2008年 11月 15日
レコード収集について |
大好きなレコードを40年以上も買っているとだんだんレコードが溜まっていきます。始めた頃はレコードが大変高く、必然的に吟味して意を決して購入したものです。買ってからも同じレコードを何回も聴いていました。その頃のレコードはどこに傷があるかも解り、スクラッチ音が音楽の一部にもなっていたものです。先日のレコード棚が一杯になるには、10年ぐらいかかりました。
レコードを収集するのとそのレコードの音楽を再生するとでは同じように見えてまったく違う趣味のように思えます。数の少ない当初は、買ってきたレコードは隅々まで何度も聞き込んでいますが、有る程度枚数が多くなってくると、全てを聴いていたら人生が間に合わないという矛盾点を越えていきます。例えばLPレコードは一枚45分ぐらいですが、毎日3時間聴いたとしても、一年間で1500枚聴くのが精一杯です。二回聴けば勿論半分。週末だけ集中して聞き込んでも、千枚のレコードを聴くには相当な集中と他のことを犠牲にしなければ出来ません。でもレコードコレクターは一万枚以上持っておられる方は普通ですから、失礼な言い方をすれば、買ってきたレコードを全て聴くことは不可能になります。

収集家というのは因果なもので、行き着くところまで行かなければ終わらないようです。終着駅から終着駅まで、最長の片道切符を辿っているようです。そのうち片道切符では間に合わなくなり、全線乗車を目指すようになります。国鉄全線乗車と同じように最初は、本線を踏破していきますが、全線を目指したときからローカル線専門になっていきます。最後になると盲腸線が残ります。何百キロも離れた地方のローカル駅から出ている片道だけの盲腸線。終着駅に着くと同じ列車で折り返しをしてこなければ、何時間も最果ての駅で取り残されてしまいます。本線を特急列車で通り過ぎる駅から、その盲腸線が離れていくのを見るたびに何時になったら、この駅に再び訪れ、その線に乗ることが出来るのかを感じるそうです。中古のレコード屋さんの店頭で、或るシリーズを踏破しているとき、違う分野だけど将来必ず訪れる分野のレコードに出会ったときに感じる感覚と似たようなものなのでしょうか。
ですから自分の好きな分野に絞ってレコード買わないとレコード収集は止めどもなくなります。最初は狙った魚だけを釣る磯釣りが、だんだん収集がエスカレートすると最後は地引き網漁になります。いや定置網漁ではなく底引き網のようになっていきます。おびただしい量のレコードから自分の欲しいものだけを選別して他は、中古屋さんに売り払う(還元する?)事になります。東京の有名な中古店がまだ小さい頃、狭い階段に段ボール箱が並んでいました。それらの箱が全て同じ人から送られてきているのに驚いたことがあります。網の目に掛からなかったレコード類なのでしょう。一万枚のレコードを収集するのに、その何倍ものレコードが網の隙間を流れていくのです。やがて個人の範囲を超えて公共のライブラリーにするしかなくなります。私設美術館がそうですね。最終的に地元に還元する事になります。昔の王侯貴族の館が博物館や公園になっているのと同じなのでしょうか?

私の場合、レコードは殆どオリジナル盤だけを集めることにして、ハードルを高くしてよほどの盤で無くては買わなくなり、熱がようやく下がったようです。なぜなら昨今のオリジナル盤は品数が少なくなったのと収集される方が増えたので、必然的に価格が上がります。故にとても品薄で千枚も購入したら、一財産になります。仕事として捉えるか、はたまた素封家に生まれるか、バブル系の仕事で一攫千金でもしなければとても無理です。
もっとも、イギリスあたりの中古屋は、市場からレコードを二束三文で買いあさり、二版ものを全てストックして初版ものの価格を上げています。昔訪ねていったロンドン郊外のレコード屋は、普通の煉瓦造りのアパートだったのですが、玄関から風呂場まで全ての壁がレコードで埋まっていました。ベッドだけ残して全ての壁が埋まっていたのです。一階は玉石混淆で高価な初版ものが、方々に分散して置いてありました。10万枚以上は有ったでしょう。昔の石丸電気の倉庫ぐらいはありました。彼は、価値の出るものを全て押さえ込んでいたのです。英国ではレコードは英国製です。オリジナル盤が普通にあったからです。それを新しい再版ものは始末して、二版以前のものだけをため込み品薄状態を演出していたのです。骨董品では良くある手段です。
古伊万里などでもそのような話を聞いたことがあります。全てを掘り起こし、何年も辛抱して買いあさり、駄目なものは思いきり壊し、良いものだけをある日法外な価格で好事家に出す。ライバル業者がそれより少しだけ安い価格を付けた瞬間に自分が付けた価格が公認される。後は、自らのルールを厳守するだけです。市場原理は、昔から変わりません。それをレコードに応用しただけなのでしょうが。帰りの坂道を下りながら、自分の大事なものを汚されたような不快な気分になったことを思い出します。あの汚い家の業者に大事なレコードを扱われていたのが悔しく思いました。
好きな演奏家を集めるというのが、私のやり方です。クレンペラーやセル、モントーあたりでしょうか、いずれも現在ではレコードも少なく大変です。私が始めたことはまだ数千円単位でしたが、現在ではその10倍近くの値が付くこともあるからです。レコードになっていない実況盤や廃盤の演奏が、CDで出ればそれも集めています。殆どがCDで充分と言えます。音質も以前書きましたが、二版以降ではオリジナルテープから起こしたCDの方が音質も良いぐらいですね。ただ、初版だけは違います。オリジナルとコピーの差です。レコードは生い立ちから凹版印刷と同じですが、最初の気合いが違うように思われます。
レコードを収集するのとそのレコードの音楽を再生するとでは同じように見えてまったく違う趣味のように思えます。数の少ない当初は、買ってきたレコードは隅々まで何度も聞き込んでいますが、有る程度枚数が多くなってくると、全てを聴いていたら人生が間に合わないという矛盾点を越えていきます。例えばLPレコードは一枚45分ぐらいですが、毎日3時間聴いたとしても、一年間で1500枚聴くのが精一杯です。二回聴けば勿論半分。週末だけ集中して聞き込んでも、千枚のレコードを聴くには相当な集中と他のことを犠牲にしなければ出来ません。でもレコードコレクターは一万枚以上持っておられる方は普通ですから、失礼な言い方をすれば、買ってきたレコードを全て聴くことは不可能になります。

収集家というのは因果なもので、行き着くところまで行かなければ終わらないようです。終着駅から終着駅まで、最長の片道切符を辿っているようです。そのうち片道切符では間に合わなくなり、全線乗車を目指すようになります。国鉄全線乗車と同じように最初は、本線を踏破していきますが、全線を目指したときからローカル線専門になっていきます。最後になると盲腸線が残ります。何百キロも離れた地方のローカル駅から出ている片道だけの盲腸線。終着駅に着くと同じ列車で折り返しをしてこなければ、何時間も最果ての駅で取り残されてしまいます。本線を特急列車で通り過ぎる駅から、その盲腸線が離れていくのを見るたびに何時になったら、この駅に再び訪れ、その線に乗ることが出来るのかを感じるそうです。中古のレコード屋さんの店頭で、或るシリーズを踏破しているとき、違う分野だけど将来必ず訪れる分野のレコードに出会ったときに感じる感覚と似たようなものなのでしょうか。
ですから自分の好きな分野に絞ってレコード買わないとレコード収集は止めどもなくなります。最初は狙った魚だけを釣る磯釣りが、だんだん収集がエスカレートすると最後は地引き網漁になります。いや定置網漁ではなく底引き網のようになっていきます。おびただしい量のレコードから自分の欲しいものだけを選別して他は、中古屋さんに売り払う(還元する?)事になります。東京の有名な中古店がまだ小さい頃、狭い階段に段ボール箱が並んでいました。それらの箱が全て同じ人から送られてきているのに驚いたことがあります。網の目に掛からなかったレコード類なのでしょう。一万枚のレコードを収集するのに、その何倍ものレコードが網の隙間を流れていくのです。やがて個人の範囲を超えて公共のライブラリーにするしかなくなります。私設美術館がそうですね。最終的に地元に還元する事になります。昔の王侯貴族の館が博物館や公園になっているのと同じなのでしょうか?

私の場合、レコードは殆どオリジナル盤だけを集めることにして、ハードルを高くしてよほどの盤で無くては買わなくなり、熱がようやく下がったようです。なぜなら昨今のオリジナル盤は品数が少なくなったのと収集される方が増えたので、必然的に価格が上がります。故にとても品薄で千枚も購入したら、一財産になります。仕事として捉えるか、はたまた素封家に生まれるか、バブル系の仕事で一攫千金でもしなければとても無理です。
もっとも、イギリスあたりの中古屋は、市場からレコードを二束三文で買いあさり、二版ものを全てストックして初版ものの価格を上げています。昔訪ねていったロンドン郊外のレコード屋は、普通の煉瓦造りのアパートだったのですが、玄関から風呂場まで全ての壁がレコードで埋まっていました。ベッドだけ残して全ての壁が埋まっていたのです。一階は玉石混淆で高価な初版ものが、方々に分散して置いてありました。10万枚以上は有ったでしょう。昔の石丸電気の倉庫ぐらいはありました。彼は、価値の出るものを全て押さえ込んでいたのです。英国ではレコードは英国製です。オリジナル盤が普通にあったからです。それを新しい再版ものは始末して、二版以前のものだけをため込み品薄状態を演出していたのです。骨董品では良くある手段です。
古伊万里などでもそのような話を聞いたことがあります。全てを掘り起こし、何年も辛抱して買いあさり、駄目なものは思いきり壊し、良いものだけをある日法外な価格で好事家に出す。ライバル業者がそれより少しだけ安い価格を付けた瞬間に自分が付けた価格が公認される。後は、自らのルールを厳守するだけです。市場原理は、昔から変わりません。それをレコードに応用しただけなのでしょうが。帰りの坂道を下りながら、自分の大事なものを汚されたような不快な気分になったことを思い出します。あの汚い家の業者に大事なレコードを扱われていたのが悔しく思いました。
好きな演奏家を集めるというのが、私のやり方です。クレンペラーやセル、モントーあたりでしょうか、いずれも現在ではレコードも少なく大変です。私が始めたことはまだ数千円単位でしたが、現在ではその10倍近くの値が付くこともあるからです。レコードになっていない実況盤や廃盤の演奏が、CDで出ればそれも集めています。殆どがCDで充分と言えます。音質も以前書きましたが、二版以降ではオリジナルテープから起こしたCDの方が音質も良いぐらいですね。ただ、初版だけは違います。オリジナルとコピーの差です。レコードは生い立ちから凹版印刷と同じですが、最初の気合いが違うように思われます。
by TANNOY-GRF
| 2008-11-15 06:26
| 好きなレコード
|
Comments(4)
クラッシックのCollection・・・の話を読み,当方も思い当たる節が一杯です、Jazzの場合は変なはなしですが流行りと言うものがあり、その昔10万円ぐらいしていたNewJazz系が1-2万円で手に入ることが最近はよくありますが、Classicの場合はあるのでしょうか?又枚数ですが最近の小生の目標は2000枚前後に減らすことですが、棚を見るたびに、物欲との戦いになります、元々地の利と、好きが高じて御記述のように1万枚ちかく収集してしまい何度かの引越しをはさみ20年近くかけ現在の枚数まで持ってきていますので悩み度が非常にたかくなっており減らすことは一種修行のような気さえしています、但しそう考えるのは本人のみで、家人はそら言ったことかたと気楽なものです。
その通りです。レコード収集は己の物欲との戦いです。一度は戦線が延びきるまでやらなくてはいけないのかもしれません。それで自らの欲と折り合いを付けて、最も親しみやすいレコードが残ってくのかもしれませんね。
何ゆえに男はモノを集めるのでしょうね。かくいう私も極めて個人的な理由にのみ基づいてレコードを集めています。ただ有り難いことにコンプリート癖はないので、ほどほどの枚数で収まっています。それにしても他人にとっては価値のない物を集める喜びって何なんでしょうね。でも、モノを集める喜びを知らない人とは友達にはなれそうにないなあ(笑)。
何故に女性は、バッグやアクセサリーを集めるのでしょうか?女性で本やレコードを集めている方に余りお目に掛かりませんが、いるのでしょうね。
深層心理を読んでいくと面白い(怖い)事が見えてくるのかも、、、。
私はコンプリート癖があって困っていますよ。範囲をせばめないといけませんね。レコードならあるレーベルだけとか。
深層心理を読んでいくと面白い(怖い)事が見えてくるのかも、、、。
私はコンプリート癖があって困っていますよ。範囲をせばめないといけませんね。レコードならあるレーベルだけとか。

