2022年 11月 27日
パグ太郎さんのボード導入記 |
ボード導入に際しては大変お世話になりました。もう一月になるのですが、やっと落ち着いて音楽に没頭する時間が取れました。
その間に、TVの入れ替え(プロジェクター導入というお薦めもあったのですが、朝日の入るリビングで遮光カーテンなどもってのほかという家人の一言で撃沈)、それに伴う壁寄スタンド導入とラックの放出という動きがありました。
壁寄せタイプのスタンドはスピーカー間の空間が広くなって良いのですが、金属板やフレームが盛大に共鳴。隙間に詰め物を入れたり、防振のテープを張りまくったり、やっと抑え込みに成功。最終的な配置はこういうことになり、落ち着いて音楽を聴けるようになったのが先週の事。
さて、肝心の音は何がどう変わったかですが、これが予想通りというべきか、予想以上というべきか、完全に別のシステムになった印象です。
聴いてすぐ解かるのが、低域の厚みと密度です。ブニアティシビリのこの録音のジムノペディ。
左手の響きが締まりなく溢れていて気持ち悪い演奏だなと思っていたのですが、しっかりとコントロールされた低音が、サティ独特の飛び石の歩みの様なメロディラインの洒脱さを支えていることが見えてきました。成程、こういうことがしたかったのですね、彼女は。
低域の変化と同時に見えてくるのは、音の立ち上がりの違いを描き分ける表現力の向上です。ピアノのタッチの使い分けによる色の移り変わりが見えるようです。そして、音の減衰の自然さと消え際までの持続力が格段に上がっています。
これなら、拙宅で苦手な楽器の最右翼に居るチェンバロでも聴けるようになっているかも? ということで取り出したのがコレ。
一音目から笑ってしまいました。弾かれた金属弦の共鳴の美しさが、やっと再現できた気がします。これまで、複数の弦の音が混じりあって混濁し煩さにしかなっていなかった部分が、一つ一つの持続する音として響き合っている姿が見えてきました。これは良い演奏ですね、今更ながらの感想でロンド―さん御免なさい。
チェンバロがもっと聴きたくなって、お次は弦との組み合わせのコレ。
ルージイチコヴァのチェンバロの煌めきと、フルニエのゆったりと揺蕩うようなチェロの響きはやはり格別です。こういう聴こえ方をすると、奏者の阿吽の呼吸まで見える様で、音楽そのものの躍動感・楽しみ方が違ってきますね。
二重奏の愉しみと言えば、全く別の世界ですが、二人の個性と情熱のぶつかり合いが迸っているこの演奏はどう聴こえるのか、、、。
これまでの拙宅の聴こえ方は、アルゲリッチについていくので精一杯な必死のクレーメルという構図でしたが、GRF邸で聴かせていただいてみるとクレーメルも互角の渡り合いを演じている様な印象になるという面白い録音です。この印象の差は、拙宅でのヴァイオリンの強奏音が破綻気味で、聴き手に圧迫感を抱かせるからではないかと疑っていたのですが・・・・。第一楽章のヴァイオリンの序奏を吹き飛ばすようなピアノの一撃は、これまでの拙宅での再生とは全く違う重みをもっていました。これはまた、クレーメル、ダメかも・・・・。
ところが、その後に続いたのは、その予感を良い意味で裏切る彼の健闘ぶりでした。アルゲリッチの煽りに動じず堂々と応酬するヴァイオリンは破綻どころか、ある種の余裕すら感じさせるほど。低域がしっかり安定してくると同時に、高域の伸びがより自然に制約がなくなっている気がします。GRF邸の果し合いの様な凄みを感じさせる舞台再現力には遠く及びませんが、勝負の行方を間違えるレベルは脱したかもしれません。
ここまで来たら、お気に入りの歌手の唄声で締めてみようということで、最後に聴いたのがこれです。
イタリア・オペラの悲劇のヒロインのドラマティックな感情の変化を、声の響きだけで描き分けられるクレスパンの力をどこまで再現できるのかと思い聴き始めたのですが、その手前で序奏のコントラバスの闇夜の恐ろしい深さ、ヴァイオリンの夜の海のさざ波の表現の重なりの精妙さに60年代初頭のDECCAのオペラ録音の腕に圧倒されます。こういう録音だったのかと再認識。それに乗って登場するクレスパン。凄惨な錯乱した女の魂の叫びに心が冷えました。流石です。恐ろしくて言葉がでません。
以上、大山さんのボード導入後の感想です。技術的にどういうことが起きてこういう変化が生まれるのかさっぱりわかりませんが、聴き慣れたはずの録音が全く違う別の演奏の様に現れてくるのは驚きでした。
先ずは、設計・制作にあたられた大山さんには大感謝ですし、搬入・調整・その後のレイアウト変更で動かして迷子になった時のサポートまで、GRFさん・大山さんのお二人には大変お世話になりました。本当に有難うございます。
パグ太郎
by TANNOY-GRF
| 2022-11-27 15:55
| 行ったり
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