2007年 01月 03日
三が日はいつも |
この頃は毎年、お正月は寝て曜日になっています。元旦は親戚が集まり一日が終わり、宵っ張りしているので、朝遅く起きると、箱根駅伝を見て二日間過ごしていまいます。たった5人で半日で箱根の山を駆け上がり、また別の5人で東京まで帰ってきてしますのですから。あれだけの距離を走って20分も違わないレベルの高さに驚きます。出場出来ている19校は凄い底力があると言うことです。その他の学校のベストメンバーを取りそろえた学生選抜でも追いつかないチームワークと使命感が有るのでしょう。その他のテレビは天皇杯とニューイヤーコンサート以外には見ません。今年は一階中央の席に元ソニーの大賀会長の姿を見ることが出来ましたね。
今日はようやく起きだし、久しぶりにレコードコレクターの友人の所へも行きました。先方も親戚が集まり余り時間が取れませんでしたが、ますますエスカレートしているのを見ると、勇気をもらえます。彼はインターネットは余り見ないようです。見ていても自分からは発信しません。レコード収集の為には見ますが、連絡はファックスという方もまだまだ多いのです。
私のブログでさえ、やっているのは知っていても、いちいち見ることはなさそうです。もっとも、彼にとっては昔の話も知っている話ばかりだし、何か有れば電話をすれば良いのですから。都会というのは面白い物で、ほんの近くに住んでいても、誰が何をしているのかは分からないのです。友人の友人で知り合ってみれば、自分の家から歩いていける距離の人も沢山いました。各が別々の道をすれ違いながら歩いているのです。
昔、外国から頻繁にレコードを勝手いたとき、間違って手紙が配達された時があります。郵便配達の人がこの辺で外国郵便が来るのは家だと早合点したようです。私もいつものレコード通信販売店の封筒なので、気にせず開封をしたら、連絡の手紙が入っていました。身におぼえの無い内容なので、いぶかしく思って電話をしました。先方も勘違いしていて、文句を言ってきます。やがて、違う人だとわかり大笑いしました。その時、私の区にどのくらい出しているのかを訊いたら、なんと10名近くいたのです!その時、ついでに日本では誰が一番購入しているのだと訊いたら、宮崎の人だと訊きました。そのご本人と知り合う前の話です。また東京以外では茨城県の人が多いそうでした。その頃、そのレコード店は売り上げの三分の一ぐらいが日本向けだそうで、半分が極東向けでした。われわれは好い鴨になっていたようです。いつだったか、アメリカの同業者から購入したそのままが転送されてきたことも有りました。インボイスまで付いていました。それから、私がアメリカやカナダから直接購入したのは勿論です。
お正月に、昔取っていた写真、主にスライドをスキャンしていました。その中で昔の写真が出てきました。1966年頃の写真です。見ている内にその頃の音を思い出しました。ニートのレコードプレヤーのケースには、NP-6817Hの代わりに、パイオニアのMU-41が入り、アームがFR-24に変わっています。カートリッジはサテンだったと思います。レコード棚にはまだまだレコードが少ないですね。もっとも、その頃も2000円していました。初任給が2万円時代のことです。このレコード棚は部屋を壊すときに外して、件の友人の家で今も使われています。見ると懐かしく嬉しい物です。
今日はようやく起きだし、久しぶりにレコードコレクターの友人の所へも行きました。先方も親戚が集まり余り時間が取れませんでしたが、ますますエスカレートしているのを見ると、勇気をもらえます。彼はインターネットは余り見ないようです。見ていても自分からは発信しません。レコード収集の為には見ますが、連絡はファックスという方もまだまだ多いのです。
私のブログでさえ、やっているのは知っていても、いちいち見ることはなさそうです。もっとも、彼にとっては昔の話も知っている話ばかりだし、何か有れば電話をすれば良いのですから。都会というのは面白い物で、ほんの近くに住んでいても、誰が何をしているのかは分からないのです。友人の友人で知り合ってみれば、自分の家から歩いていける距離の人も沢山いました。各が別々の道をすれ違いながら歩いているのです。
昔、外国から頻繁にレコードを勝手いたとき、間違って手紙が配達された時があります。郵便配達の人がこの辺で外国郵便が来るのは家だと早合点したようです。私もいつものレコード通信販売店の封筒なので、気にせず開封をしたら、連絡の手紙が入っていました。身におぼえの無い内容なので、いぶかしく思って電話をしました。先方も勘違いしていて、文句を言ってきます。やがて、違う人だとわかり大笑いしました。その時、私の区にどのくらい出しているのかを訊いたら、なんと10名近くいたのです!その時、ついでに日本では誰が一番購入しているのだと訊いたら、宮崎の人だと訊きました。そのご本人と知り合う前の話です。また東京以外では茨城県の人が多いそうでした。その頃、そのレコード店は売り上げの三分の一ぐらいが日本向けだそうで、半分が極東向けでした。われわれは好い鴨になっていたようです。いつだったか、アメリカの同業者から購入したそのままが転送されてきたことも有りました。インボイスまで付いていました。それから、私がアメリカやカナダから直接購入したのは勿論です。
お正月に、昔取っていた写真、主にスライドをスキャンしていました。その中で昔の写真が出てきました。1966年頃の写真です。見ている内にその頃の音を思い出しました。ニートのレコードプレヤーのケースには、NP-6817Hの代わりに、パイオニアのMU-41が入り、アームがFR-24に変わっています。カートリッジはサテンだったと思います。レコード棚にはまだまだレコードが少ないですね。もっとも、その頃も2000円していました。初任給が2万円時代のことです。このレコード棚は部屋を壊すときに外して、件の友人の家で今も使われています。見ると懐かしく嬉しい物です。
by TANNOY-GRF
| 2007-01-03 23:10
| オーディオ雑感
|
Comments(0)