2007年 01月 23日
明治村にて |
山の中の近道を走っていたら、偶然、明治村の横を通り掛かりました。滅多に通るところではないので、思い切って寄ってみました。駐車場は、正面入り口と反対側、かなり入ったところに有ります。その距離と入り口の下りの坂道を考えるといやな予感がしました。帰りは、この道を登って来なければ帰れないからです。でも、中にはいると、まさに明治時代の建物が勢揃い、たちまち時代はスリップして行きました。もともと、建物を見るのは好きなので、次から次へと出てくる建物とその歴史に興味がひかれ、結局腰を据えてみることにしました。 駐車場の入り口側から見ると一番奥の方に、西園寺候の別荘が有りました。坐漁荘と名付けられた瀟洒な建物とその隣に有る、森鴎外、夏目漱石の住んだ貸家の対比が面白かったです。陰の政界に君臨し続けた西園寺候の別荘は、さながら忍者屋敷の様な仕掛けが沢山ありました。迷路の様な造りも、書生部屋から、警護の部屋へと続く地下通路など、スリルとサスペンスに満ちています。フランス帰りの候が好んだフランス風の洋室と日本伝統の数寄屋造りが混ざった家は飽きませんでした。 使われているガラスも大部分は、その頃の板ガラスです。ゆがんだ景色もなかなか風情が感じられます。 ガラスの向こう側の景色がゆがんでいるのが見えますか。 一階の二間続きの和室です。典型的な書院造り。簡素の中にも粋が感じられます。昔の家を思い出しました。 明るい縁側の廊下は、その先の洋間に続いています。入り口のドアの枠のデザインが凝っていますね。 坐漁荘と命名された額が掛かっている部屋は、典型的な洋館でフランス風の吊り家具が有りました。 床も寄せ木風になったモダンなデザインが素敵です。 洋間の雨戸は、90度回転して全部があけられる様な工夫がしてあります。コーナーの部分が金属で出来ていて、この上をカーブしながら曲がります。 そのフランス風のサンルームの窓からは、見事な梅が。 凝った造りのお風呂場の天井は、舟天井でしずくが直接落ちてきません。 檜風呂の横には、非常呼び出しのベルと、直ぐに逃げられる小さな扉がありました。 お風呂から上がってきた水切り場は、滑らないように木がでこぼこになっています。要するに細部までよく考えられて作られた屋敷です。持ち主の深謀が見える別荘ですね。
そこへ行くと、隣の幸田露伴の家や、文人の夏目漱石・森鴎外の貸家は、いかにも庶民の家で対比がとても面白かったです。 こちらが幸田露伴亭です。戦前の典型的な住宅です。四国の新居浜の住友鉱山の管理者用住宅がこのような感じで、沢山並んでいたのを思い出しました。
そこへ行くと、隣の幸田露伴の家や、文人の夏目漱石・森鴎外の貸家は、いかにも庶民の家で対比がとても面白かったです。
by TANNOY-GRF
| 2007-01-23 16:50
| 旅の空
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Comments(2)
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田舎GRF
at 2007-01-24 00:31
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こんな所で道草食ってたんですね。でも有意義な小旅行になったようで。僕もここは大好きで何度訪れた事か。僕は夏目漱石の住んだ家が好きですね。猫用の小さな出入り口があったりして。そこで「我が輩は猫である」が書かれたんです。小説にその家の描写がたくさん出て来るので、小説を読み直してから見に行くと楽しいですよ。木造の古い協会や一日歩いても見足り無い素敵な所ですよね。
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TANNOY-GRF at 2007-01-24 11:23
あんな山の中に有るとは思いませんでした。前回は夜通ったので気がつかなかったのでしょう。ちょっと、話の種にと寄ったつもりでしたが、気がつくと閉館時間が迫っていました。時間を忘れ、時空の旅が出来ました。中には、祖父が学んだ校舎や働いていた建物もそのままあり、興味が尽きませんでした。昔の家と同じ部屋の構成にも懐かしさを感じました。ちなみに、先日のレコードコンサートの画廊は、夏目漱石、森鴎外の住んでいた千駄木で行いました。記念館から50mぐらいの所です。その家が移築されて、明治村で見れるなんてこれも奇遇です。また、寄りますね。