンルフェーブルのゆったりとした演奏が、深夜の番組に合っていました。夜間パイロットの城達也の落ち着いた声を聴きながら眠っていった人も多かったことでしょう。
最初にモスクワ経由のアエロフロートでパリに着いた時の想い出は昨日のようです。帰りの便のリコンファームをするためにシャンゼリゼにあったアエロフロートの支店に行ったときの事や、何を食べたかもいま思い出しました。40年以上前の事です。
二十歳前後のころ、中野のクラシックに入り浸っていたことを思い出しました。GRFさんのおっしゃるとおり、たばこの煙がすごかったです。当時は上京したての学生でステレオなど高値の花でしたので、暗がりで額にしわを寄せて聴いていたように思います。休止後、阿佐ヶ谷で復活したと聞きましたが確認できませんでした。
jitanさん コメントありがとうございます。あの頃は、喫茶店だけではなく、仕事の打ち合わせでも、雀荘でも、たばこの煙がないところがめずらしかったです。





