2006年 11月 14日
冬の始まり |
東京に木枯らしが吹くのが、だんだん遅れているようです。昔は11月の文化の日あたりには、必ず木枯らしが吹き街路樹の銀杏も葉をとばしていたように思います。厚いオーバーコートを出し、マフラーを仕始める頃でした。目の良かった子供の頃の冬の風景はどこまでも透き通る紺碧の空と真っ黄色な銀杏の葉のコントラストが鮮やかに記憶の底に残っています。学生時代の目の酷使とコンピュータが出た頃のブラウン管のモニターで目を相当悪くしました。加えて老眼鏡の世話にはなるまいと思っていたのですが、それもかなわぬようになってきました。近視と乱視それに老眼では眼の見える範囲が極めて限定されます。
時差ぼけ中だったので、日曜の透き通るような朝は夜明け頃に見ただけで、眼をさましたらもうお昼近くになっていました。かろうじて残った午前の光の中、公園の木々は強風に揺られ透き通った空気に葉が輝いていました。
夕方、Taoさんのお家に出かけるときも、青梅街道からも奥多摩の山シルエットが輝き、眼が良くなった様に思えました。夕方になると急速に暗くなっていくのが冬の景色の特徴です。車で日本中を飛び回っていた頃、この季節が一番時間が短く移動するにも大変でした。
音楽を聴く環境に、自然の風景が一部でも切り取りたいと願ってきました。前のウッディーな部屋の窓からは、遠く公園の緑も見えていたのですが、現在の部屋からは見えるのは、このごろ建った街道のビルばっかりになりました。もっとも夜の方が過ごす時間が多いのでせめて この季節は暖かい灯りに囲まれていたいですね。
Taoさんの素敵な部屋では、正しい伝送のケーブルとリジットな床から、音響空間の自由振動を受けて自然の音の風に柔らかく揺られる浮遊装置、そして構造体に共振と吸音材を使わない自然体のCDプレーヤーで、演奏会場でしかない、あの柔らかで深い静かな低弦が鳴り始めました。演奏会場のそのときの空気感です。Feeling of Beingが再現されていました。
時差ぼけ中だったので、日曜の透き通るような朝は夜明け頃に見ただけで、眼をさましたらもうお昼近くになっていました。かろうじて残った午前の光の中、公園の木々は強風に揺られ透き通った空気に葉が輝いていました。
夕方、Taoさんのお家に出かけるときも、青梅街道からも奥多摩の山シルエットが輝き、眼が良くなった様に思えました。夕方になると急速に暗くなっていくのが冬の景色の特徴です。車で日本中を飛び回っていた頃、この季節が一番時間が短く移動するにも大変でした。
音楽を聴く環境に、自然の風景が一部でも切り取りたいと願ってきました。前のウッディーな部屋の窓からは、遠く公園の緑も見えていたのですが、現在の部屋からは見えるのは、このごろ建った街道のビルばっかりになりました。もっとも夜の方が過ごす時間が多いのでせめて この季節は暖かい灯りに囲まれていたいですね。
Taoさんの素敵な部屋では、正しい伝送のケーブルとリジットな床から、音響空間の自由振動を受けて自然の音の風に柔らかく揺られる浮遊装置、そして構造体に共振と吸音材を使わない自然体のCDプレーヤーで、演奏会場でしかない、あの柔らかで深い静かな低弦が鳴り始めました。演奏会場のそのときの空気感です。Feeling of Beingが再現されていました。
by TANNOY-GRF
| 2006-11-14 07:09
| 旅の空
|
Comments(1)
Commented
by
tao
at 2006-11-14 22:23
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feeling of being とてもいい言葉ですね。12日の最後に聴くことができた音はまさにこの言葉どおりの音でした。
自分の部屋であの音が聞けたのは、とても大きなこころの支えとなります。
自分の部屋であの音が聞けたのは、とても大きなこころの支えとなります。