2018年 03月 31日
桜は散り始めました |
出張中に小学校時代の校庭の桜の木のことを思い出しました。その頃は、校庭の周りに沢山の桜の木が植えられていて、卒業式や入学式のころは見事な物でした。60年ぐらい前は冬が長く、桜の開花日も最近と比べると一週間以上遅く、四月の入学式の頃でもまだ桜がありました。地球温暖化の影響は確実に出ていて、東京ではこれからは四月の声を聴いたら桜は散っているのでしょう。夢の中の小学校の桜は鮮やかで、真っ青な空を背景に桜の花が輝いていました。


昔遊んだ農業用水のあとはその時のカーブを残して新しい道になっていました。ブラタモリでよく出てくる昔の川の跡みたいです。善福寺川沿いの桜並木は人が多いので、あたらしくできた昔の阿佐ヶ谷団地のマンション群を見ながら戻ってきました。
今週の前半は、日本中PM2.5に覆われていて、羽田から広島に飛ぶ飛行機からは何時もの瀬戸内海の美しい景色はほとんど見えませんでした。警戒数値の35μg/㎥はほとんどのところが越えて、アラームの85μg/㎥に近い数値を出していました。中国本土、タイやインドまでものすごい汚染状況です。これからの季節、黄砂も含めて喉がやられる事が多いので、マスクは必需品です。
このような景色しか見えないのは、本当に悲しいですね。幸いにも翌日は、だいぶすっきりしてきたようです。それでも、奥の山の端をみると快晴とまでは行かないようです。岡山に出たので、新幹線に乗る前に是枝さんの所に寄ってみました。前回は、6336Bアンプの打ち合わせでしたから、もう数年も前の事です。しかし、岡山の街は駅前以外は差ほど大きな変化はありませんでした。
岡山滞在二時間ぐらいで新幹線に乗っていました。二時過ぎに岡山を出て、品川には五時を回ったときには着いていました。問題は羽田空港に置いてある車です。とりに行くルートは二通りあります。ひとつは品川から京急の急行で向かう方法。今ひとつは、浜松町まで山手線・京浜東北線でいき、そこからモノレールで羽田に向かう方法です。
漫然と、品川だから京急という気持ちがあったのかもしれません。新幹線から京急は、品川駅の南口から長い連絡通路を通って、北口の京急に移動することだと肝心な事を忘れていました。この京急の急行がくせ者です。蒲田以遠の羽田線内は各駅停車なのです。浜松町まで行って、快速の空港行きに乗った方が良かったかもしれません。
問題はこの後でした。首都高は大渋滞で、表示板を見ると高井戸まで140分と書かれていました。羽田から渋滞しているのが解ります。仕方がないので久しぶりに環七を通って帰ってきました。5時半前に品川に着いて、二時間半もかかっていました。新大阪から戻ってきた時間と同じです。岡山を出たのは、二時過ぎですから六時間以上掛かっています。やはり飛行機でも戻ってくれば良かったのでしょうか?広島も岡山も空港は山の上です。でもバスで時間が掛かってもその方が良かったようです。帰ったら、疲れがどっと出てきました。
翌る朝、起きてみると近所の桜は、早くも花を散り始めていました。午後、自転車で小学校の桜を見に出かけました。家のあたりは、いえはどんどん変わっていますが、古くからの道は、そのままです。ゆっくりと走らせると昔の風景が蘇ってきます。善福寺側の桜の名所は、平日でも見物のひとで一杯です。その人混みをさけて小学校の横の坂道を上がりました。このあたりは、時間が止まったように昔の面影を残しています。
小学校のまえの文房具屋さんは、もっと変わっていません。60年前と同じお店がそのまま残っています。その奥の熊野神社では学校帰りによく遊びました。
この神社の裏側は、断崖になって農業用水の川になっていました。昔はその崖に防空壕があったの思い出しました。裏に回ってみるとその川は新しい道になっており、崖はしっかりと整備されていました。


四年前はこのような風景でしたが、現在はどこにいるのか解りません。無機質な、どこにいるのかわからい景色になってしまいました。道を変えてしまったから、歴史がなくなったのです。低層地帯なので高さ制限があるのでしょう。つまらない風景になりました。道が曲がっているのは大事です。
ただ、この風景には、何の思い出もありません。将来にわたって何の思い出も出来ないでしょう。このエリアを出ると、また昔ながらの家が続きます。小学生時代の友達と同じ表札があり心が落ち着いてきました。そうした旧い家も残ってはいるのですが、所々にあった林も無くなっていて、街全体が明るくなってはいるのですが、うっそうとした大きな木が無くなっているのは、街の景色の立体感がなくなったとおもいながら帰ってきました。
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by TANNOY-GRF
| 2018-03-31 21:12
| 好きな風景
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