2008年 08月 13日
オーディオ雑感 -2 |
原音派と電蓄派に分けると、タンノイやJBLも究極は電蓄派です。私は電蓄派の終着点は、オートグラフに有るという意見に賛成です。しかしほとんどの場合、タンノイの音はSP時代からのイメージで語られることが多いようです。グレデンザに代表されるSP時代のサウンドボックスを電気化したの電気式蓄音機ですから無理はないのですが、音が融合して渾然一体として出てくるイメージがあります。
そこで、今ひとつのオーディオの根底を流れている底流を考えなくてはいそれはいけないようです。それはモノラル派とステレオ派です。実物大の音を求める原音派にも、古くからのサウンドボックスの音を求める電蓄派も、ステレオとモノラルを究極で選ぶとしたら、音楽を聴くための道具として装置を使っているといわれるほとんどの方は、モノラルを選ばれるのではないでしょうか?
特に旧いレコードもお聴きになられる方々は、モノかステレオかと問われたら、モノラルを取られます。しかし、そのモノラルの音を最後まで追求されていた加藤さんの音を聴かれた方は、世間一般に持たれているモノのイメージとはかけ離れていたことをご存じです。左右にマルチSPが分離されて置かれた柔らかいイメージは、私には演奏会場の音その物に聞こえました。純粋に音を追求された一つの答えがあそこにはありました。モノラルレコードを、超軽針圧(0.2g)で掛けられていた音は、少しも重くも分厚くも有りませんでした。演奏会場の軽やかな低音が鳴っていたからです。その奥行きのある残響音は、レコードに元々入っていると言われました。
モノラルは、会場の残響を再現できます。実際に演奏会場に行かれれば解りますが、会場では右左の差はありません。渾然一体となって、ハーモニーとして聞こえて来るのみです。ステレオレコードの初期には、それまでのモノとステレオの両方のレコードが出ていた時期があります。その二つは同じ会場で同時に収録されていますが、マイクアレンジが違います。当初は実験であったステレオ録音は、モノラル録音とは別な場所に置かれて収録されていました。
私は英コロンビアのクレンペラー盤はステレオ・モノ両方で収集しています。まったく違う音楽が聴けるからです。ダグラス・ラーターが録音を担当している頃は、モノの33CX盤に一日の長がありました。それが、ステレオが主流になってきた後半・1962年頃からでしょうか、メインマイクはステレオに変わっていきます。音のとらえ方が、ステレオとモノでは根本的に違います。しかし、忘れてはならないのは、例えモノラル再生されていても、耳はステレオで聴いています。
蛇足ですが、モノラル再生をする場合の、結線方法は、ステレオとは異なり、イコライザーまでは、完全に一系統のモノで増幅しなければなりません。ステレオの45/45方式とモノとはまったく違うからです。ステレオ針でモノを再生すると、必要の無い、上限方向の動きが付帯してしまいます。その意味では完全なモノ再生は、CD時代になってから得られた様な気がします。
モノラル方式の音の良さは、潔さにあります。純粋に音だけを捉える手法には、ステレオによく見られる過剰に演出した、つくられた音が少ないように思えます。もっとも、モノラル録音であっても、マルチマイクはあり得ますし、そのように聞こえない音を収録していたことには間違いありません。
反対に、一対のマイクで録られる、ワンポイント録音ではステレオでも、バイノーラルでも、左右の位相差による情報がそのままは入っています。それを、左右混ぜることなく別系統で二本のスピーカーで再生した音には、モノラル方式とはまったく異なった情報が入っており、二つの耳で位相差を聞いている私たちには、より自然に聞こえてきます。部屋の中に放射されたモノラル録音は、二つの耳で部屋の音を含んで聞こえてきますからまだ良いのですが、ヘッドホーンでモノラル録音を聴くのは、やはり不自然です。音は頭の中だけで鳴るからです。
二本のマイクにより録音された音は、SPから再生されると、元の位置情報を再現します。このとき、SP自身が、信号とは違うモードで振動していると、元の音を時として、打ち消し、増強して元の音とは異なった音になります。SPから音がしている場合は、前述の指向性のあるホーン型か、SPキャビネットが盛大に鳴っている場合です。SPの不要な信号が無くなると、元の位置情報が正確に再現されて結果として音がSPから離れます。
従来から、正確なステレオ再生を目指し努力されている方々の多くは、小さい音量で聴かれていました。大きな音で再生するとステレオの音場情報が無くなる事があったからです。しかし、ドーム型SPの出現がステレオの正確な再生に貢献し始めました。つい30年ぐらい前の事でした。その頃から、低能率だけど周波数特性の優れた広帯域の音がでてきたのです。しかし、その代償として能率が下がってきました。大振幅をしなければならないウーハーの能率が上がらなかったからです。
多数のユニットを使い、マルチスピーカー化していくと、どうしてもインピーダンスの整合が難しくなります。平坦な特性を得るために、インピーダンスが1オーム台に極端に低くなり、駆動するアンプに多大な負担を掛けていました。その為、帯域と歪みを小さくできても、費用的に天文学的な費用がかかりました。バブル時代を迎えていたこともあり、このあたりから、高価な機材を買える少数な人の為のオーディオに雑誌も販売店もシフトしていったのです。結果として、リッチな人たちの市場が確立して、それに憧れる人たちの羨望を煽るような形へと、オーディオが変わっていったようです。
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そこで、今ひとつのオーディオの根底を流れている底流を考えなくてはいそれはいけないようです。それはモノラル派とステレオ派です。実物大の音を求める原音派にも、古くからのサウンドボックスの音を求める電蓄派も、ステレオとモノラルを究極で選ぶとしたら、音楽を聴くための道具として装置を使っているといわれるほとんどの方は、モノラルを選ばれるのではないでしょうか?
特に旧いレコードもお聴きになられる方々は、モノかステレオかと問われたら、モノラルを取られます。しかし、そのモノラルの音を最後まで追求されていた加藤さんの音を聴かれた方は、世間一般に持たれているモノのイメージとはかけ離れていたことをご存じです。左右にマルチSPが分離されて置かれた柔らかいイメージは、私には演奏会場の音その物に聞こえました。純粋に音を追求された一つの答えがあそこにはありました。モノラルレコードを、超軽針圧(0.2g)で掛けられていた音は、少しも重くも分厚くも有りませんでした。演奏会場の軽やかな低音が鳴っていたからです。その奥行きのある残響音は、レコードに元々入っていると言われました。
モノラルは、会場の残響を再現できます。実際に演奏会場に行かれれば解りますが、会場では右左の差はありません。渾然一体となって、ハーモニーとして聞こえて来るのみです。ステレオレコードの初期には、それまでのモノとステレオの両方のレコードが出ていた時期があります。その二つは同じ会場で同時に収録されていますが、マイクアレンジが違います。当初は実験であったステレオ録音は、モノラル録音とは別な場所に置かれて収録されていました。
私は英コロンビアのクレンペラー盤はステレオ・モノ両方で収集しています。まったく違う音楽が聴けるからです。ダグラス・ラーターが録音を担当している頃は、モノの33CX盤に一日の長がありました。それが、ステレオが主流になってきた後半・1962年頃からでしょうか、メインマイクはステレオに変わっていきます。音のとらえ方が、ステレオとモノでは根本的に違います。しかし、忘れてはならないのは、例えモノラル再生されていても、耳はステレオで聴いています。
蛇足ですが、モノラル再生をする場合の、結線方法は、ステレオとは異なり、イコライザーまでは、完全に一系統のモノで増幅しなければなりません。ステレオの45/45方式とモノとはまったく違うからです。ステレオ針でモノを再生すると、必要の無い、上限方向の動きが付帯してしまいます。その意味では完全なモノ再生は、CD時代になってから得られた様な気がします。
モノラル方式の音の良さは、潔さにあります。純粋に音だけを捉える手法には、ステレオによく見られる過剰に演出した、つくられた音が少ないように思えます。もっとも、モノラル録音であっても、マルチマイクはあり得ますし、そのように聞こえない音を収録していたことには間違いありません。
反対に、一対のマイクで録られる、ワンポイント録音ではステレオでも、バイノーラルでも、左右の位相差による情報がそのままは入っています。それを、左右混ぜることなく別系統で二本のスピーカーで再生した音には、モノラル方式とはまったく異なった情報が入っており、二つの耳で位相差を聞いている私たちには、より自然に聞こえてきます。部屋の中に放射されたモノラル録音は、二つの耳で部屋の音を含んで聞こえてきますからまだ良いのですが、ヘッドホーンでモノラル録音を聴くのは、やはり不自然です。音は頭の中だけで鳴るからです。
二本のマイクにより録音された音は、SPから再生されると、元の位置情報を再現します。このとき、SP自身が、信号とは違うモードで振動していると、元の音を時として、打ち消し、増強して元の音とは異なった音になります。SPから音がしている場合は、前述の指向性のあるホーン型か、SPキャビネットが盛大に鳴っている場合です。SPの不要な信号が無くなると、元の位置情報が正確に再現されて結果として音がSPから離れます。
従来から、正確なステレオ再生を目指し努力されている方々の多くは、小さい音量で聴かれていました。大きな音で再生するとステレオの音場情報が無くなる事があったからです。しかし、ドーム型SPの出現がステレオの正確な再生に貢献し始めました。つい30年ぐらい前の事でした。その頃から、低能率だけど周波数特性の優れた広帯域の音がでてきたのです。しかし、その代償として能率が下がってきました。大振幅をしなければならないウーハーの能率が上がらなかったからです。
多数のユニットを使い、マルチスピーカー化していくと、どうしてもインピーダンスの整合が難しくなります。平坦な特性を得るために、インピーダンスが1オーム台に極端に低くなり、駆動するアンプに多大な負担を掛けていました。その為、帯域と歪みを小さくできても、費用的に天文学的な費用がかかりました。バブル時代を迎えていたこともあり、このあたりから、高価な機材を買える少数な人の為のオーディオに雑誌も販売店もシフトしていったのです。結果として、リッチな人たちの市場が確立して、それに憧れる人たちの羨望を煽るような形へと、オーディオが変わっていったようです。
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by TANNOY-GRF
| 2008-08-13 22:54
| オーディオ雑感
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Comments(2)
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(Y)
at 2008-08-15 21:54
x
今頃は涼しいところでお過ごしのことと思います。大阪は溶けるような暑さが続いていますよ。人の住むところでは有りませんね(笑)。ところで、僕も電蓄派、モノーラル派に入るのでしょうか。僕は単純にモノーラルの奥行感・前後の立体感というものに惹かれた1人です。手巻き蓄音機でも分かるそのホノグラム的な音こそが、モノーラルの魅力だと思うのですが。そしてモノーラル時代のテクノロジー故に、演奏者も録音技術者も真剣ならざるを得なかった結果として、素晴しいレコードが作られたのではないかと思っています。大先輩を前にしての余計な講釈お許し下さいませ。
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TANNOY-GRF at 2008-08-16 00:31
(Y)さん、一向に涼しくありません。もっとも今日の東京は37度だったそうですから、仕方がありませんが。こちらも明らかに、平均気温で2度3度上がったようです。植生が変わりました。昨年、大曲の花火をみてしまったからか、諏訪の花火では物足りなくなりました。何事も限りはないのは我々の業なのでしょうか?