2023年 01月 26日
やはり来ました最強寒波 |
10年に一度と言われていた寒波がやってきました。その日の夕方までは、暖かな日でしたが、夕方、一変して冷たい北風が吹き始め、冬の嵐が到達しました。10度近くあった気温は、あっという間に下がり、明け方に向かってどんどん下がっていきました。翌朝の都心での公式発表ではマイナス2.9度でしたが、この辺りでは、マイナス3度を下回っていましたし、八王子などは、マイナス6度〜8度と本格的な冬の襲来ですね。
伊勢湾自動車道から関西方面にむかう新名神高速道路では、長い上りが続く下り車線で、大きなトラックが登れなくなり、道路を塞ぎました。するとあっという間に雪が積もり、三重県側まで大渋滞が発生して、丸一日閉じ込められました。大型トラックは排気口が上を向いていますから、排気ガスの中毒にはならないでしょうが、普通の車が一日閉じ込められると大変です。
水や食料の確保、暖かい防寒着と毛布類、長距離のトラックは、座席の後はベッドになっていて、しっかりと仮眠が取れますが、普通の車では、姿勢によってはエコノミー症候群になる恐れもあります。この時期に、長距離を移動するのは、仕事である長距離配送のトラックを除けば、少なくはなっているでしょうが、スキーや観光の方も動いているでしょう。しかし、渋滞の写真を見るとトラックがほとんどでしたね。新東名から伊勢湾自動車道、新名神へは全部繋がり、日本の大動脈です。従来からの関ヶ原越えの名神高速とは、走りやすさも速度も全く違うので、丸一日の渋滞で、関西方面への荷物の配送が滞って、1日以上の配達の遅れがアナウンスされています。
そんなニュースを横目に見て、昨日はなるべく表に出ずに過ごしましたが、気温は終日三度以下の本当に寒い日でした。水道管の凍結の注意が朝からニュースでも喚起されていましたので、表に出ている蛇口付近を、プチプチで覆っておきました。
例によって二度寝で、深夜も起きていたのですが、シンシンと寒くなるので、明け方の4時過ぎには本格的に寝ようと思って、顔を洗うためにお湯の蛇口を開いたら、ほとんどお湯が流れてきません。お湯のラインは、屋上のタンクで溜められているので、配管が長く、使わないと周りから凍っていき、最悪の場合は管が破裂するかもしれません。蛇口を最大に開けても、3ミリぐらいしか流れませんし、圧力がないので湯沸かし器をONにできないのです。
これはまずいと、お風呂場の蛇口も開けて流してみました。しばらく流していたら、水量がだんだん太くなり、お湯の運転に切り替わりました。湯沸かし機自身は部屋の床暖房用に動いているから、問題はないのですが、お湯のラインは、屋上からの長い配管の先にあります。このまま使わないで凍るのも大変なので、お風呂場の蛇口を少しだけ開けて、細く水を流すことにしました。
外の流し場の蛇口も開いて、少しだけ水を流しました。静かな明け方にそのポツポツとした水音が結構響くのに驚きました。外は寒いです。温度計を見たらもう、マイナス3度になっています。茅野の家の外部に出ている蛇口は、電気ヒーター付きです。それでも、室内のトイレの水を出し忘れたら、たちまち壊れました。
東京の家で、水道管の凍るのを心配するのは、何十年ぶりでしょう。そういえば、昭和の時代は、寒かったことを思い出します。暖房もコタツや電気ストーブだけでしたから、寒いのは当たり前でしたね。学校の教室に入っていたコークスのストーブの火力を思い出しました。あの頃の木造の家は隙間だらけでしたから、換気には良かったですが、寒かったです。
by TANNOY-GRF
| 2023-01-26 18:42
| よしなしごと
|
Comments(2)

こちらも久しぶりに水道が凍結して、日当たりの悪い所は、昼過ぎまで凍っていました。
確かに、祖母の家は隙間のある木造で寒かったような記憶があります。
確かに、祖母の家は隙間のある木造で寒かったような記憶があります。
リウーさん 昔は寒波がよく来ていたし、暖房も今のようには普及していなかったので、寒かったですね。子供は霜焼けや赤切れが普通でした。大人は、帽子を被り、耳当てをして通勤していました。
今回は北京もソウルも相当寒かったそうです。北京はマイナス16.7度で、黒龍江の漠河市では、中国観測史上一位のマイナス53度を記録しました。凄いですね〜
今回は北京もソウルも相当寒かったそうです。北京はマイナス16.7度で、黒龍江の漠河市では、中国観測史上一位のマイナス53度を記録しました。凄いですね〜