2006年 04月 30日
忘れてしまうから、、、 |
この自分史のような、ブログを書き始めたきっかけは、40年ぶりに高校時代の運動部の後輩から、部創立50周年とやらで昔の写真を集めている、先輩が持っているのではと言う話になり連絡をしてきた事から、始まっています。そういえば、何十年も前のスライドをCDに焼く作業をしている内に、突然昔のことが想い出されてきたのです。
忙しさにかまけて、日々を忘れがちですが、どうやら昔の事は、違う引き出しに仕舞ってあったようで、開けると次々と思い出されます。その不思議さに、同時代の一生懸命していた音楽やオーディオの事も、次々と思い出してきました。
記憶というのは、封印しているうちは、保存されていますが、ひとたび封印を解かれ外気にふれた途端に、風化が始まるようです。一旦風化が始まれば、何千年の遺跡も一瞬のうちに無くなるのは、ツタンカーメンや古墳だけではありません。
写真に撮られた風景も、一つとして原型を止めているものは無いのです。よく、音の聴き比べで、交互に掛けて比較しますが、厳密な意味で同じ音がなる筈がないのです。比較する人の思いが、反映するだけです。変えたいと思う人には、良く聞こえるのも事実です。忠実な比較と云うのは、物理学の法則から云っても不可能なのでしょう。
昔、小林秀雄が五味康祐との対談の中で、そのことを指摘されていたことを思い出しました。人間の生きている瞬間瞬間は掛け買いのない、二度と帰らぬ時間なのに、人々は再現できると信じている。その様な趣旨だったと記憶しています。
小林秀雄と言えば、同年代の人達は、共感していただけると思いますが、ご多分に漏れず私の人生の中でも、大変大きな位置を占めています。一度生で講演会を聴きたく、探しておりましたら、京都の講演会の案内が掲載されました。貧乏学生の私は、前日の夜行の大垣行きに乗り、乗り継ぎをしてようやく京都にたどり着いた想い出があります。
今週、京都の街を久しぶりに歩き、そのことを急に思い出しました。肝心の講演内容は、もうほとんど忘れていますが、志ん生そっくりの声と、べらんめいの江戸弁は鮮やかに思い出します。若い世代の自分たちに、一生懸命今を生きろと教えてくださった気がします。終わってから、また夜行で戻ってきたのでしょう。
志ん生と言えば、ガキの時に親に連れられて、末広に行ったとき、ガキが笑ったので、志ん生さんから、ここはガキの笑うところじゃないと叱られたと、親が話してくれました。こうして、自分の記憶には残っていない、でも何処かの引き出しには、必ず残っているはずの、経験を重ねていくしか無いのが、人間の経験でしょう。そして、その経験は遺伝では伝わらず、自らがその場に参加して初めて身体で理解するものなのです。
出張中に新幹線の中で読んだ厖大な書籍、段ボールの中のそれらの本を久しぶりに読んでみると、そのほとんどが、初めて読む感覚におそわれます。しかし、読みすすんで行くうちに、昔、見た風景の様に、この道はいつか来たことがあるという、既視感に覆われていきます。その曖昧さが楽しくなるのが、いわゆる「老人力」がついたことなのかも知れませんね。
忙しさにかまけて、日々を忘れがちですが、どうやら昔の事は、違う引き出しに仕舞ってあったようで、開けると次々と思い出されます。その不思議さに、同時代の一生懸命していた音楽やオーディオの事も、次々と思い出してきました。
記憶というのは、封印しているうちは、保存されていますが、ひとたび封印を解かれ外気にふれた途端に、風化が始まるようです。一旦風化が始まれば、何千年の遺跡も一瞬のうちに無くなるのは、ツタンカーメンや古墳だけではありません。

昭和30年代の青梅街道です。14番線の都電が走っています。
写真に撮られた風景も、一つとして原型を止めているものは無いのです。よく、音の聴き比べで、交互に掛けて比較しますが、厳密な意味で同じ音がなる筈がないのです。比較する人の思いが、反映するだけです。変えたいと思う人には、良く聞こえるのも事実です。忠実な比較と云うのは、物理学の法則から云っても不可能なのでしょう。
昔、小林秀雄が五味康祐との対談の中で、そのことを指摘されていたことを思い出しました。人間の生きている瞬間瞬間は掛け買いのない、二度と帰らぬ時間なのに、人々は再現できると信じている。その様な趣旨だったと記憶しています。
小林秀雄と言えば、同年代の人達は、共感していただけると思いますが、ご多分に漏れず私の人生の中でも、大変大きな位置を占めています。一度生で講演会を聴きたく、探しておりましたら、京都の講演会の案内が掲載されました。貧乏学生の私は、前日の夜行の大垣行きに乗り、乗り継ぎをしてようやく京都にたどり着いた想い出があります。
今週、京都の街を久しぶりに歩き、そのことを急に思い出しました。肝心の講演内容は、もうほとんど忘れていますが、志ん生そっくりの声と、べらんめいの江戸弁は鮮やかに思い出します。若い世代の自分たちに、一生懸命今を生きろと教えてくださった気がします。終わってから、また夜行で戻ってきたのでしょう。
志ん生と言えば、ガキの時に親に連れられて、末広に行ったとき、ガキが笑ったので、志ん生さんから、ここはガキの笑うところじゃないと叱られたと、親が話してくれました。こうして、自分の記憶には残っていない、でも何処かの引き出しには、必ず残っているはずの、経験を重ねていくしか無いのが、人間の経験でしょう。そして、その経験は遺伝では伝わらず、自らがその場に参加して初めて身体で理解するものなのです。
出張中に新幹線の中で読んだ厖大な書籍、段ボールの中のそれらの本を久しぶりに読んでみると、そのほとんどが、初めて読む感覚におそわれます。しかし、読みすすんで行くうちに、昔、見た風景の様に、この道はいつか来たことがあるという、既視感に覆われていきます。その曖昧さが楽しくなるのが、いわゆる「老人力」がついたことなのかも知れませんね。
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by TANNOY-GRF
| 2006-04-30 01:05
| 好きな風景
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