2018年 04月 15日
パグ太郎さんの GRF邸オフ会 便乗記 |
のびーさんがロンドンから一時帰国され、ご近所のGRF邸にいらっしゃるということで、お声掛け頂き、仕事帰りにお寄りする形で便乗させて頂きました。
「仕事帰りの便乗」といいつつ、宿題テーマがありました。一つは、最近の当方記事で取上げたドイツ・グラモフォン(DG)のピアノ録音をまとめて買われて、当たりはずれが多かったということでしたので、お詫びを兼ねた確認。もう一つは、最近、GRFさんが最近、改めて集中しておられるご様子の、GRFとアナログのシステムを初めて聴かせていただくこと。
遅い時間の到着になり、先に始められていたのびーさんをご紹介いただいた後、「駆けつけの一曲」となりましたのは、フォン・オッターが室内楽と協演したコルンゴルドの『マリエッタの唄』。CD再生システムはメインのトロバドールとT-80です。何時聴いても、この空間表現、そして声のリアルさは感動ものです。
ここから、怒涛の新旧DG作品の鑑賞会となりました。

(イエローレーベルの新旧作品)
最初はネルソンズ指揮ゲバントハウス響のローエングリーン序曲とブルックナーの4番(ゲバントハウスの絃が透明感と厚みを両立させて響いているのが新鮮。早速、注文しましたが、拙宅で再現できるのか怪しいところ)。アルゲリッチとババヤンのプロコフィエフはお気に召さずだったとのことで、ババヤンの弟子トリフォノフのショパンの協奏曲とリストの超絶技巧(前者はババヤン師匠のプレトニュフ指揮を含めたエキセントリックさにびっくり、逆に後者はしっかりとした構成と響きの切れ味で、このピアニストが際物で無いことを証明)。プロコフィエフでのお口直しとしてお勧めしたのが、バティアシビリのこれでしたが、しっかりとカバーして既にお持ちで挽回とはならず。でも、のびーさんにはお褒め頂き一安心。
さらに、ケンプのリスト(やはり良い)、アバドのカルメン(大学2年の語学授業で一年かけて、毎週みっちり聴き続けたこの78年の録音が、こんなに良かったのかと再認識)、コジェナーのモーツァルト・アリア集(この演奏、割と癖があるのですが、このシステムで聴くと説得感が出るのが不思議)等々、DGの代表的録音が続きます。アナログ・GRFに移る前にDGシリーズのトリにかけていただいたのがプレスラーのドビュッシー。この録音、これまで聴いてきた全てが霞んでしまうほど、音楽そのものの力を感じます。
第二部は、数日かがりで調整された、メインシステムをあっさりと脇によけて、始まったのがGRFで聴くアナログ。ここからはテーマが、がらっと変って、70年代の昭和歌謡。越路吹雪(サン・トワ・マミ)、森山良子(セフィニ)、藤圭子(アカシアの雨がやむとき)、クールファイブ(長崎は今日も雨だった)、森進一(曲名失念)・・・・。小学生の頃、リアルタイムでラジオから流れていた唄声が、これほどの厚みのある、情感あふれる歌心のこもったものであることは、その年頃の子供には分かるはずもありません。
でも、それは聴き手の問題だけでなく、やはり、調節尽くされたGRFのスピーカーとアナログプレイヤの組み合わせ、その使いこなしの技があって、始めてこの表現がなし得るということが直ぐに分かりました。新旧のカートリッジの差、そしてその針圧の違いの差を、あまりにわかり易くこのシステムは露にしてしまいます。でも、この濃厚な音楽は、時代とそれを生きてきた人生そのものを感じさせます。のびーさんの一言、「GRFさんが最後に残すのはこのシステムですね」に笑ってうなずくGRFさん。
(時代のエネルギーなのか、それとも歌う力なのか、あるいは、その相乗効果なのか、熱いものを感じます)
このアナログシステムでクラシックもかけていただきました。
クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団の『モルダウ』(訪れたこともないプラハの街並みが目に浮かぶ)、F=ディースカウとベルゴンツィの運命の力の二重唱で『運命の力』(これもCD発注)、そして最近、未開封でメーカサンプル非売品のシールが張られたままコレクションから発掘されたF=ディースカウのシューベルト歌曲。これもまた歴史と人生を感じさせる演奏。
のびーさんの訪問に便乗して、後から押しかけたにもかかわらず、この充実感。のびーさんにはロンドンのお土産まで頂いてしまい、本当に有難うございました。そして、何時もながらの楽しい時間を頂いたGRFさんには何と申し上げてよいやら、言葉もありません。
パグ太郎
▲
by TANNOY-GRF
| 2018-04-15 16:16
| 行ったり来たり
|
Comments(1)